運の総量

 

小さめの幸運な出来事に対して「こんな所で運を使っちゃった」という人がいる。その人の発言にはたいして深い意味はないのだと思うが、そういう発言を聞くたびに俺はどうしても気になるというか、はっきりさせたいことがある。

「運には総量があるのか?」ということ。

まぁくだらない話かもしれないが、少々付き合ってほしい。

先の発言をした人の内容を詳しく噛み砕いてみると (前提として人生における運の総量は決まっていて) 「私は大きな幸せを私の使いたいときに欲しいのだから、こんな小さな幸運は今は要らない」という意味なのだろう。 もちろん本気で言っていないと思うし、深い意味も考えずになんとなくその場の雰囲気というか、幸運な出来事を自分だけが得てしまうことに対して、周りの人に対する変な配慮みたいな意味もあると思う。

ここからが本題。「運とは何か」という定義みたいなことをここで考えてみる。本人の実力ではない所による、外部的な要因で偶然に得られることをたぶん「幸運」と呼び、逆にどんなに努力しても期待した結果を得られなかったり、考えてもみなかっトラブルに対して「不幸」等という表現が使われている。運が強いとか弱いという言い方も日常的に行われていると思う。

あくまでも私見だが、「運」はあいまいな表現であって、数学の公式に当てはめて答えが出るようなものではない。先に使いすぎたからといって人生の後半に不幸が待っているという性格のものではない。

「偶然に」というのが「運」の定義の一つだろうが、それだけでは測れないものもあると俺は感じている。

宝くじに当たるとかそういう話をここでしたいのではない。ずっと難しい顔をして誰とも向き合わない人よりは、出来ればいつでも笑顔で対応できる人になりたいという俺の気持ちの話。

2017.2.16.

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