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K's Room Odds & Ends

2004年、アテネオリンピック

 アテネオリンピックが終わってみて思い当たる事と言えば、とにかく眠かったということである。積極的に深夜まで起きて見ていたというわけでもないが、なんとなく見始めてしまえばやはり結果まで知りたくなってしまうもので、平日の深夜2時、3時が就寝時間となり、気候がおかしかった事とも相俟って、この時季僕はすっかり体調を崩してしまった。まあ僕以外にもそんな方も多かったろうとは思うのだが、他国での開催となれば概ね時差が発生するわけで、競技の観戦が深夜になっても仕方ないなあと納得しようとも思った。しかし、今回の開催国ギリシャとの時差は6時間程度だという。 

 あら?

 と、すると、あれほど苦しんで見ていた女子マラソンにしても、現地時間では夕方の6時スタート。野口みずきがトップでゴールした瞬間、現地では夜の8時半頃であり、日本では概ね深夜2時半頃であったのである。完走した最終ランナーに至っては(今回の場合66位のモンゴルの選手が概ね3時間50分掛かっている)おおよそ現地時間の夜10時頃のゴールとなる。10時頃なら、まあそれほど遅くもないだろうとは思える。しかし、実はこの日の陸上競技は、この女子マラソンが初っ端の種目であり、フィールドでおこなわれた男子100メートル決勝に至っては、実に現地時間11時30分の開始予定となっている。こうなると、やはりちょっと変なんじゃないのという思いは消えない。深夜にスタートする選手の調整がどれほど大変であろうかとは、まあ素人でも想像できるし、夜の11時半から始まる競技を楽しみにしている現地の観衆の人達もかなり辛いものがあるのではないだろうか。

 すると、この競技時間は何を基準として設定されたものなのか。

 ここで、ああだこうだなどと言わなくても、もはやどなたでも気付く事ではあろうが、世界最大のモンスターフェスティバルのオリンピック、現地での観戦者がせいぜい数万人だとすれば、世界中のテレビの前には何億という人間がいる。そうなれば、莫大な放映料を支払っているお客さまの国のもっともポピュラーな競技を、その国のもっとも都合の良い時間に放映するために競技時間そのものを設定するような考え方が存在してくる。具体的に言えば、アメリカで大変な視聴率を当て込める陸上の男子100メートル決勝が、アメリカ時間で概ね夕方の6時頃、アメリカ国内では人気スポーツベスト30にも入らないサッカーや、もはや“やってる人さえいない”バドミントン等の競技が(!)、アメリカ時間では早朝であったのも頷けるというのは考え過ぎだろうか。そうなると、日本国民を寝不足のどん底に落とし入れ、僕の体調を崩す原因を作った犯人はアメリカだったという事になる。

 「アメリカめー、何たる事だぁ!!」

 日中の気温33℃を引きずったまま高低差実に200メートルのコース、何か別のトライアル競技とした方が良いのではないかと思える過酷な条件下で、今回のマラソン競技はおこなわれた。その結果として、女子選手82人の参加者中、棄権が16名という惨事となり、その中には現在の世界最高記録を持つイギリスのポーラ・ラドクリフ、前回シドニーでの銀メダリストのリディア・シモン等も含まれている。ゴールした選手も次々と熱中症で倒れ、優勝者の野口みずきや、準優勝のヌデレバ等が、嘔吐に苦しみすぐにインタビューに答える事が出来ないというような異常な事態まで起こった。これでは同じコースで古代ギリシャ軍の兵士が、勝利の伝令を届け息絶えてしまったのも納得がいき、まさに死者が出なかった(?)だけでもこの企画はよしとしなければならないようだ。

 女子マラソンでのレース終盤、独走する野口みずきを追いかけ、時折画面に映るヌデレバの様相が異様に怖かった事が僕には思い出される。応援する日本人選手に追いつこうとしている外国人選手というよりは、「スピーシーズ」に出てきたモンスターが、まさに獲物を追いつめる様のようだった(って、よくわからないっすね)。30秒以上の差をじりじりと詰め寄り、それがやがて10秒余りになった時には、最後には怪物にバリバリと食われてしまうのではないかと思い(・・)、深夜のテレビの前で本当にドキドキであった。ただ、最後のトラックに入ってきた時(先頭の野口がお気楽にガッツポーズなどを作ったのには思わずたじろいだが)、続いてスタジアムに姿を見せたヌデレバには明らかに余力がないのが見て取れた。前回のシドニーでの最後のトラックで高橋尚子を追い上げるターミネーターT1000型的なシモンの走り(ぜんぜん分からないっすね)とは明らかに違って見えた分、まだ安心していられたのも事実であった。

