包丁


俺は某チェーンストアの精肉部で働いている。
平たく言えば、スーパーのお肉屋さんだ。
仕事の内容は肉を売る事なのだが、仕入れてきた商品を陳列しておけばいいというものでもない。どうしても加工という作業が必要になってくる。
包丁で筋(スジ)を引いたり、料理用途に合わせた形態にカットするのだ。

家庭用の包丁がたいていの場合両刃であるのに対して、業務用の(筋引き)包丁は片刃である。右利き用の場合は包丁の右側にだけ刃が入れてあり、左側はまっ平らになっている。左手で筋の端をつまんで、包丁を滑らせるようにして筋を引いて行く時に、滑らせる部分が平らになっているのだ。両刃だと赤身肉までいっしょに削ってしまう。

スーパーに勤めている以上、俺も含めてそこで働いている人間はいわゆるサラリーマンだ。しかし、仕事の特殊性というか、職人気質の人も少なからず存在する。
包丁なんていうのは会社の備品の一つに過ぎないはずなのだが、たいていの場合どの包丁を誰が使うかが決まっていて、勝手に人の包丁を使おうものなら、嫌な顔をされるか、ひどい場合はド叱られたりするものだ。
俺の場合は入社2年目にして、いわゆるマイ包丁を与えられた。とは言っても新品なんて物じゃなくって、ずっと使われていなかった中古のものだった。しかし自分専用のものが与えられるというのは嬉しいものだ。
仕事に対して意欲が湧いたし、道具を大事にするようになった。そして何より切れ味を落とさないようにまめに研ぐようになった。それまでは切れなかったら、切れ味の良い包丁を使えばいいや、ってな感じで、メンテナンスに対する意識が低かったのだ。これだけでも大きな意識の変化があった。
チェーンストアという会社の仕組み上、転勤も何回かした。今働いている店は俺にとって5店舗目になる。転勤の度に職人を気どってマイ包丁をずっと持ってきていたのだが、ついに限界が来た。
そう、包丁は研げば研いだ分だけ小さくなるのである。もう使用に耐えられないくらいに丈も幅も小さくなってしまったのだ。それよりも何より致命的だったのは、研ぎ方が下手だったせいか、刃が変な形になってしまったのだ。
先から1/3くらいの位置の部分だけが「えぐれた」様になってしまい、まな板との間にすき間が出来るようになってしまった。これではまともに肉を切る事なんて出来はしない。俺にとってはかなり愛着のある一番身近な道具であったマイ包丁を手放した。
新しい包丁はそれはそれは立派なもので、俺にとってはかなりぜいたくな物の様に感じられた。新しいと言っても今回のも中古品なのだが、まだ新品に近い。今まで使っていた包丁も、もとはこうだったのかと考えると何やら感慨深い物を感じずにはいられない。グリップの感触、刃の大きさはもとより、重さの違いが気になってすぐには馴染めなかったのだが、最近になってようやく自分のものになってきた。慣れるまでに1ヶ月近くの時間を使用したことになる。
なんで慣れてきたのかって言うと、昨日・今日と2日続けて包丁で指を切ったからである。傷自体は全然たいしたものじゃないんだけど、何事も慣れてきた頃に失敗をおこすという教訓である。
これから年末商戦を迎える。1年を通していちばん忙しい時期だ。
気合いを入れるべし。




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