2004年1月-3月のひとりごと


2004年2月29日(日)
急な法事ができて木曜の晩から帰省していました。この帰省で私の車もとうとう20万キロを突破しました。地球一周が4万キロですから、ざっと5周走ったことになります。1986年車ですから、この3月で18年が終わり19年目に突入です。今年の大学1年生の早生まれは私の車と同年代の者もいるはずですから不思議なものです。静岡に戻ると、危険物取扱者試験の合格通知が届いていました。

2004年2月23日(月)
昨晩、冷蔵庫の調子が悪くなり、今朝、冷蔵庫の中が全く冷えていないことに気づきました。とうとう冷蔵庫が壊れてしまいまったようです。25年間、壊れずに動いていたわけですから、寿命といってもおかしくありません。仕事を定時にあがり、電気屋さんに冷蔵庫を買いに行ってきました。今まで1ドアだったので冷凍室に不満がありました。霜取りになると一旦氷を溶かすモードになるので、冷凍庫に入れた冷凍食品やアイスが溶けてしまって長期間保存できませんでした。次回の冷蔵庫は冷凍室が独立した2ドアだという想いがありました。電気店を何軒か廻りましたが、どこも発達で問題が出てしまいました。配達日は指定できても夜間配達をしてくれないのです。独り者ですから、日中家には誰もいません。また壊れた古い冷蔵庫を持ち帰ってもらわなければなりません。やっとのことで夕方6時に配達してくれる電気店を見つけて購入することができました。冷蔵庫が届くのが楽しみです。冷蔵庫が届いたら箱入りのアイスを山ほど買い置きしておいて、晩酌の代わりに帰宅後1本食べるのが些細な夢です。

2004年2月15日(日)
危険物取扱者の資格試験に行ってきました。受験するのは乙種第4類。引火性液体といって、ガソリンや灯油、軽油などが当てはまるどこの工場でも最低現有用な資格です。試験は10時からですが会場は沼津市の高校まで行かなくてはならないので、平日と同じ6時に起床して車で沼津まで行くことにしました。駅前の有料駐車場に着いたのが8時半。会場までバスかタクシーで行こうと思っていましたが、時間に余裕があるので1キロ半程度の道のりをてくてく歩いていきました。会場には若い人からおじさんおばさんまでかなりの人数が、校舎の入り口が開くのを待っていました。私も受験者にまみれながら待っていたのですが、最後まで手を抜かないようにと建物の端に行って参考書を開いて見直しをしました。試験会場の入り口が開くとみんな一斉に入っていきます。入り口に受験番号に合わせて教室の場所が貼られていました。私は4階の教室。多少ドキドキしながら教室に入り自分の受験番号が貼られた机に座りました。試験は2時間。30分を過ぎると退席して良いことになりますが、退席の時間になると次々に帰っていきます。みんな早いなぁと思いながら、見直しを2回ほどしてから答案を試験官のところに持っていきました。一番前の席に座ってたので気がつかなかったのですが、教室で私が一番最後でした。物理・化学と物質の物性は簡単に解けましたが、法規は一番勉強したのに迷う問題がいくつか在りました。帰り道、駐車場までの道のりを参考書を開いて答え合わせをしながら歩いていきました。3つぐらい間違えてしまったようです。もっとも資格試験なので100点を取る必要はなく6割取れれば良いので多分合格だなと安心しました。

2004年2月7日(土)
2月になって、私の住む裾野市でもプラスチック製容器のゴミ分別が始まりました。今までは燃えるゴミとして捨てていたのですが、プラマークのある物はすべてプラスチックゴミとなりました。プラマークなんて今まで気にもしなかったのですが、気にするようになるとスーパーで買ってきたお総菜のプラスチック容器はもとより、スーパーの袋やタバコの外装のフィルム、飴の外袋から飴が一つ一つ包まれている袋まで、みんなプラマークが付いてるんですね。きちんと分別すると、1月まで燃えるゴミとしていた6割以上がプラスチックゴミでした。会社の寮住まいなので、30リットルの燃えるゴミ用の袋がいっぱいになるのに10日程かかっていました。月に3回程度しか燃えるゴミを出さなかったのが、月に1回程度になりそうです。その代わり、プラスチックゴミを月に2回ぐらい出すことになるでしょうか。きちんとリサイクルされればゴミも宝の山になるでしょう。そう考えると、我が国では、石油などの資源を海外から購入していますが、数十年後には石油も枯渇し、今まで埋め立てられていたプラスチック類が掘り起こされて新しい資源となる日が来るかも知れません。そうなると、日本は世界有数の資源国です。今の大人達が石油製品を無駄遣いしていたおかげで、子孫たちは山ほどのプラスチック資源が手に入るなんて事になるのでしょうか。

2004年1月1日(木) 元旦
新年、明けましておめでとうございます。
昨晩は、紅白歌合戦が終わったあと、酔い覚ましに風呂に入り、新年恒例の初詣に行って来ました。親父が死ぬ前から行動パターンは毎年変わらず、地元の赤城神社という神社に行ってお参りをし、甘酒をもらって破魔矢を買い、入り口のところで売っている味噌おでんを食べて帰ってくることになっています。近くに佐野厄よけ大師があるので、上手に行かないと大渋滞に巻き込まれてしまいますが、もう慣れたものです。さっと行って、さっと帰ってきました。そういえば、今年私は厄年です。昨年は前厄だったわけですが、仕事が忙しくて風邪一つひく余裕がありませんでした。今年は無理せず健康な一年にしたいものです。



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