 金メダルの野口を筆頭に、全員入賞を果たした日本の女子3選手。レース後は「無事に生きて帰れてよかった」とみんなで泣いたという。これはレースの過酷さもともかく「日本代表、金メダル」という、この上なく重い十字架を背負ってしまった選手達の生身の声だったのだろうなと僕は感じた。

 女子マラソンのレースを観ている最中、レース中の選手に対するバックアップ態勢が余りにも貧弱な事が僕は気になっていた。お国柄などと言ってしまえばそれまでかもしれないが、安に走者に近付く沿道の観衆が多く、それを止めに入るような密な警備体勢も出来ていなかった。中継車は走者とぶつかりそうになり、走者の方が歩幅を調整するような信じられないシーンがあったり、撮影のオートバイが走者のすぐ後ろをすり抜けたりしていた。これなら日本の大学生の箱根マラソンの方が遥かに厳重で慎重な警備運営体勢である。

 男子マラソンにはまったく興味がなかったので、翌朝のニュースでその結果を知っただけだが、“偉大なる宣教師”が先頭ランナーに抱き付いたなどというハプニングを知った時、だからいわんこっちゃないと感じたのは僕だけだったであろうか。

 オリンピクに出場したどの競技のどの選手でも、その人なりの十字架というものを否応なく背負っている事と思う。そして、過去の大会を見たとき、前評判が高く金メダル確定などと言われた選手ほど、想像以上の重さに膨れあがった十字架に耐えきれず、その実力を出し切ることなくオリンピックの舞台を後にするシーンを幾度目にしたか知れない。


 競泳の北島康介が背負っていたそれは、そんな日本選手の中でも最も重いものの一つだったと僕は思う。

 北島が2003年の世界選手権で100、200mに優勝、しかも世界新記録のおまけ付きという完璧な結果を出した瞬間、僕は「あー、またかよ」と思った。このパターンじゃ駄目だ、過去の日本水泳陣が辿ってきた道すがらそのままに、早すぎるピークがオリンピックを迎えるまでに徹底的に潰される要素となる、僕にはそんな風に思えたのである。言わずがなその最も大きな要因は、マスコミ、世論の過剰の注目と期待である。バルセロナでメダル当確といわれた千葉すず。アトランタでは、同年の世界最高記録を持ち出場したバタフライの青山綾里、平泳ぎの田中雅美。惨敗した競技後、泣き崩れた彼女達の姿がまた思い出されてきたのだ。

 現に前哨戦と目されたアテネオリンピック直前の世界大会を、北島は悲惨ともいえる成績で終えている。膝の怪我などがあった事も後では知ったが、背負った十字架が異様な重さになっているのは誰の目にも見て取れたはずである。

 「試合に勝つ」その事の重圧だけに囚われてしまった選手の競技を見ている時、観戦している側もまるで何かがブラウン管を通して伝染するかのように、訳の分からない不安感に支配されてしまうことがある。ゲームを楽しむどころではなく、もう既に敗戦したかのような絶望感を抱えながら、奇跡のようなどんでん返しをただただ待ち焦がれるような気分になってしまうのだ。今回の大会で言えば、野球の長嶋ジャパンや、シドニーでの雪辱を狙った女子ソフトボール、個人で言ってしまえば柔道の井上康生や 女子レスリングの浜口京子の試合がまさにそうだった。

 本来であれば、今回の北島もこういった形の敗戦パターンが濃厚だったと僕は思っている。しかし、本当に勝てる人間、一握りの選ばれた天才には、その実力の他に強力な後押しが現れるものだとつくづく考えさせられる出来事が起こった。それは、アメリカの代表選手選考会でブレンダ・ハンセンが北島の持つ100、200mの記録をことごとく圧倒的なスピードで塗り替えたという出来事だ。この瞬間に、まさに大会直前、北島からレコードホルダー、そしてチャンピオンという称号が消え去った。これは同時に膨れ上がってもはや身動きも取れなくなりつつあった十字架が、姿勢を正して歩けるほどの重さに激減した事も意味していると僕は思っている。

 結果として、北島は会心の成績をオリンピックの舞台に残すことが出来た。競泳競技で本命といわれ、その前評判通りの成績を残せたのは、近代の日本水泳においては北島がまさに初めてだったといえる。この北島の金メダルは、日本競泳陣に宿命のように絡み付いていた暗雲を払拭するという意味でも、大きな出来事だったのではないだろうかと僕は思う。

