哀しいいなり鮨


近所に新装オープンした回転寿司屋に行った。
全皿100円である事を謳い文句にした、チェーン展開する回転寿司屋である。
新装開店する以前は何度か行った事があったのだが、お世辞にもきれいとは言えない古びた感じの小汚い店で、ごくごく平凡な印象しかなかったのだが、今回、建物を取り壊して新たに大きな店を作り直したとの事で、期待も高まる。
店内に入ってびっくりした。以前の面影はまったく無く、店内はとても広くて当然と言えば当然だがとても新しい。寿司の流れるコンベアの島が3本もある。
以前は、スタッフが寿司を作るスペースが島の中央にあってその周りをコンベアが回って寿司を運んでいたのだが、新しくなった店内の客席部分はコンベアのみである。
スタッフが寿司を作る厨房部分と、客席部分を完全に分けた形となっていた。客席からは寿司を作るスタッフの姿はまったく見る事が出来ない。俺的には回転寿司屋と言えども、スタッフが寿司を作る姿を見る事が出来る方が好きなのだが。

どこの回転寿司屋でもたいていそうだと思うが、回っていない寿司を客が注文出来る出来る仕組みになっている。この店では、スタッフが目の前にいないので、注文するときはインターホンを通じて注文するようになっていた。注文品の寿司はどうやって提供されるかというと、コンベアに乗せられて、他の寿司と一緒に回ってくるのである。
注文品は他の寿司と区別出来るように、黄色い色をした目立つ台座の上に乗せられてコンベアの上を流れてくるのだが、当然他の客もいろいろな品を注文するので、黄色い台座に乗った寿司はコンベアの上を常に流れている。どの客が注文した寿司かまでは判らないので、自分が注文した寿司を見逃さないように、注意していなければならない。
これは結構疲れる。注文したはいいが、自分が注文した寿司が回ってくるのを見逃さないように常に気を付けてコンベアを見ていなければならないのである。他の客の注文品と自分の注文した品を間違わないように、取り逃がさないように気を付けていなければならない。注文をする事がこんなに緊張するなんて、ちょっとどうかしている。
仮に、他の客が注文した品を間違って取ってしまったとしても、とがめられる事は多分無いのであろうと思われるが、自分の注文した品を取り逃がしてしまう事は、俺的には絶対に許されない事だと思い、注文した後はコンベアの上の流れてくる寿司を、それこそ目を皿のようにしてずっと見続けて、なんだか疲れるよって感じである。注文品くらい直接届けてくれるか、せめて誰が頼んだ品かを判りやすくしてくれ。

そんでもって、俺的に寿司屋に行くと欠かせない品が2つある。茶碗蒸しと、いなり鮨の2品である。たいていの場合、両方とも注文しないと食べられない品だ。茶碗蒸しは冷めるのを防ぐためにあえて注文を受けた時だけ、提供するようにしているんだろうなぁ、と理解出来るのだが、いなり鮨が常時回っていないのは何故なのかはまったくもって理解出来ない。かっぱ巻きと同様に、メニューには必ず載っている品でも、人気があまり無いと言う事なのだろうか。

俺は最後の締めとして、いなり鮨を食う事が多い。
いなり鮨は、他の生魚をネタにした鮨とは扱いが明らかに違う。甘辛く煮付けた柔らかい揚げと、酢飯の絶妙なハーモニー。いなり鮨はあまりにも一般的すぎるのか、軽視されがちな印象を受けるが、こんなに旨いものは他にはなかなか無い。
いなり鮨が旨い寿司屋は本物だと思う。マジで敬意を表する。
トロ、エビ、ハマチ、ウニ、イクラ、カニ・・・etc。どんなに有名どころの人気鮮魚ネタに気を使っていたとしても、いなり鮨がまずければその店は俺にとっては全然ダメなのである。
俺の理想とするいなり鮨は、しゃりは他のにぎり寿司と一緒では駄目。にぎり寿司は心持ち小さめのしゃりで良いのだが、いなり鮨に限っては、揚げがはち切れんばかりの多めのしゃりを詰め込んでほしい。さらに、しゃりの中にゴマを軽く入れてほしい。これは本当に好みの分かれる所なのだろうが、このゴマの風味がいなり鮨を最高のものに仕上げるポイントの1つだと俺は思っている。

・・・。

最後の締めの1品として、俺はインターホンでいなり鮨を注文した。
一定のスピードで回り続けるコンベアの上を、今か今かとはやる気持ちを抑えつつ、絶対に見落とさないようにと注視し続ける。
ついにその時はやってきた。
黄色い台座の上に乗せられた、いなり鮨の載った皿がコンベアの上を流れてくるのが見えた。だんだん俺の席までいなり鮨が近づいてくる。
だいぶそばまで近づいてきた。
しかし、何かがおかしい事に気が付いた。
皿の上に2カン乗っているはずのいなり鮨が、1カンしか乗っていない。
さらにコンベアが流れてきて、すぐ目の前まで来た。
いなり鮨が1カン足りなかった理由が判った。皿から落ちて、コンベアの上に転がっているのである。これはちょっとひどすぎる。
どういう理由で皿の上から落ちてしまったのかは判らないが、楽しみにしていた注文品のいなり鮨が、皿の上から落ちてコンベアの上に転がっているのである。
興醒めしてしまった。
それまで美味しく食べていた物も、新しくて広くて衛生的な店の雰囲気も、活気があって一生懸命に働いているスタッフの接客サービスも、それまではかなり好印象であったのだが、この皿から落ちたいなり鮨のせいですべては俺の中で無となってしまった。

そんなにいなり鮨が食べたければ、また新しく頼めばいいじゃんと、思う人がいるかもしれない。確かにそうだろう。俺もそう思う。
しかし俺にはそういう気持ちは働かなかった。いなり鮨が食べたかったのは確かであるが、どういう理由であれ、客の注文品が、皿から落ちた形で提供されようとしたのである。何か自分の中で許せない憤りを感じずにはいられなかった。
いなり鮨が食べられなかった事よりも、俺が取らなかったその皿は、その後どういう扱いを受けたのかという事の方が気になって仕方なかった。

注文品の印である黄色い台座に乗せられたいなり鮨は、誰かがコンベアの上から取らない限り、ずっと回り続ける事になる。スタッフが片づける事になったに違いないのであろうが、そのスタッフは何か感じたであろうか。
楽しみにしていたいなり鮨が食べられなかった事よりも、俺の為だけに作られたそのいなり鮨が多分そのまま処分されてしまったであろう事、そしてそれを片づける時のスタッフの気持ちを考えると、何かやるせない気分である。

2002.1.18.




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