元旦営業


初体験。俺にとっての初体験である。
元旦営業。
小売業という仕事は、お客様があって成り立つ仕事である。
お客様のご要望に応える為、また、社会的な責任・情勢、そして会社的に生き残りを賭けた、いろんな意味を込めた元旦営業である。
元旦営業に関しては、決して別に目新しいことではない。
俺の勤めている会社は比較的保守的なスタンスをとる企業なので、どちらかと言えば、出遅れた感は否めないのだが、それでも元旦営業である。
やる前はかなりの抵抗感が俺の中にはあった。社会の中で企業が求められる責任と、企業が従業員を扱う姿勢、そしてたくさんの取引先の企業に及ぼす社会的な影響等々・・・。
終わってみれば、元旦営業はやってみて良かったと思う。俺が未だ現在独身という事を差し引いて考えてみても、それは俺なりの率直な感想である。既婚者においては家族や親戚との付き合い方そのものが、無理して言えば否定されるようなニュアンスが色濃いのだが、それでも消費者あっての我々の生活である。消費者の支持・満足が我々の喜びであり、そして我々の生活の源なのであることを考えると、やって良かったと思うし、これは成功だったと俺なりに思う。
俺の勤める会社は全国に約160店舗を構えるチェーンストアである。そのほとんどの店舗は今回初めての元旦営業で、それなりの結果と社会的な役割を果たすことが出来たと思う。しかし、企業が望んでも、元旦営業そのものが許されない事例も希ながら確実に複数店舗において存在した。いわゆる田舎の地域においては地元の派閥的な圧力により、当日の営業認可そのものが降りなかったのである。この地域においては例えばガソリンや理髪店の価格もどの販売店でも一律であったりする傾向が根強かったりもする。消費者の求めている物よりも、役所のホンネというモノが優先しがちな嫌なニオイが臭ってくる感じも肌で感じることが出来た事も、今回の収穫なのだろうか。
不況という一言で片づけてしまえば安易に終わってしまいそうな、モノが売れないこの御時世に、消費者の心を掴むには、いろんな工夫と努力が必要である。
日本には四季があり、多様な文化、地域に密着した需要、そして景気にかかわらず、求められる物と、期待される物がある。
不景気な世の中であればあるほど、人々、そして我々はイベント事、祭り事、社会慣習的な事、賑やかな事には関心を持つものであると思う。
やるからには情熱を持って、取り組むべし。
サラリーマンという言葉は、否定的な意味合いに等しい。
どんな職種・業種であれ、望まれること、そして従事する者が望むことはさほど変わらないはずだと、俺は考える。上から言われたから、ルールだからやるのではつまらなすぎる。自分が意志を持って、楽しんでこそ、そこにはやりがいがあり、次があり、未来があるのだと思う。
作業員は要らない。自分の意志を持って仕事が出来る者こそが求められ、必要とされるこの時代において、「情熱」というキーワードが今年の俺の豊富であり、この文章を読んでくれた皆さんにも共有してもらいたいテーマであると強く思う。

2003.1.3.




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