 投き競技といえば、巨体を持て余した白人の肥満者が、力任せに鉄の固まりをぶん投げて記録を競い合う、力自慢コンテストのような物だと僕は思っていた。まあいい加減な言い方であるが、多かれ少なかれそんな見方が極めて一般的な人の捉えられ方ではなかっただろうかと思う。しかしながら男子ハンマー投げの室伏のあのスマートさはどうだろう。徹底的に鍛え上げられたアスリートの体が、筋力のみならずその柔軟性と分析理論立てされた投法を駆使して外国人選手達と対戦していく。元々体格、筋力に勝る外国人選手にしてみれば、室伏の存在はなんとも奇異なものに映っているのではないだろうか。

 この大会で室伏が世界一のアスリートと認められた時、僕はメジャーリーガーイチローの存在を連想ぜずにはいられなかった。筋力を鍛え上げスタンドにボールを放り込む事を野球の究極と見る流れのあったメジャーリーグの中で、野球本来の「走・攻・守」を最高のレベルで表現し、本場の観客達にその力と精神を認めさせたプレースタイルは、まさに室伏と共通しているのではないかと感じた。

 今回のアテネオリンピックにおけるハンマー投げ競技は、残念ながら金メダルを剥奪されたアヌシュの話題で席巻されてしまったようだ。それにしても思う。結果的に金ダルを剥奪されたアヌッシュは、なぜあんなふうに“すぐにばれるような”安易な手段を使わねばならなかったのか?

 大変ないたちごっこの末に科学の粋を集めて作られた勝利の一滴(一粒?)が、その性格に反して実に衝動的に使われているように思えてならない。以前ソウルオリンピク男子100mで、カナダのベン・ジョンソンが金メダルを剥奪された際、二着でゴールしたカール・ルイスは「おかしい」といった意味合いのコメントを残している。それは、今回のハンマー投げの場合でも同じだが、ぎりぎりの競い合いをしている同じフィールドの選手が、直感的に感じるわずかな違いがそこにはあったのだと思う。決勝を前にした準決勝での成績の後、ベン・ジョンソンは伸びない記録に首を捻り、朗かに苛立っていた様子も伝えられている。と、すれば、最後の一滴(一粒?)は決勝戦の直前に使用されたという事になる。レース後に検査がある事など重々承知しているのに、である。この部分が今回のアヌッシュと非常に似ている。常習だった短絡的だったと言ってしまえばそれまでだが、後の事をなりふり構わず目の前の金メダルを取りにいきたくなるような心理は、まるで指輪物語のリングの持ち主のように(これも、わからないっすね!)、もはや取り憑かれているとしか僕には思えない。常人には知る事の出来ないオリンピックという舞台の中、金メダルを目の前にぶら下げられた選手の心理は、衝動的で、極めて刹那的なものであるという事なのだろうか。

 渾身の力と叫び声と共に、日本国民の全期待を背負って放たれた室伏の完璧といえる最終投きは、アヌッシュの記録に28センチ足りずに終わった。室伏は地面に拳を打ち付けてその結果を悔しがった。アヌッシュは室伏に勝つために、28センチ余計にハンマーを投げる為に、地位も名誉も選手生命さえも失ってしまった。しかしながら、皮肉な言い方ではあるが、目的の金メダルはしっかりと手に入れ、懐深くに収めた様子である。

 シンクロナイズドスイミングのデュエット、悲願の金メダルを狙う立花、武田組。この数年来、事実上のロシアとの一騎打ちの中、2001年の福岡での世界選手権においてはたった一度だけ金メダルを獲得した経緯がある。しかしながら、それ以外の試合ではそのすべてにおいて銀メダルに甘んじている。

 僕は個人的には採点競技というものが好きではない。明確なルール付けがなく、第三者の手に勝敗が委ねられる方式が、どうにもあやふやで気に入らないからである。そんなわけで、アイススケート等も含めてほとんどこういった種類の競技は見ない。しかしながら、ダイジェストで見たこの競技、日本のペア、ロシアのペアそれぞれが出場した瞬間に、実に勝手な言い分ながら、「あー、やっぱだめだよなー」という感に陥ってしまった。まだ演技をおこなう前にである。こんな些細な文章とはいえ、公の場で差別的な発言をする事は大いに問題であろうとは思うのだが(!)、例えば同じ完璧な演技を繰り広げたのであれば、もはやプールに飛び込む前に、どちらに高得点が入るかは一目瞭然であろうと思う。これ以上言うと大変な事になりそうなので止めにする。

