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K's Room Odds & Ends

 Vol.5 「ゆう君」との日々

平成13年6月×日 

 普段買っているtoto(サッカーくじ)でさえもそうなのだが、親父は今まで歩んできた三十数年の人生は、自分にはまるで「運」などなく、「神様なんて、いやしないんだあ!(・・・)」と実感していた日々の連続であった。

 しかし、どうやら「ゆう君」は違うようだ。

 産休で会社を休んでいたママ様の出勤予定日も後数日と迫ってきた。保育園は依然として空きなし状態、いよいよこれは給料がそのまま流れて行ってしまうような、民間の託児所を探さなければならないかと腹を括っていたような時、区役所から突然に電話が入った。

 区では保育園に入園できない子供達の受け皿として、“保育ママさん”制度というのをおこなっていた。それは、保母さんの経験や、その他様々な条件をクリヤーして認定された個人が、自宅で三人まで新生児を預かってくれるというものだった。当然区の制度なので、料金も区立の保育園と変わらない。

 親父は福祉センターに行った時に、受付のおばさんに、区でやっている別の制度もあると紹介された。しかし、倍率もやはり保育園並ということであったので、“どうせ当たるはずないわい!”とばかりに、一応申し込みだけはしておいたのだった。

 そして、な、な、なんと、ママ様出勤のリミットぎりぎり10日前にして、「ご近所の保育ママさんで、お宅のお子さんをお預かりします」という吉報が入ったのだった。

 まさに青天の霹靂。

 寝耳に水。

 馬の耳に念仏(・・・)。

 まだ神は見捨ててはいなかった!

 やはりただ者ではない強運の「ゆう君」。この子は神の子ではないのだろうか?!(・・・)

 

 

 区から紹介された保育ママさんは、我が家から歩いて10分くらいのところにあるマンションに住んでいた。

 小学校に通う二人のお子さんのお母さんでもあり、自宅のマンションで既に二人の新生児の面倒を見ているという事だ。このバイタリティーは本当に凄い。そして、偶然にも「ゆう君」を含め三人とも元気な男の子で、名前が「ゆう○郎」君、「ゆう○」君、そして、わが家の「ゆう○」であった。

 こんなに今、名前に「ゆう」を付けるのが、流行っているのだろうか?

 

 こうして本当に運良く、「ゆう君」の預け先は、まさに突如として決まったのである。

 しかし、こんな事は本当に希なケース。母親が一年育児休暇を使って保育所待ちをしても預け先が決まらず、泣く泣く退職に追い込まれるなどというような事実さえあるようで、我が家はなんとも運が良かっただけである。

 昨今の新聞紙面で取り沙汰されている深刻な託児所不足は現実に健在であり、そんな現状を実際肌で体験した親父なのであった。

  

 

 

 

平成13年6月×日

 

 朝、親父とママ様はあたふたと出勤の支度をする。

 いよいよ今日は保育ママさんに「ゆう君」を預ける初日、「ゆう君」の出家の日だ。

 久々のママ様の出勤ということもあり、初めての出家の段取りに我が家は大顕わである。

 今迄だったら「ゆう君」は、まだママ様と二人静かに眠っているはずの時間である。それをまずは起こさなければならない。なんとも可愛そうだなあと思いながらも、おむつを替え、着替えを済ませる。

 こんなまだ何も分からないような赤ちゃんのはずなのに、心なしかどこか普段と違う事を感じている様子で、せっせと支度をするママ様の顔を不安げな表情でじっと見つめている。

 親父は台所の影からそんな様子を見て、そっと涙を拭うのだった(・・・)。

 保育ママさんに渡すバックに、冷凍した母乳や、哺乳ビン、着替えにおむつ、必要な物を詰め、ベビーカーを三階から一階まで降ろす。

 外は、梅雨だと聞いていたはずなのに、太陽全開うだるような暑さ、こんな中「ゆう君」をベビーカーに乗せ、保育ママさんの家まで出発である。

 

 

 

 家から近いとはいっても、「ゆう君」を置いてから駅に着くまでには30分くらい計算しなければならない。汗だくになりながら、保育ママさんのお宅に到着。優しそうなお母さんの笑顔に、取り敢えず親父もママ様も一安心である。

 こうして初めて我が子を手元から放し、出家させる事となったママ様と親父は、保育ママさんのお宅の玄関先で、「ゆう君」とのしばしの別れにそっと涙を浮かべるのであった(・・・)。

 当然ながら「ゆう君」も強烈な子供の本能で異変を感じ取り、泣き暴れて大変な事態になるはずだと想像していた親父であったが、ベビーカーに乗せるや否や「ゆう君」は涎を流して爆睡、幸せそうな寝顔で保育ママさんに抱きかかえられ、扉の向こうへと消えて行ったのであった。

 

