伊丹十三


好きな映画監督は?
と聞かれた時に俺が答える1人の監督として、故・伊丹十三氏がある。
その魅力がなんであるかを考えた時に、誰もが知っている身近なテーマを誰にでも判りやすく、そして面白く描く事が出来る人であるから、というのが今までの俺の考えであったのだが、先日読んだ氏の「ヨーロッパ退屈日記」という本を読んで、さらに氏に対する興味と魅力が深まった。
この本は1976年に出版されたものなので、今から20年以上も前に書かれたものなのであるが、氏の着眼点、受け止め方、そして物事に対する取り組み姿勢や、自分の気持ちの伝え方など、すべてにおいて「粋(イキ)」であると感じさせられた。
奇をてらう事を好まず、オーソドックスな本流の流れを大切にしつつも、その中で自分の考えなり主張なりを、どうやって他人に伝えることができるか、そして自分を表現出来るか、という事を氏は常に考えていたのであろう。
ファッション、料理、語学、音楽、そして映画など、多岐に渡るテーマを取り上げて、「これこそが本流だ」という事を主張している。それがまた切り口が斬新だし、教養が深いと言うか、知識が豊富なのであろう、どうでもいい様な事にまでこだわったりしていたりなんかして、圧倒されっぱなしである。

その中で、俺の心に染みた節をここで紹介したい。

ホーム・シックというものがある。これは一時、人生から降りている状態である。今の、この生活は、仮の生活である、という気持ち。
(中略)
しかし、それを仮の生活だといい逃れしてしまってはいけない。
それが、現実であると受けとめた時に、外国生活は、初めて意味を持って来る、と思われるのです。

俺は外国で生活しているわけではないのだが、今現在の生活に対して、ひょっとしたら「仮の生活」だと考えている部分があったのかもしれない。成功しても、仮にそうでなくも、いずれは地元に帰るんだという、甘えの気持ちがあったに違いない。
ホーム・シックになっている訳ではないのだが、例えほんの少しでも、そんな甘えた気持ちがあっては、成功するものも成功するはずなどないだろう。

観光旅行に来ている訳ではないのだ。
試練は最大のチャンスであると自負すべき。
・・・自意識過剰なくらいがちょうどいいのかも、ね。


(引用文献)
ヨーロッパ退屈日記 / 伊丹十三 / 文春文庫 / 0195-713103-7384


2000.9.4.




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