 高校に入学したての頃、部員集めに苦労していた「弓道部」の先生が「練習なんかしなくても、“まぐれ”で全国大会まで行けるぞ」と、本気で僕たち新入生を口説いていたのを憶えている。


 弓道ではないが、昨今日本でアーチェリーの競技人口が増えているという。まあ、まぐれで云々というのはアーチェリー競技に対して非常に失礼な話ではあるが、それは置いておいても、つくづく日本人は安易な種族なんだなあと思わずにはいられない。遠く「サインはV」の時はバレーボールが、「エースをねらえ」でテニスが、「スラムダンク」に至ってはバスケットボールが、漫画に感動したというだけの理由でその競技人口が一時的に増加するといった現象が起きていたわけである。アニメに感化されるのも、まあ日本人くらいなものであろうが、それでもまだ純粋に感動を受けた末の行動であればいい。しかしながら、今回の山本先生「中年の星」のアーチェリー銀メダルに関してはいかがなものであろうか。あの激戦に感動してといった方ももちろんいるとは思う、しかしながら、「なんか自分にも出来そうだから」といった勘違い動機の人が実はその大勢を占めているのではないだろうか。矢を的に当てるだけだし、道具も軽そうだし、走るわけでもないし、何よりあんなおじさんがメダルを取れるわけだし・・・。本来なら射撃、近代五種などと並んでテレビ放映さえ危い種目を、一躍有名にさせた山本さんの功績は素晴らしい。しかし、安易な競技と捉えられてしまったのでは、銀メダリストの胸中も実に複雑なのではないだろうかと思ったりする。

 静止した状態を保ったままギリギリの神経戦を展開するアーチェリーという競技。ちょっと胃の悪い人ならば胃痛を起こしてしまいそうなほど過酷であろう事はすぐにでも見て取れる。バドミントンをやっている人なら分かるはずである。仮に連続三十本、相手にプッシュを打たれないようにサービスショットを打つだけの競技であったならば、とっくの昔に僕は辞めている。

 体操の塚原直哉が、体操競技を選んだ瞬間から背負わされてしまった十字架は、いったいどれくらいの重さであったろうか。アトランタ、シドニーと日本選手の第一人者と呼ばれ、眉間にしわを寄せて必死に演技し、結果惨敗していった彼の姿に、僕はただただ悲壮感を感じ続けていた。そして今回、その功績はいかほどであったにしろ、団体の金メダルが彼の首に掛かり、涙に暮れる彼の姿には、他人事ながらも安堵に胸を撫で下ろしたものだった。

 体操男子団体戦の決勝。仮に生放送でこれを見る事が出来ていたら、これまで目にしてきたあらゆるスポーツシーンの中でも、紛れもなく三本の指に入るくらいの名勝負に違いなかった。翌朝のテレビでのダイジェストを見て、その事に気付いた時の悔しさったらなかった。

 「これも、アメリカのせいかあ!?」

 それにしても、最後の種目鉄棒で、最終演技をおこなった冨田のプレッシャーがどれほどのものであったかは、もはや推測の域を越えている。「冨田が、普段通りの冨田であってくれれば、日本に金メダルがおとずれます!」と、アナウンサーを絶叫させる中、最後の着地を微動堕にせずマットに突き刺した冨田の演技は、審査員に出るはずがない高得点を出させた事で、その状況の異様さのすべてを表わしていたように思える。

 アルベールビル冬季オリンピックジャンプの団体戦で、最終競技者の原田が「普段通りの原田であってくれたなら」難なく手に入れられるはずだった金メダルを日本は逃している。少し状況は違うが、1993年のサッカーワールドカップ予選では、ロスタイムのあとわずかワンプレー、日本は失点さえしなければその出場が決まっていた状況で、ほぼ手中に手繰り寄せていたワールドカップ出場を逃している(“ドーハの悲劇”などというださいネーミングは、いったい誰が付けたんだ!)。最大のプレッシャーが掛かる場面で、通常のパフォーマンスを求められる中、通常である事がどれほど困難であるか、それを考えた時、この時の冨田、そして、体操男子の若者達はまったく次元の違うメンタルを持って生まれて来た新しい種族なのではないかとさえ思えてしまう。

