本文へスキップ

K's Room Odds & Ends

ダブルエスプレッソ4


 東京駅の間近、八重洲通りと中央通りの交差点にジングルを奏でる音響設備がある。

 鐘を振って自動で音を奏でるオブジェを兼ねた大きな装置で、決まった曲を決まった時間に、辺り一面かなり広い範囲に撒き散らしている。お昼になると「仰げば尊し」、三時ならば「小さい秋」、五時になれば「夕焼け小焼け」といった具合である。曲目はいちいち覚えていないので、適当に書いたが(適当に書くなっちゅうの!)、僕の勤める会社の事務所がここから近い場所にあり、事ある毎に大音響で奏でられるこの鐘の音を耳にする。

 で、一言言いたい。

「こんなに大々的に音を流すなら、チューニングをしろ!」

 本当に鐘を鳴らして音を出す装置のようで、それぞれの音を受け持つ鐘が微妙にずれた音を発している。中には半音ぐらい丸々ずれたひどい物もあり、それらが集約された音符の羅列は、どう聴いてももはや騒音でしかない。

 信号待ちなどでその場所に長くたたずんでいると、不快を通り越して、何とも落ち着かない気分にさせられるのだ。これは、カラオケボックスで上司のへたくそなカラオケを無理矢理聴かされている気分とそっくりである。何かを訴えている分、まだ街宣車の方がましではないかとさえ思えてきてしまう。

 で、こういった音響装置、たまにしか鳴らないから意外と話題にも上らないのか、気にしてみると街のあちこちで耳にする。大抵は「夕焼け小焼け」か、「カラスなぜ鳴くの」を流す五時専門の装置だったりするようで、やはりそのほとんどの音がずれている気がする。

 どこぞやの団体の寄贈なのか、公共の設備なのかは知らないが、作った以上きちんとメンテナンスをして欲しいと思う今日この頃なのである。

 都会の人達のぺースはめちゃめちゃ早いという。歩くスピードを始め、食事のペースから、喋るスピードまで、その中に入ってしまうとそれと気付きずらいが、とにかく早いらしい。外人に言わせれば、東京の人間は「走っている」という事になるようだ。

 以前に足を怪我してしまい、膝を曲げる事がしばらく出来なくなった事があった。それでも仕事には行かなければいけないので、電車を利用し片足を引きずりながら会社に通っていた。その時、当然ながら駅のホームを歩くにも、階段を下りるにも、健丈者の集団より大きく遅れ、「走っている」彼らのペースには、とてもついて行く事など出来なかった。そして、その時、痛む足を引き摺りながらふと廻りを見ると、同じペースで歩いている人達がいる事に気付いたのである。それは、腰の悪そうなお年寄りであったり、松葉杖を突いた人であったりしたのだ。それは、ほとんど今まで気付かずに通り過ぎていた風景であった。時として立ち止まる事は凄く大切な事だと改めて気付かされた訳である。

 で、ペースが早い話に戻る。

 僕はそれ以来という訳ではないのだが、せっかちな質も手伝ってついつい早く歩き過ぎてしまう自分を改めるために、なるべくゆっくり歩こうと心掛けるようにしている。そんな僕の中で小さなモットーがいくつかあって、ベルが鳴ったらその電車には乗らないとか、エスカレーターは歩かないとか、そんなことをなるべく意識している。

 しかし、なかなかそうも言ってられないのが都会の現実のようだ。

 先日地下鉄に乗ろうと、ホームに向かう階段を下りていた時のこと、あと数段下りきればホームという時に発車のベルが鳴った。別段急いでいたわけでもなかったので、その電車はあきらめ、モットーに忠実に次の電車に乗ろうと決めた。

 階段が列車の最後尾にあったので、停車中の電車の車掌から、階段を下りる僕の姿が見えたらしい。すると、何を考えたのかその車掌、電車の扉を閉めずに、僕に手招きをして早く乗れと急がすではないか。少なくとも彼は好意でやっていたはずである。しかし、無理矢理10メートルくらいの距離を走らされ、電車に飛び乗った僕は、列車の中に張られた「駆け込み乗車はいけません!」のポスターに複雑な心境に陥ったのであった。

 これと似たようなことがエレベーターでもあった。開いた扉に数人の人が乗り込み、果敢に「ボタン係」をかって出た人が、もう既に次をまとうと決めていた、数メートル先からエレベーターへ向かって歩く僕を待っていてくれたのである。もちろん良かれと思い「開く」ボタンを押し続けてくれたはずである。しかし、再び10メートルくらいの距離を走らなければならない意味のなさに何とも複雑な思いであった。

