M.O.Bコラム

vol.078
ドラッグ街道をゆく 
番外
2

 03年の7月、神戸商船大学(現、神戸大学・海事科学部)の市民公開講座「大型クルーザーでクルージングの技術を学ぼう」に参加した。そのあと琵琶湖のヨットスクールに1年通うことになる。
 リブレヨットスクールだが03.10月から通ったが、叡山の頂が雪化粧した冬はサボった。寒いのは苦手である。そして04.9月に卒業した。ヨットの練習より、大阪から堅田駅までの車内で本を読むのが好きだった。
 習い事は好きだ。YMCAの英会話スクール、スイミングスクール、ハワイの飛行機学校、ゴルフレッスン、そしてヨットスクール。
 旅も好きだ。1972年からいろんな国を訪れ、いろんな人と会い、いろんなモノを買った。ヨットライフをすることになり、モノを整理した。なんでこんなモノを購入したのだろう。今なら決して買わないと思うモノが多すぎる。
「そういうことを通過してきたから、分かるんとちゃいまっかあ」

 竹中同志がうまく言ってくれた。50代半ばにして、ようやく欲しい「物」からやりたい「事」へシフトできたのである。これまでの入院経験がボディーブローのように効いてきた結果なのか。それともコラムに書いたように思想や主義でぼくの人生は変わらなかった。ぼくの人生を変えたのはこの失恋だった」のかも知れない。
 どっちにしても、「えらいこっちゃ・航海宣言」を実行に移する時がきた。出航は道頓堀からではない。LangkawiからPhuketである。これが処女航海になる。もちろん1人では「超」不安。基本は琵琶湖でセーリングしたものと同じとはいえ、Captain Luke君を雇い操船技術などを教えてもらいながらの航海になる。習い事は好きだから問題はない。航海関連の教本5冊と不良寿司の奥野君にもらった「簡単!豪華!新鮮!まんが版、漁師のマル秘料理」も持って行く。車内の読書が
好きだから船上の読書も楽しみである。でも、船酔いしそうだ。
「そやけど、モノを持たんようにしてるのに、なんでヨットを持ちまんねん。レンタルで借りたらええんとちゃいまっかあ」
  同志が首をかしげたことがあった。ヨットはモノに違いない。しかし、キャビンは宿泊場所であり、書斎にもなる。運賃は軽油と風だからすこぶる安い。最後には棺桶としても利用できる。
 MyYachtはイメージとして背負う必要のない大きなリュックだ。
 旅にもいろんなかたちがあるようにヨットもいろんなかたちがある。レースする人もいれば、BlueWaterもいる。週末セーリングを楽しむ人もいるし、無寄港世界一周をする冒険家もいる。南雲は冒険なんてするつもりはない。しかし、旅は好きだ。 M.O.Bスタッフの米澤耕司君にもらった矢沢永吉の「トラベリン・バス」のような気分でセーリングしたい。出航する時はThe Rolling StonesのStart Me Up。帰港時はSatisfactionを鳴らそう。
 嵐に遭遇することもあるだろう。そんな時はピンクフロイド。キメるものを決めれば風も波もご機嫌な映像に見えてぶっ飛べるだろう。太陽が出ればプカプカヘラヘラしながらレゲエをかける。日本酒を飲めば大漁旗を掲げ北島三郎の曲をカラオケハンドマイクで歌いたいし、永ちゃんの「時間よ止まれ」もヤザワになりきって絶唱したい。南雲のヨット航海はカラオケ店に行くようなものである。
 M.O.Bコラムの趣旨は航海に出るまで「戦意高揚」を持続緊張させるために書いてきた。身を清めるために自転車でお遍路さんにも行った。ケツのメンテもした。旅のことは「ドラッグ街道をゆく」として連載した。Yacht探しの報告もある。ガキの頃の話も臆面もなく原稿にした。これらのコラムをいささか頼りない「わが闘争」宣言として読んで頂けたのなら嬉しい。
 10月10日からヨットライフ(わが闘争)を始めるが、基本精神はM.O.Bである。これからも「女とドラッグとロマンに溺れる」つもりだ。
    (2005.10.7) (わが闘争1へ)