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K's Room Odds & Ends

マイジェネレーション 僕らの世代


 子供の頃、大人になれば自然と演歌を聞くようになるものだと思っていた。

 自分の家族や周りの大人達が好む曲といえば、紅白歌合戦の後半に登場してくるような、ごっつい渋い人達の歌であったので、「ああ、歳をとって行けば、自然とこんな曲が好きになるのだなあ」などと、漠然と考えていたわけだ。そして、自分のおじいさんやおばあさんを見て、更に歳を取っていけば、浪曲や詩吟だとかいった、もうまったく理解する事も出来ないようなジャンルの音楽に、好みが変わっていくのだろうか、などと思っていたのだった。

 しかし、実際に自分が歳を取り、中年の枠に入ってみて(・・・)、当然ながら急に演歌が好きなるようなことはないし、改めて「浪曲などを聴いてみようかな」などと、思う事もない。そして、新しいヒット曲を追いかけるような事もないわけであるが、あいも変わらず聞く曲といえば、10年余りも聞きつづけている昔のCDなど、自分が気に入ってずっと持ち続けているものばかりである。

 そもそも、音楽の好みなどは人の好き好きであって、歳を取ってあまり新しいものを吸収しずらくなってくると、ある程度昔から聴き慣れたものに依存する傾向にあるのではないかと思う。

 
 映画翻訳家の戸田奈津子さんが、以前何かの紙面に面白い事を書いていた。

 それは、相手の年代が知りたい時に、お好きな映画は何ですかと尋ねる事によって、その人の大体の年齢が分かるというのである。人は一番好きな映画は何ですかと尋ねられた時に、その人が最も多感だった頃、十代の後半の頃に見た映画の題名を上げるというのだ。感情的に最も敏感だった頃に見た映画、それがその人にとってもっとも感銘を受けた映画だと言うわけだ。細かい事は忘れてしまったが、「7人の侍」だったら50代、「スターウォーズ」と答えれば30代、「タイタニック」であれば20代と、大雑把にそんな感じの事を言っていた。

 以前僕は、自分の好きな映画ベストスリーなる発表をさせてもらった事がある。思い返してみれば、その三作の内二作はまさに自分が二十歳くらいで、最も多感で、純粋で、まだまだ心が美しい時に体験した映画であった(・・・)。

 もちろんその年代以後にも何本となく映画は見続けているわけで、その中には感動した映画も多分にあったはずである。しかし、よくよく考えてみても、あの当時、二十の頃に受けた、感情がそのまま主人公に移行していくようなのめり込み方をした記憶はほとんどない。すれっからしとなった今では、タイタニックを見ても感情の一つも揺さぶられず、「最近の映画はつまんねえなあ」などと、ぼさいてるわけだからもう始末におえない(笑)。

 「好きな映画を尋ねれば、その人の大体の年代が分かる」戸田さんのこの言葉には、何か図星をつかれたようで、妙に納得してしまったのだった。

 音楽の話に戻るが、こんな事からも、若く多感な頃に演歌を聞いていた人達は、歳を取ってもやはり好みの主流は演歌であり、浪曲で育った人達は、やはり浪曲であるのだろうと思う。演歌だから中年向けだとか、浪曲は年寄り向けなどという認識は、結局今の時代の事だけであって、あと二十年も経てば、今流行っているラップや、テクノなどが間違いなく中年好みの音楽などとなる筈である。

 映画や音楽に限らず、多感な頃に影響を受けるといえばファッションもそんな分野の一つだと思う。

 僕がに二十歳前後の頃、世は空前のデザイナーズブランドブームであった。うん万円もするシャツやジャケットを、たいして金を持っていそうもない若造や学生までもが普段着に着込み、ニコルや、ビギ、コムデギャルソンなどといったブランド名が、一世を風靡していたような時代だった。そんな商品を大量に売り出す丸井のバーゲンなどとなれば、建物の廻りを何週もするほど長蛇の列が出来たものであった。今のユニクロを中心としたロープライスなカジュアルブームなど想像もつかず、僕も当時はご多分に漏れず、というよりはズッポリとはまって、そんな「高級紳士服」を、丸井の赤いカードを駆使しつつ買い漁ったものであった。

 当時、狂信的なまでにはまっていた友人の影響を受け、僕はそんな数多きブランドの中でも「山本耀司」の服がめちゃめちゃ好きだった。ブランド名としては、「Y's for men」という。黒を基調としたシンプルで、上品な作りに、「ニコルなんてだっせーなあ」、などと訳も分からず言いながら、テレビで見かける芸能人などが同じ服を着ているのを見つけた日には「なんだあいつの服、俺と一緒だよ」などと、喜んでいたわけである。

 太目のパンツにざっくりとした二つボタンのジャケット、それが当時の服装だった。そして、紛れもなく僕はこのスタイルに感化され、いまだにファッションのベースとして存在している。

 で、現代のスーツの話となる。

 今の世の中のスーツの流行の主流といえば、細身でジャケットは三つボタンという形が圧倒的なようだ、時は2001年の事である(一応ことわってみる)。

 この三つボタンスーツ、スタイルが良い今の時代の細身の若者には良く似合っていると正直に思う。でも、このスタイルの世の中への登場の仕方には、非常に疑問に思っていることがあるのだ。

 僕が記憶する限り、この三つボタン、ある日突然として市場に登場した。

 ずらりと並んでいた二つボタンに取って代わって、それこそ一瞬にしてあらゆる店の洋品売り場に並びだしたのである。ブームに乗ってとか、徐々に世の嗜好が二つボタンから三つボタンに移行したなどという「流れ」ではなく、ある日「突然」にである。

 これはどういったことなのか?

 僕はアパレル業界のことは詳しく分からないが、これこそ業界の共謀に他ならないのではないかと密かに憤慨している。それこそ何の商品を並べようがそのお店の自由であろうが、ぜんぶの店が一斉にというのは何とも合点がいかない。

 三つボタンのスーツを着込むためには、襟の短いワイシャツを選ばなければならない。そして、幅の広いネクタイ。つまり二つボタンのスーツから、新たに三つボタンを買い求めたときには、ワイシャツも、ネクタイも、靴までも揃え直さなければならないのである。これは業界全体が共謀した、新たな市場の活性化を狙う策略以外の何物でもないではないか!!朝日新聞の「声」にでも投書するぞ!と叫びたいほどなのである。

 まあ、実際のところ世の流れなどどうでも良いことなのだが、いよいよこの暮れになって長年着古したスーツが限界状態を迎えた。仕方なく、年末のバーゲンでスーツを買うべく、デパートの売り場を覗いてみると、本当に三つボタンばかりで困ったものである。仕方なく店員に、「二つボタンはないですか」と聞き回り、「もう流行らないんですよ」と、困った顔をされながらも、品数のほとんどない中から、なんとか体に合うものを細々と探し続けている昨今の僕なのである。

 そんなこんなで、2001年、新世紀といわれた最初の年も暮れようとしております。

 日頃こんなくだらない「K」の独り言にお付き合いいただいている皆様には感謝の限りです。

 どうぞ来年も良いお年をお迎え下さいませ。

(01.12.22)

K's Room

東京大田区バドミントンサークル



 

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