本文へスキップ

K's Room Odds & Ends

ダブルエスプレッソ9


 熱血、青春、汗、涙、夏、こんな言葉の数々から高校野球「甲子園」を連想することはたやすいはずである。日本の風物詩、一大イベント、そのシーズンともなれば野球好きおじさん達の間では「今年のPLのピッチャーがいい」とか、「横浜の打線は強力だ」などと、「今年の浅草の祭りは何日からだぞ」などといった話題と同じ日常レベルで取り上げられることとなる。

 はっきり言って僕はこの「甲子園」というのが大っ嫌いである(・・)。

 もう少し正確に言えば、高校生の野球を一つのイベント化してしまった、関係者を始めマスコミ、そして、今日までのそんな歴史に嫌悪感を憶えるのだ。

 考えてみてもいただきたい、ただの高校生がやってる野球である。なぜこうも大騒ぎするのであろうか(・・)。新聞紙面は数面を裂いてまで特集を組み、テレビに至っては地区予選から中継が流され、本大会(甲子園)ともなると天下のNHKが開会式から終了までの全日程を放送する。甲子園に出るというだけで、地元では大応援団を編成し、卒業したというだけまったく関わりもないOBにまで寄付を募る騒ぎようである。

 一方、概ね野球以外の高校生のスポーツの全国大会はインターハイと呼ばれ、都道府県の持ち回りで基本的に全ての競技が一斉に同じ場所で開催される。そんな中いくつかの競技はスポット的に取り上げられてテレビ中継などもあるようだが、バドミントンなどのマイナーなスポーツに関しては、その決勝戦さえ結果だけが新聞の片隅に載る程度が関の山である。陸上の幅跳びの選手であっても当然必死で競技に臨んでいる。卓球の選手だって厳しいトレーニングの末栄冠を掴むべく試合に臨んでいる。柔道だって、体操だって、弓道だって、皆その取り組み方は同様であり、野球だけが別格という取り上げ方はおかしいだろうと言いたい。

 まあ、結局のところマイナー競技に係わっていた者の単なるひがみでしかないのだが(・・)、企業までが乗り込んで巨額の金の動きが見えるような実態。せめて高校生の1スポーツとして、当たり前の姿での開催をして欲しいと思うのである。

 年賀状という“儀式”は本当にどうなのかと年末になる度に思う。どうなのかというのは、早い話がこの現代において必要な物だろうかという意味である。そもそも街は365日大した変化もなく機能していて、昨今では正月という行事の線引きすら曖昧に思え、改めて日にちが変わっただけで新年だという感覚にはどうも僕はピンと来ない。普段用があれば、地方だろうが海外だろうが携帯電話やメールの一本で事足りる時代である。1月1日の日付けだからといって、何も50円もの大金を払ってご挨拶する意味はないのではないかと思うのだ。

 子供が出来た家は、まったく会話もした事ない生まれたばかりの赤ちゃんの写真をこれ見よがしに紙面一杯に貼り付けてくるし、会社の付き合いなどとなれば、特に書く事もないので印刷したままのハガキをピロンと人に送り付けてくる。なんかわざわざこんな物を送ってくる方が無礼な気がして仕方がない。

 もちろん正月という行事の一つの厳粛さは、凛としていて清々しくもあり、クリスマスやバレンタインなどといったまがい物に比べれば、実は古風な日本人気質の僕にはよほど心落ち着くものがある。まあ、礼儀知らずだ、非国民だ、究極のへそ曲がりだと言われてしまいそうではあるが(・・)、この年賀状という儀式、単なる風物詩でしかないようであれば、こういった慣習はもう考え直す時期に来ているのではないかと思って止まないのである。

 日々「缶コーヒー」をよく飲んでいる。休みの日でもない限りは、一日一本は固いといってもいいほどである。

 はっきり言って別にあの甘ったるい(ノンシュガーもあるが)「缶コーヒー」を、うまいと思って飲んでいるわけではなく、特に飲む物もないから、手軽だからなどといった事で、なんとなく惰性で飲んでいる感が強い。確かにコーヒー豆から発生した飲料には違いないのだろうが、ドリップしたての“本物の”コーヒーの味に比べれば、その味たるやなんともお粗末である。ただ、コーヒーとしてではなく、独立した別の飲み物と捉えれば、さすがに各メーカーともドル箱商品だけの事はあり、莫大な研究費と広告費を注ぎ込み、切磋琢磨された末の産物「缶コーヒー」として見事に完成されているようには思う。

 この「缶コーヒー」、市場の圧倒的なシェアをC社の○ョージアとS社のボ○が分け合い、その後をA社、K社等が追随する実状のようである。スチール缶の形状を変えてみたり、朝専用などと命名する事によって、一時的に他社も急追したりはするものの、概ねこの力関係に変化はないようだ。

 そんな中、S社のボ○シリーズに、「仕事中」と「休憩中」というブランドが登場した。概ね僕は仕事中にこの「缶コーヒー」を飲むわけであるが、自動販売機の前に立ち、さてどちらを買いましょうかと考えた時に、なんとも「仕事中」という商品には手が伸びない。せめてコーヒーを飲む時くらいは休憩したいものである。しかし、先日意を決して、仕事中に「仕事中」の購入ボタンを押してみた。しかし、ガタンと響いた音と共に取り出し口に転がってきたのは「休憩中」の一缶であった(・・)。まるでおみくじを引いて、大凶が出たような気分である。

 そんなこんなで、一度は「仕事中」も飲んでみたいと思う今日この頃なのである。

(04.02.07)

K's Room

東京大田区バドミントンサークル



 

スポンサー広告