 その日、取る物も取らずに、仕事が終わるや否やあたふたとお迎えに駆け付けたママ様の腕の中で、自宅に戻った「ゆう君」は、しばらくの間仏頂面を決め込んでいた。

 自分がどこかわけが分からないところに置き去りにされたと、やはり本人は気付いているのである。

 その日の夜「ゆう君」は、抱っこをしても、ミルクを飲んでも泣き通しだった。

 しかし、親父はこれも試練と考える事にした。

 いつかは、「ゆう君」も外の世界に出て、独りで歩き出さねばならない。

 順調にプロゴルファーになれば、ツアーで世界中を股に掛け、こうして両親と会えるのもほんの束の間のはずである。それならば、外の世界に慣れるのは、早ければ早い方がいい。

 一体誰のせいで、「ゆう君」は人の手に預けられるのかを棚に上げ、親父は一人そんな思いに浸るのであった。

 

 

 

 

平成13年6月×日

 

 親父とママ様が結婚し、やがて穏やかに生活のパターンが落ち着き、特に贅沢さえ言わなければ、特に不自由ない二人の生活の中に、「子供」が入ってくるというのは正直なところ実に不安であった。

 夫婦して子供を切望していたわけでもなく、特に親父の方は、目の回るような多趣味の中の生活で、“なんて、俺の人生は、幸せなんだあ”と、涎を垂らしてにやけているような究極のアホであり、毎日お腹一杯だあなどと考えていた程だった。

 と、ところがである。

 「人生には、まだこれが待っていたのか!」と、叫びたくなるほどの、薔薇色の日々が突如訪れた。そう、それが「ゆう君」の登場なのである(本当に“ぶあか”だ)。

 

 

 子供との生活とは、自分の中奥深くに封じ込められていた感覚一つ一つが、次々と目覚めさせられるような日々の連続である。

 赤ちゃんはお腹が空けば泣く。当然ながらそこには、遠慮も、羞恥心もない。おむつが汚れれば暴れる、お腹が一杯になれば、機嫌良く笑っている。飾りも建前もない感情の動物である赤ちゃんに接することで、まるで悟りの境地にでも入ったかのように親父の心は落ち着き、深い愛情が呼び覚まされてくるのである。

 世話が大変だの、自分の時間が取れないだなどと、想像する育児は実に面倒臭くなるような事が多い。しかし、始まってしまった育児は、ただの日課でしかない事に気付いた。

 自分のお腹が減っていて、食べるのが面倒くさいという人はあまりいない。寝る時に布団を敷くのが面倒だと、そのまま床に寝ている人も世の中では少数派のはずである。

 生活していくためにしなければいけない事が少々増える。そして、それは、もう一人の家族の誕生という出来事で、補っても余りある生活の豊かさをもたらしてくれる。

 

 世間では昨今、幼児虐待や理由のない小学校での無差別殺人など、信じられないような事件がテレビを賑わしている。

 そんな報道を耳にする度に、子を持った親父としてはわなわなと拳を握らずにはいられない気分になる。

 先日、飲み会で普段バドミントンでお世話になっているNさんと一緒になった。

 Nさんは二人のお子さんの父親で、誰よりもSOULなハートを持ち、仲間からは一目置かれる人気者である。

 「Kさん、こないだの大阪の事件は、ちょっと燃えたでしょう?」Nさんが言った。

 突然男が小学校に乱入し凶行に及んだ、あの思い出すのも嫌な事件のことである。

 「そうですねえ」と、親父は答え、「Nさんが、もし少しでもあの事件に関わったら、あんな犯人許さないでしょうね」と言ってみた。

 すると躊躇なくNさんは、「ええ、私だったらダンプであの犯人の乗った護送車に突っ込みますよ、絶対に警備の隙はありますからね」と言った。

 熱く語るNさんの、具体的なプランがある事には驚いたが、実際に子を持った親父には、そんなNさんの気持ちがやたらと通じるのであった。

 

 「ゆう君」が登場してまだ三ヶ月余り、これから先に何が起こるのかは想像もつかないが、また一つ人生の中で楽しい出来事を体験してしまった親父は、もう満腹、何も食べられない!のであった。

 

親父より、皆様へ

 

 大変なご反響をいただきました「親ぶあか日記」ですが、取り敢えずここまでを第一部として、一度「完」とさせていただき、しばらくの間お休みします。

 フル充電完了後、また再び近い将来に再開の予定です。

 その頃には「ゆう君」はいくつになってるかなあ、そうすると親父は××・・・

 尚、「ゆう君」と実際にお会いしたい方の我が家へのご訪問は、随時受け付けておりますので、お気軽に遊びに来てください。

 ほんと〜〜〜に、可愛いんだなあ、これが!!

 

 

2001.7.29

親ぶあか日記 第一部 −完−


K's Room

東京大田区バドミントンサークル



 

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