言いたい事を言う効用


言いたい事があってもなかなか言い出せない性格。
逆に言いたい事は何でもズバズバと言ってしまう性格。
あなたはどちらの性格だろうか?

言いたい事があっても、それを言うことによって全体の流れが気まずくなってしまうんじゃないだろうか?とか、ギクシャクしてしまうのではないだろうか?と考えて、言いたい事を言い出せずに我慢してしまっている人も多いと思う。
また、ついつい思いついた事を後先のことも考えずに口に出してしまってから、後になってから、また余計な事を言ってしまったと後悔するパターンの人も多いと思う。

それらのバランスがほどほどにとれている人が普通とされているのだろうが、そのほどほどと言うのが非常に難しい訳であって、絶対的な基準が無い以上、相対的なものさしで計られてしまうことが多い。
あいつは愚痴っぽいだの、わがままだの、人に対して厳しい事を言いすぎるだの・・・。まぁ、いろいろな事を言われてしまう訳である。
人が人を評価してしまうって言うのがまたおかしなもので、人のことを悪く言う奴ほど、そいつもまた人から悪く言われてる事が多い奴だったりして、人の評価なんて物ははっきり言っていい加減なものなのである。
初対面の人に会う前に、第3者からその人の事についていろいろと聞かされる事もあるが、俺はなるべくそういう情報は受け流す事にしている。自分がその人とこれからどう接していくかが問題なのであって、他人から見た評価なんていうのはどうでもいい事だからだ。色眼鏡で人を判断して、その様に心づもりをして接してしまうなんて、どう考えてもおかしい。


俺は愚痴ばかりを言う人を苦手としてきた。
それは自分の中に愚痴を言うことは良くない事だという考えがずっとあったからなのだが、最近になって少し考えが変わってきた。
人間関係を円滑にすすめる為には、多少の愚痴も必要なのではないかと考えを改めるようになって来たのである。
自分は愚痴を言わずに我慢しているのに、なぜ人の愚痴を聞いてあげなければならないのか?とか、誰だってそんな事は同じように思っているハズなのに、この人はなぜ自分だけ我慢しているかの様に常に愚痴っぽく人にあたるんだろう?とか、そういう事が俺の中にはあったのである。
誰だって同じように思っているからこそ、コミュニケーションとしての愚痴というものが存在してもいいのではないか、と考えを改めるようになったのである。
人の愚痴を聞いてあげるという考え方がそもそも間違っていたのかもしれない。そのくらい我慢しろとかいう、高飛車的な気持ちで人と接していたら、円滑に廻っていく関係も自分から否定してしまっているようなものなのだろう。
人間関係には最初から上も下も無い訳で、たとえ組織という中での役職が上だろうが下だろうが、同じ土俵でそういう愚痴を共有出来て、また理解しあうことが出来たら、気持ちが楽になるのかもしれない。

人に愚痴を話す事が「カッコワルイ」という概念を取っ払うことが出来たら、俺ももう少しだけ成長出来るかもしれない。

2000.8.20.




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