成長とおもらし


上の息子が自転車を漕げる様になった。
補助輪付きの自転車であり、しかも手押しバーが付いた物であるが。

父親の知らない所で、実は練習をしていたらしい。
ついこの間までは、まったく漕げなかった事を思うとすごい進歩だと感じた。

彼の成長を感じた点は、実は、漕げる様になった事ではない。
手押しバーに父親である俺が触れる事を極端に嫌うのだ。
「自分でやるから押さないで」ときちんと表現するのである。

お世辞にも、まともに自転車を漕げているとは言えない。
よろよろと、長い時間をかけて短い距離を刻む程度である。
それでも他人の助けを借りずに自分でやりたいと、きちんと表現出来る。
・・その、「自分でやりたい」と表現できる所に、彼の成長を感じた。

ちなみに彼とは、満4歳の上の息子の事である。


微笑ましく、力強く感じたその翌日、
トイレが自分できちんと出来る様になったはずなのに、
今朝がたちょっとした事でとても彼が興奮する出来事があったのだが、
おもらしをしてしまった。
良い悪いを問うのではなく、なんだか切ない感じがした。
彼を興奮させてしまった理由が何となく俺にもあったからである。

幼少期の子どもにとって、誰が良いとか悪いとか、そんな理屈は通らないし、
逆に、タテマエとかでは無く、すべて一直線に自分の思いだけで動いている姿を見ると、何だか忘れてしまった物を思い出せそうな感じさえ、受ける気がする。

素直になりたいね。


2009.12.9.
2009.12.29.(加筆)




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