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K's Room Odds & Ends

イマジネーション


 子供が一歳にも満たない頃、つまらないものに盛んに興味を持って仕方がなかった。例えばティッシュの紙を箱から全部引っ張り出してしまったり、母親の首のきらきら光るネックレスを引っ張ったり、コンセントを抜き差ししてみたりと、大人では想像もつかない事に興味を持ち、夢中になってやってのけるのである。

 で、この世界では結構有名な玩具の中に(笑)、「やりたい放題」と命名されているおもちゃがある。

 ピラミッド型の箱のそれぞれ側面に、引っ張り出しても戻るティシュの箱が付き、どんなに乱暴に引っ張っても切れないきらきら光るネックレスが付き、何度抜き差ししても電気の流れないコンセントが付き、その他様々ないたずら用グッヅが渾然一体となっていて、子供の欲求を満たし、同時に親のイライラも解消できるというまさに夢の玩具なのである。

 店頭に出されていたこの商品を見た時、おおっ、これは凄い!と感激し、さっそく自分の中の「買おうかどうしようかリスト」へとピックアップしておいた。

 そんな折り、たまたま知合いにこのおもちゃを購入し、子供に使わせてみたという人がいた。どんな様子だったかを聞いてみると、子供はそんな物にはたちまち飽きてしまい、結局のところ本物のティッシュペーパーをいたずらし捲くり、コンセントの類などを相変わらずいじり続けているという。つまり、親や製造メーカーが意図したような結果には到底ならなかったわけなのである。僕はこの話を聞いた時に、妙に納得してしまった。なぜこのおもちゃが失敗に終わったのか!それはずばり、創造性が伴ってこないの一言に尽きるのだと思うのだ。

 子供がティッシュペーパーの紙を際限なく引き出してしまう時、途方もない可能性に刺激され、創造力を沸き立てられている。音、感触、期待感、自分の回りに山になっていくティッシュ、そして、親の自分への注目など、まったく予想し得ない展開がそこには広がるのだ。これはたまらなく楽しいはずである。しかし、あらかじめ結果が見えているおもちゃを、「同じ物だから、さあ思う存分やりなさい」と無関心に渡してみたところで、所詮それは何ら発展性のない物体でしかなく、あっという間に飽きてしまう訳なのである。

 子供の頃テレビに夢中になっていると、「程々にしなさいと」と、親によく言われた。しかし、本を読む事を程々にしなさいと言われた記憶はあまりない。自然とテレビは「悪」で、本は「善」という観念が頭に染み付いている。では、これはなぜだろう?どうしてテレビは悪くて本は善しなのだろうか?

 これは、最初のおもちゃの話そのままなんだと僕は考えている。

 本を読むということは、対話だと何かに書いてあった。それは、文章という文字の呼び掛けに対して、自分でイマジュネーションを創り出して答えているということであるらしい。人との対話はお互いのイマジュネーションを共有させることであると思う。であれば、文字から自分なりの世界や映像を空想し、背景や人物を思い描くという読書という行為は、まさに対話であり創造だと言えるのだと思う。読んだ事がある本が映画になった時など、えてして違和感を感じるのは、この自分で創り出したイマジュネーションとのギャップによるものではないかと思っている。

 一方、テレビというのは、圧倒的な映像と音の放出である。それはある意味待ったなしの押し売りであり、侵略でもあると思う。テレビの「なるほど」番組などで、実に勉強になったなどと感じたことが、文字に比べて一向に頭に残らないのは、本を読んだときのような創造するという作業が伴わないかららしい。もっとも、これは人に喋る、教えるという「対話」をすることによって、記憶に残す事が出来るようだ。

 何だか今回はまた小難しい事を云々と言ってしまっただが(・・・)、僕はこの創造性という行為が、実は人間が形成されていく上で、恐ろしく重要な事だと考えているのである。早い話しが何かを思い描く、想像するそして、そのイマジネーションと共に生きる。これが出来る、出来ないで、その人の人間性は大きく変わってくると思っているのである。

 昨今現実と空想にけじめを付けられない弱齢層による残虐な犯罪を良く耳にする。ゲームやビデオの影響が強いなどという実に端的な原因が取り沙汰されたりしているが、本当にそんな簡単な話だろうか?僕はこんな事を聞く度に、本来創造性を養うべく幼年期にゲームやビデオに倒錯せざるを得なかった、しいて言えば親や大人の創り出した環境にこそ問題があると思っているのである。僕はゲームの類はまったくやらないのだが、おそらくどんな複雑で巧妙に作られたゲームであれ、やり終えた後に達成感や満足感を感じることが出来るとは到底思えないのである。底無し沼のような渇きだけがそこには存在する、そんな風にどうしても考えてしまうのだ。

 そんなこんなで今うちの子供は、ずいぶん前に保育園で貰ったゴムボールを飽きもせず夢中になって追い掛け回っている。祖母や知合いから貰ったたいそうなおもちゃ類は、無残なくらい放ったらかしである。しかし、いずれテレビの前から離れなかったり、ゲームを買ってくれとせがまれたりした時、どんな対処をしたら良いのだろうかと頭を悩ます、相変わらず親ばかな今日この頃なのである。 

(02.12.28)

K's Room

東京大田区バドミントンサークル



 

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