生意気


ここの所、俺の部屋の蛍光灯の調子が悪い。
照明器具としての役割は取り敢えず果たしているのだが、不快な高周波の異音を発しているのだ。「ジジジジジジーーー」とか文字で表現するとこんな感じだろうか。
蛍光灯が電磁波を発するものなのかどうかは俺には判らないが、なんだかその不快な音を聞いていると、有害そうなものを浴びせかけられているような気になって来る。

蛍光灯の不具合と言うと、ちょっと思い出すことがある。

俺がまだ会社に入ったばかりの頃の話。
その職場では、職場の蛍光灯が切れて点かなくなると、自分たちで取り替えることになっていた。いろんな色やサイズ別にきちんと整理されてストックされている備品室から、同じものを探してきて交換するのだ。
売場部分に使われている蛍光灯の数がちょっと多いせいか、それこそほとんど毎日のようにどこかしらの蛍光灯が寿命を迎えて、パカパカと不規則に点滅してその交換を催促し始めるのだ。
その日も俺は、点かなくなってしまった蛍光灯を取り替えていた。ところが新しいものに交換したにもかかわらず点かないのだ。こりゃ点灯管(グローランプ)の不良だったかとそちらも交換してみるが結局、点かず。
自分の手に終えなくなった俺は、営繕・設備担当の部門の人を呼んで見てもらうことにしたのだが、俺がその人に説明をしているのを隣で聞いていた俺の上司がすごい勢いで俺を叱った。
俺の説明のしかたが生意気だというのだ。
その時の俺はろくな経験や知識もないくせに「・・・どうもトランスの具合が悪いみたいなんでそこを見てもらいたいんですけど」と設備担当の人に説明してしまったのだ。

上司いわく「蛍光灯が点かないから見て下さいと、それだけ言えばいいだろう。自分が判りもしないことを偉そうにプロの人に対して判った風な口のきき方をするな。」とまぁこんな感じで俺は叱られた。
その時の蛍光灯の点かなかった理由は本当にトランスの不具合だったので、俺は叱られたことの本当の意味をしばらく理解出来ずに上司を逆恨みしていた。

何年かの時間が経った最近になってみて、ようやくその時の上司が言おうとしていた意味が判ったような気がする。

自分が叱られるよりも、誰かを叱らなくてはならないことの方が多い立場になってきた今、作業効率よりも、相手に気持よく働いてもらうための環境作りとか、そんなことを少しずつだが考えなくてはならない機会も多くなってきた。
誰でも、人に言われたことを「作業」するのではなくて、自分で考えて「仕事」したいと思っているはずだ。

自分で考えて工夫すること、自分のすることに対して責任を負うこと。

仕事のやりがいなんてそんなもんじゃあなかろうか。やり遂げた後の達成感とか、うまくいった時の充実感・満足感なんていうのは自己満足でしかなくて、やりがいとはまた違うものなんじゃないかってね。


こんな風に判った風な口をきいているとまた「生意気」だと言われるだろうか。






HOME 伝言板