ナビ人生


先日、カーナビを購入した。HDDナビやDVDナビが全盛と言うこの時代に、俺が購入したのはポータブル型のCD-ROMナビである。
前から何となくは欲しいと思っていたのだが、価格云々と言う前に、果たして俺にはナビが必要なのか?という自問自答を繰り返し続けての、今回の購入である。
ナビと言うのは、旅の楽しみを半分以上奪ってしまう道具なのではないか?という思いが俺には強くあったのだ。道を間違えたり、判らないなりにも、ドキドキしながら知らない道を自らの手で切り開いて進んでいくのが、旅の楽しみであると俺はずっと思っていたのである。・・・って言うか、この思いは今も変わらないのだが、俺の考え方が少しだけ変わったのである。
道具としてではなく、玩具として使えばいいのではないか?という感じである。別にナビの指示に従う必要なんて全くないのである。どこまでナビが賢いのか、頼れるのかを試してみたいという好奇心と、人間様の方が賢いに決まっているという俺の根拠のない自尊心との勝負の結果をこの手で確かめてみたかった、と言ったら少々大げさであろうか。
ま、その勝負の結果は今のところ五分五分である。確かに俺の知らなかった近道を教えてくれたこともあったし、てんで的外れな遠回りの道を指示されてしまったこともありの、ある程度予想の付いた結果である。ナビ自体は悪くないのかもしれない。と言うのも地図データが全てだからである。実際の道路状況は常に変化しているし、工事による交通規制や新設道路はもちろん古い地図データには収録されていないからである。

最近ではいわゆる高級車ではなくても、最初からナビが車に付いている事はそんなに珍しい事ではなくなってきたらしい。ナビ付きの車に乗っている友人知人をちょっと羨ましい思いで見てきたのもある意味事実ではあるが、ナビに頼らなきゃ道も走れないのかという偏見的な思いがあったのも事実である。
ナビに頼り切るのではなく、ナビを使いこなす、つまり何事にも疑いや理解を持った姿勢で取り組む人間性が問われることは、何も車の運転に限った事ではない。ナビに使われるか、ナビを人間が使うのか、この違いはとてつもなく大きい。
その違いが大きいという認識だけは常に忘れないでいたいものだ。

2003.5.4.




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