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K's Room Odds & Ends

国歌斉唱って、そんなに?


 サッカーの国際試合、試合前に対戦する相互の国の国歌が高々に斉唱される。日本国の国歌の番となれば、大抵の場合独唱する歌手が恭しく登場し、大観衆の前で「君が代」を思い入れたっぷりに歌い上げる事となる。で、その歌手はオペラ歌手だったり、演歌歌手、人気ポップス歌手など実に様々なジャンルの人達であるようだが、この時、無伴奏というスタイルゆえに、やはりその個々の歌手の歌唱力はごまかしようもなく鮮明に現れる。時に、さすがだなあと思わせたり、意外な歌唱力に気付いてみたり、ちょっとこの歌手には無理があるなあなどと感じたり、この時の“喉自慢”のような様相を僕は案外楽しみにして見ていたりするのだ。次にカメラがピッチに立つ選手達を次々に映し出す。歌手の独唱に合わせて力いっぱい歌う人、わずかに口の動く人、まったく仏頂面の人などがいて、それぞれの個性が見て取れこれもこれで実に面白い。

 まあ今回、サッカーの開会式がどうこうと言うわけではないが(・・)、この「君が代」、この曲を聞く度に感動が蘇るという人もいれば、まあいいんじゃないと言う程度の人、様々な理由で嫌いな人、特に意味はないけど“いけ好かない”と感じてる人もいるはずである。僕個人としては、曲自体充分独創的で荘厳であり、悪い曲ではないなと思ったりしている。しかしながら、言うまでもないが「君が代」であろうが「どんぐりころころ」だろうが、好き嫌いは個人の感覚や趣向の問題であって、「私は紅茶は好きだけど、コーヒーは嫌い」というのと何ら変わらず、あくまでも個人の勝手であるはずである。ところが、どうも個人の勝手ではないぞ、という動きがあるようで、最近の新聞記事で驚くべき出来事を知った。それは、都内の学校の卒業式で、「君が代」斉唱の際に起立をしなかった事で、教職員が百人単位で処分を受け、その内数人が解雇されたというものである。都の教育委員会は、監視役のスパイを卒業式に潜り込ませ、報告にあたらせたというから驚きである。

 なぜ「日の丸」なのか、なぜ「君が代」なのか、なぜ「起立」なのかの理由付け以前に、椅子に座っていたので、教師を辞めさせられましたというのである。国家の暴走であればもはや慣れっこでもあるが(・・)、地方自治体である都が平然とおこなった行為である(おいおい、都知事はどいつだぁ?・・ゴホン!失敬)。こんな事が許されていいのであろうか!!ヽ(^o^)丿

 僕が中学を卒業するとき、下級生が僕ら卒業生を送り出す曲として、前年までの常連だった「仰げばとおとし」を押しのけ、その年「贈る言葉」を演奏してくれた事が非常に印象的だった。新しい時代へ進むというのはこういう事なのかなと、子供ながらにぼんやりと考えていたのを憶えている。しかしながら、昨今の卒業式を巡る一連の出来事、この国はまたあの悪しき時代へ戻ろうとしているのだろうかという疑問が浮かびあがってくる。この勢いで行くと、数年後の卒業式では、起立をしなかった為に“憲兵”に銃殺されるような事件が起こる事も必至であろう(・・)。

 まあ、鼻息荒くこの場で訴えようと思うほど、僕は既に情熱的ではなく、まあ、こんな事も日々通うスーパーの袋詰め台の上に、前の人の買物カゴが平然と置き去りにされていたのと同じ程度の怒りかもしれない。しかしながら、自分の怒りをうやむやにせず、怒りとして認識していないと、大変な事になるなと思いこの場で言ってみた(うーん、まじめに言ってしまった、恥ずかしい・・)。

 「日の丸」と1セットにされ、過去の様々な歴史にもまれ、ただでさえ曰く付きの国歌「君が代」。まさに“踏み絵”にまでされ、こうなるとまた一つ“ハク”をつけてしまったものだなあと僕は思う。まあ、しかしながら、アテネオリンピックが近付き、はたまたサッカーのワールドカップを始め様々な国際大会が花盛りの昨今、胸を張って国歌を聞き入りたいと願ったりする、今日この頃の僕なのである。

(04.6.18)

K's Room

東京大田区バドミントンサークル



 

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