 出来れば、日々のんびりと歩き続けたいものである・・・。

 

 前に、人生は短い!などとだいそれた事を書いたが、少しそれに関連して・・・

 自分の一生を大きなスパンで考えた時、その中のひとつの区切りとして、行事や出来事が凄く重要になるように僕は思う。例えばそれは誕生日であったり、正月であったり、退職日であったり、予防接種の予定日であったりと、そんな区切りの日の一つ一つがとりとめなく愛おしいと最近思うようになった。

 簡単にその訳を言えば、もう二度とその日は来ないからでしかない(ううっ、ジジイだあ)。

 ノストラダムスの大予言なるものがあった。

 「あった」などと過去形で書くのも不思議なくらい、この予言の日は僕の中で非常に大きな出来事であった。

 僕が小学生の頃、親父に連れられるまま、ずばりその名も「ノストラダムスの大予言」なる日本映画を見に行った事があった。普段からまめに映画には良く連れていってくれた父親であったが、そのほとんどが、「ゴジラ」や、「ガメラ」シリーズであり、子供ながらになぜその映画だったのか妙に不思議に思ったものだった。が、しかし、その日の夜、布団に潜り込んだ幼き僕の耳に、襖越し聞こえた「由美かおるのヌードも、たいした事となかったよ」などと、酒を飲みながら母親相手にのたまう親父の声を聞いて、「何だそうだったのか、このスケベ親父が!」と、妙に子供心に納得したものであった。

 話は逸れたが・・・。

 で、このノストラダムスの大予言、その映画の中で見た1999年の夏は、惨澹たるものであった。

 よくは覚えていないのだが、世界中で核戦争が勃発し、集結後には月面と化した地表のクレーターの中から、無気味な姿に変身した人間らしきものがのっそりと姿をあらわす。そんな、終わり方の映画であったのだ。

 妄想たくましかった僕は、先の話のように、夜中に話す親父の話が聞こえてしまうほど眠る事が出来ず、そのショックの受け方は並大抵ではなかった。まさに青天の霹靂、この世には「楽しみ」しかないと思っていた幼き僕の心に、その出来事はぬぐい去れない最悪の未来として位置づけられてしまったのだ。

 その映画の中で、ノストラダムスなる人物の予言は、ことごとく当たっているらしい事が分かった。ならば、今度もきっと・・・と、幼き僕は、疑うことなく信じ込んでしまったのである。

 翌日にさっそく逆算してみたのを覚えている。1999年自分は何歳であるのか?

 その頃には30代中盤を迎えた自分がいて、どうやら十分に生きている時の話だと分かった。そして、同時に、自分はもう生きていないのでは?という淡い望みが吹き飛んだのを覚えている。そして、その時生きている確率のない自分のじいさん、ばあさんを見て、なんとも羨ましいと本気で思ったものだったのだ。

 それから30年近く、1999年の8月を通り過ぎるまで、立派な成人となりながらも、僕は心のどこか片隅にある「ノストラダムスの大予言」の呪縛から、逃れる事が出来ずにいたのだ。

 で、長々と書いたが(・・・)、結局の所、そんな日1999年の夏が、良かれ悪かれ短き人生の流れの中の、節々に当たる日の一部となった事には間違いない。イメージした一日が未来にある、そのことで逆に今を自覚して生きられる。そんなことに、はたと最近気づいたのである。

 若き日の僕は何かにつけ用意された出来事を斜めに見る癖がついていた。クリスマスなんて関係ねえよ、家は仏教だい!とか、バレンタインなんかお菓子の会社が勝手に企画してるだけじゃん!などとの賜ってたのだ。まあ、良く考えてみれば、もてない男のひがみでしかなかったわけなのだが(笑)。

 いずれにしても「人生も後わずか」と自覚した時に、過ぎて行く日々がこの上なく愛おしく感じるようになった。一年スパンで言えばお正月であったり、四年スパンで言えばオリンピックであったり・・・その日その出来事を楽しむ事に全力を費やしたいと思うのである。 

 まあ、早い話が、毎日楽しく行きましょうよ!と言いたいわけで、なんともまとまらない文章を書いてしまったなあと、悩む今日この頃の僕なのであった(爆笑)!

 

(01.12.22)

K's Room

東京大田区バドミントンサークル



 

スポンサー広告