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K's Room Odds & Ends

ああ勘違い

 

 一つの言葉の意味を一度理由を付けて頭の中に留めると、なかなかそのインプットした考えから脱せないで苦しむことがままある。

 何のこっちゃと言えば、長い間勘違いをしている言葉があり、「ああっ、実はこんな意味だったんだ!」と、改めて気付き修正しようと試みても、頭では理解するのだが実際使った時に感覚的にその言葉に不自然さを感じてしまう、そんな事が多々あると言いたいのだ・・・。

 結局何だか分からない言い回しになってしまっているが(笑)、例えば「気のおけない仲間」という言い方がある。この言葉、何とも物事を自分勝手に解釈する癖のある僕は、「おけない」という否定文から、「気まずい仲間」や「気が合わない仲間」と、長い間勝手に意味を解釈していた。ところがこれを調べてみると、「気をおく」には「気づかう」という意味があり、したがって「気がおけない」は「気づかう必要がない」「遠慮のいらない」という正反対の意味となるらしいのだ!「そんなこたあ、当ったり前だろう!」と言われるのは仕方ないが、実際のところ一度頭に入ったこのイメージを修正するのはなかなか難しいものなのである。

 これと似たような最近知った言葉としては、「情けは人のためならず」があり、これは「情けをかけるのは、その人のためにならない」という意味ではなく、「人に情けをかければ、いずれ自分のところにもまわってくる、つまり他人ではなく自分のためになる」という意味らしいっすね!

 いずれにしてもこれらの言葉、どこかで耳にした時など、いまだ釈然としない思いでいる訳なのである。

 「肥沃(ひよく)な土地」という言葉がある。手っ取り早く辞書で意味を調べてみると、「土地が肥えていて、農作物がよくできること。また、そのさま。(―な地)」 とあり、勘違いしている人もいたかもしれないけれど、大方どなたでも理解している言葉だと思う。しかし、実際この言葉を使う時など、感覚的にはどうだろうか。「ひ」という言葉が先頭に来た時、どうしても「否」のイメージが強く、「否よくな土地」のイメージから、正反対「やせ衰えた土地」のようなイメージが湧かないだろうか。まあ、暗示的に、これを読んでいる人を誘導している訳ではないのだが、この「肥沃な土地」や「非凡な才能」という言葉を聞いた時など、どうしても正反対の意味をイメージしてしまう僕なのである。

 こんな事とは少々意味合いも違うが、歌のフレーズやニュースなどの定型文句で、完全に違う意味に理解しているような場合も「多々」ある(汗)。結局のところ、こういった事は気短な自分の性格が大いに影響しているだけなんだとは思うが、 それは例えば、童謡「七つの子」(「かーらーすなぜ鳴くの」という何とものんきな歌)の歌詞の中の一番の後半、「山の古巣へ来てみてご覧 可愛い七つの子があるからよ」という部分、この「古巣」、前後の歌詞の意味合いからも僕はずいぶんと長い間「フールス」という、カラスの楽園のような場所があるんだなあ、などと思い込んでいたのである(!)。「フールス」へ行くとさまざまな花が咲き乱れ、温暖で、小鳥達がさえずり、「七つの子供たちが」待っている「カラスだけの秘密の場所」がある、そんなふうに勝手に思い続けていたのである。

 まあ、馬鹿な奴と思わずに、ちと考えてみてもいただきたい・・・。「古巣」の部分、曲に乗ると「ふーるす」というふうに歌われている。つまり「ー」の伸ばす部分に一拍あるのだ。しかも、二分音符で伸ばすとかいうのではなく、「ふ」から二音下がったれっきとした四分音符が「ー」の部分に一つ存在しているわけだ。これでは「フールス」と勘違いしてもおかしくない・・・っしょ?

 まあ、そんなこんなで、「台風一家(一過)」の一家とは、どんな一家なのだろうかとか、「食中、食前」に飲む薬は、「食前」なら飲みやすいが、食べてる最中に飲む「食中」では一度箸を置いてから薬を飲み込まねばならず、なんともうっとおしいよなあなどと、一人思い込み、悩みつづけている今日この頃なのである。

 

(02.12.26)

K's Room

東京大田区バドミントンサークル



 

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