余暇


最近になって急に余暇をもてあますようになってしまった。
朝から晩まで目一杯、それこそ本当に朝から晩まで目一杯の長い時間をかけて働く事が美徳とされる風潮の組織の中で、俺はそれが正しい事と自分で自分を無理に納得させていたのだが、ここにきてその悪しき風潮を是正しろとのお達しなのだ。
俺はサラリーマンである。
会社の方針に従ってその組織に求められるように働く事は当たり前の事であり、大切な事だとよく理解しているつもりであるのだが、あまりにも突然すぎるし、その仕組みも確立しないままの労働時間短縮には無理がありすぎる。
大きな流れ的には、営業機会の拡大、つまり定休日の返上と営業時間の延長は押し進められる一方であり、現在の年間定休日の日数は3日間である。さらにその3日間のうちの2日間は棚卸し業務の為の定休日であって、営業休日ではあっても従業員にとっての休日の意味ではない。
労働分配率の削減も、もうこれ以上は無理というレベルまで来ているのだが、まだまだ人減らしは進められるものと推測される。
少ない人数で長時間のステージを回さなければいけないと言う事と、労働時間短縮をタテマエではなく本当に実行しなくてはならないと言う事は、従来以前のやり方のままでは無理が出るのは当然の事なのだ。仕組みも変えないまま、もう少し頑張りなさいと言われても無理なものは無理なのである。
いちばんのネックとなるものは、自分の気持ちの切り替えと思われるが、これだけは譲れないと今まで大切に守ってきたものを犠牲にしてまで、労働時間の短縮に取り組むべきなのか、いろいろと疑問は残る。
労働基準監督署に突つかれたからなんとなく、という会社の弱さとずるさが目に見えるようで気に入らないのと、今までの長きにわたる長時間労働体系による従業員の頑張りがすべて否定されてしまっているようで、その辺が悲しいのである。

月間で100時間を超える無償時間外労働を無くしなさいと言う事なので、これからは単純に1ヶ月につき100時間の個人としての余暇が増える訳なのである。この余暇をどう使おうか、なんて心配している自分にもちょっと情けないものを感じる。胸を張って自分のやりたいようにすればいいじゃないか、とまぁ、そんな事は判りきっているのだが、まずは持ち帰ってきた仕事をその余暇の時間を使ってやっている自分と決別する所からはじめる必要があるんだけどね。
会社人間よさようなら、と自分に言い聞かせてみる。


(文中に登場する社名、固有名、数字等はフィクションです)
・・・ と一応書いておく。

2003.4.23.




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