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K's Room Odds & Ends

横綱貴乃花


 大相撲横綱の貴乃花が引退した。三十歳だそうである。「対戦相手に力強さを感じた」「動きの速さを感じた」と自分の体力の衰えを表現し、「限界」と語った。そして、時に笑顔さえ交えながら、「悔いはない」「すがすがしい」とその心中を表現していた。三十歳といえば現代のプロスポーツの中では、円熟期などと表現される年齢である。なんとも相撲という競技の激しさ、寿命の短さを感じさせる。

 貴乃花が現役で活躍した期間、僕自信はさほど興味を持ってこの力士(というか最近の大相撲自体)を見ていたわけではないが、個人的にはこの人にはなんとも言えない悲壮感だけを植え付けられたまま遂に引退という感じが強い。百点満点を要求される横綱という職を無難にこなし、その素質からいったら物足りなさは残るものの、まずまずといえる成績でその土俵人生を終えたようには思う。しかし、角界という取り残された封建社会の中で、感情のままに言葉を発する事が許されず、どこか諦めさえ感じさせ、人生においてももっとも大切な時期を無器用に自分を押さえつけて過ごしてしまった、お節介ながらもそんな印象を感じずにはいられないのである。

 プロスポーツであれば、それがどんな選手であれ、引退という時はやってくる。遅かれ早かれ年齢的な衰えに気づく事となり、たいていの場合自分自身で決断しその幕を下ろす事となる。

 そんなプロスポーツ選手の引退のシーンとしては、いまだに何度となくその映像を目にする事の多い、読売ジャイアンツ長島茂雄の引退などがやはり思い出される。僕がプロ野球に興味を持ち始めた頃、長島は現役でプレーを続けていたものの既にそのピークを過ぎ、かつてどれほど素晴らしい選手だったのかを推し量る術もなくあの引退の場面を目にしている。しかし、あれだけ号泣した選手の引退の場面はやはり印象的である。

 最近のプロスポーツ選手の中では、プロ野球ヤクルトスワローズの池山や、サッカーの浦和レッズ福田の引退等があった。それぞれの引退発表の記者会見の席、背広に身を包んだ二人は、平静を保った様子で記者達の前に現われた。しかし、引退の二文字を口にした途端、こらえていた涙は程なく流れ出た。

 プロスポーツ選手がその世界から身を引く、勝ち負けの世界から退くという事は、悔しい事であると僕は思う。プロスポーツという世界においては、フェアプレーやぞの技術を見せるなどと奇麗事は所詮通用せず、勝つ事がすべてであり、「勝ち」を追求する事で選手達はそのモチベーションを保ちつづけているはずである。引退の時の涙、それは紛れもなくもう勝つことの出来ない悔しさであり、終わってしまった淋しさであると僕は思うのである。

 そう考えた時、この貴乃花のコメントは何だろう「悔いはない」「すがすがしい」。この時、涙を見せたのは奇しくも現役を退いて久しい兄の若乃花であり、僕はその涙の意味が本当の貴乃花の心中を語っているような気がして仕方がない。

 2001年夏場所、千秋楽を前に貴乃花は右膝半月板損傷という大怪我をおった。その場所は何とか優勝を飾ったものの、これを最後に思うような結果は残せなかったようである。

 そして、この最後の優勝を決めた場所以降、貴乃花は相当なバッシングを受け続ける事となった。休場の数が多い事や、理事達が一同に会した稽古総見で四股を踏んだのみで土俵に上がらず終わった事、復帰した一番では力強さを感じられない、下位力士との対戦で「躱した」事などである。そして、そんな批判めいた言葉には必ず「横綱らしからぬ」という言葉が付いてまわった。

 もしこれが他のプロスポーツの世界ならばと僕は思う。もちろん競技の性格や取り巻く状況などは比べようもないが、重度の半月板損傷という怪我を負った選手に、まるでターミネーターのようにすぐに怪我を治し、スーパーマンのように再び無敵の強さを要求するはずなどないと思うのだ。たとえ何ヶ月掛かろうともじっくりと怪我を治し、再び戦える体を作り上げてから最高のパフォーマンスを発揮すべく競技に挑む、これが本当のプロスポーツの姿ではなかろうか。少しでもスポーツに携わり、怪我をした経験のある方なら分かるはずだが、自分の体は結局のところ自分自身しか分からない。

 取り組みの内容であっても勝つ事がすべてであり、躱そうが、引こうがそんな手法をとやかく言う必要はなく、練習で四股を踏もうが、マラソンをしようが、最終的に試合に勝つ事に繋がればそれは自分なりの調整であって何の問題もない、少々乱暴な言い方ではあるが、僕は本当にそう思うのだ。

 体の傷を癒す時間がない、圧倒的な回りからの雑音、ひいては相撲界全体の人気の陰りまでを背負い込まされてしまった貴乃花という力士。重圧を受け続けた相撲界での日々を、「引退」という公然たる理由で、逃れられたこと、それこそが貴乃花にとっての「すがすがしい」以外の何物でもなかった本当の心境、僕にはそんな風に思えてならないのである。ともに同じ世界を歩いた兄元横綱若乃花には、きっと痛いほどその弟の立場が理解できたのではないだろうか。

 「一代年寄」という名誉ある待遇を受け、貴乃花はこれから運営側へとその立場を変えて行くらしい。最初に与えられる仕事は、場所中の場内での力士の誘導、警備だそうである。どうやらこれも慣例だから、誰もが辿る手順だからという仕事の一部らしい。平成の大横綱と称えられた力士を待ち受ける待遇としてはなんともお粗末な限りである。

 あれやこれやと一騒動があった一横綱の引退を見て、この「角界」という世界、一刻も早く「プロスポーツの世界」へと変貌を遂げる事が最優先の課題なのではないだろうかと思わずにはいられない。古くは武士の慣習を残す高貴さ、礼節を重んずる厳粛さ、横綱の高潔など、相撲という競技の持つ気高く美しい部分を充分に残しながら、近代スポーツの利点を取り入れた運営をおこなっていくことは決して難しい事ではないと思うのだ。訳の分からない慣習やしきたりで敷居を高くしてしまった世界に、今の自由奔放な若者達が興味を示すなどとは到底思えず、やがては衰退の一歩を辿り、行く末は古典芸などと位置され、それこそ能や猿楽の世界と同じ扱いになってしまうことさえ、まんざら笑ってはいられない気がする(能や猿楽を馬鹿にしてるのではないので、念のため)。

 一にわかスポーツファンとしては、めっきりと人気の落ちてしまったこの世界を救える唯一の方法、それは「大相撲をスポーツとして位置づける」、これ意外にないと思えて仕方がない今日この頃の僕なのである。

(03.02.01)

K's Room

東京大田区バドミントンサークル



 

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