 話はぜんぜん変わるが、近年の体操競技では、演技の中でウルトラE難度などと呼ばれるもはや人間業とは思えないような技が平然と行われている。そんな中、平行棒の競技において突然「モリスエ」と静かに呼ばれる技がある。平行棒という競技の性格上、よほどのことがない限り、アナウンサーが平常心を失い絶叫を響かせるような事はない。黙々と演技がなされ静かな語り口で微妙な技が解説されていく中、突如として「モリスエ」とまるで呟きのようにこの技の名前が発声されるのである。よくは分からないが、この技は演技者の体が空中に浮いた瞬間、平行棒を両脇で抱え、両足を揃えて前に出す形を言うようである。ロサンゼルスオリンピクで「森末慎二」が始めてやった技らしい。僕はこの「モリスエ」を聞いた時に、あの森末慎二のにやけた顔が目に浮かび、何かもう少し違う名前に出来なかったものかと思わずにはいられなくなるのである。 

 今回のオリンピックで、テレビ中継、録画も含めて期間中最後に僕が見た競技は、男子レスリングフリースタイル60Kg級の三位決定戦、日本の井上耕二の試合だった。女子レスリングの4階級ですべての選手が世界チャンピオンというウルトラど派手な看板を掲げていたのとは違い、かつてのお家芸男子レスリングは目立った選手もいない中予想通りの苦戦を強いられていた。そして、これがその最後の試合。井上という選手も始めてなら、このオリンピクで男子レスリングの試合をきちんと見たのも僕はこれが始めてだった。そして僕はこの録画中継で見た名も知らなかった選手の試合に飲まれた。この試合の中での、井上から伝わる気迫、勝とうとする執念、鬼気迫るとはまさにあんな様を言うのではないだろうか。

 試合は一進一退の攻防、井上が残り数秒で一点差を追い付き7対7の同点から延長戦へ。井上は一時も休まず攻め続ける。時折映るセコンドのコーチも激しく声を掛け続け(ちなみにこの人は全日本の監督で、ロサンゼルス大会フリースタイル57Kg級金メダリストの富山英明氏)、試合内容は素人目にも五分。一瞬、微妙な投げ技で井上がポイントを奪い、この瞬間に井上の勝利と銅メダルが確定した。しかしながら、当人は無我夢中で自分の勝ちさえも気付かず相手をまだ攻め続けている。そんな井上の元へ、まだ“最後の一礼も終わらぬうちに”、二人のコーチが喜びのあまりなりふり構わず駆け寄る。それを合図に勝ちを確信した井上が、まるでコーチを対戦相手かのようにことごとく押え込む。簡単に言ってしまえば、体格の良い男達が世界中継の行なわれているレスリングのマットの上で、挨拶の儀式も終わらぬ内から大の字になって抱き合っているのである。これを見た時、これほど純粋に勝ちに歓喜した選手やコーチの姿がテレビに映し出された事があったろうかと僕は考えた。銅メダルという一つの結果を得た事に喜ぶ気持ちともう一つ、一試合に勝ったという純粋な勝利の感動がこの人達の中にあったと僕は感じたのだ。この井上という選手、後々調べてみれば国内大会で優勝した事もなく、であるから当然ながら“一度も世界選手権に出場した事さえなかった”のだという。勝利を決めた瞬間の井上に訪れた歓喜は、ある意味棚ボタ的に手に入れた五輪切符、まったくのノーマーク、ノープレッシャー故の、徹底的に勝負だけに集中して手に入れる事が出来た会心の喜びだったのではないかと僕は思った。それはかつての金メダリストの監督までもを、喜びのあまりマットに引きずり上げてしまうほどの。

 金メダルにほっとしたとコメントする選手もいる。銀メダルにふてくされる選手もいる。もちろんそれぞれが背負い込んだ様々な状況の中での戦いであり、一概に何が良いの悪いのなどとは言えない。しかしながら、試合に勝って歓喜する単純な喜びがスポーツの原点であるなら、最後の最後に満足のいく「歓喜」を見せてもらえた事が、僕は今回のオリンピク観戦の有終の美を飾れ、何ともラッキーだったなあと思えたのであった。

 まあ、思い付くままに、相変わらず自分勝手に今回のアテネオリンピックの事を言わせてもらったわけではあるが、僕は本当にこのオリンピックという競技が楽しみでならない。前にも言っているが、四年に一度などケチ臭い事を言わずに、毎年やったら良いのにと本気で思う。

 次回のオリンピックは中国の北京でとの事である。反日感情云々などと穏やかでない局面も気になるが、中国であれば時差もさほどなく存分に競技を楽しめそうである。いやしかし、ますます商業主義へとひた走るこのフェスティバル、とんでもない時間に競技が始まる可能性も存分にあるわけで、またまた眠れない日々がやってくるのだろうかなどと今から思い悩む今日この頃なのである。

(04.09.18)

K's Room

東京大田区バドミントンサークル



 

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