ミッドナイト文庫 《密輸列車が行く page 1》


vol.011   

密輸列車が行く
 

 ひょんなことから、バンコク〜プーケット〜マレーシア、そしてタイへ戻る旅行をすることになった。そこでマレーシアからの帰りはタイのハジャイに立ち寄ってた。ハジャイはマレー半島の中ほどにあるタイの地方都市である。回教国マレーシアに近いせいかバンコクとは雰囲気が少し違う。
 街には白や黒のベールを被ったイスラム教徒の女性が目につく。だからと言って、回教文化一色の街でもない。中華レストランやナイトクラブにはシンガポールやマレーシアからやってきた華僑たちで賑わっている。しかし、ハジャイではタイから分離独立求めるイスラム過激派がテロを起こしたことがあった。
 このハジャイを初めて訪れたのは10年ほど前だった。駅のホームで爆発事件があった。「密輸列車が行く」はその当時のことを書いたものである。
  ハジャイ駅でマレーシアのクアラルンブール行きの二等自由席に座った。列車の旅をのんびりと楽しむには鈍行が一番だ。列車が走り出すと、窓から入る風が熱帯の暑さを吹き飛ばしてくれる。この感触がいい。冷房付きの一等指定席では窓から入り込む風や匂いを味わえない。おまけにクーラーが効き過ぎて寒い。
 通路を挟んだ隣の座席には男が二人いる。手前は五十代で紐のネクタイを締め鼻の下に髭をはやした紳士。窓側にはイスラム教徒を証明する黒の帽子を被った老人。髭と目が合ったので「ハロー」と軽く会釈した。すると向こうから「コンニチワ」と挨拶が返ってきた。
 東南アジアを旅しているとこのような場面に出会うことがある。日本語が通じるのは嬉しい。しかし、その背景を考えると手放しで喜べない歴史がある。
 70年代の台湾で大勢の人に取り囲まれて日本語で旧日本軍の犯罪を糾弾されたことがある。それからは東南アジアでカタコトの日本語を話す年配を避けるようになっていのだ
。日本語が分からないような顔をして外の景色を眺めた。
「日本人でしょう」
 髭が英語で話しかけてきた。もう無視する訳にはいかない。
「ハイ、日本人です」
 英語で返事した。
「日本人なのに発音がいいね。どちらまで?」
 髭は微笑むと目尻が下がる。優しそうな顔だし分別もありそうだ。
「クアラルンプールです」
 安心して話すことにした。
「クアラルンプールへ行くって。この列車は鈍行だよ。おまけに乗り換えなきゃいけないし。到着は夜中になるよ。貧乏旅行の学生じゃあるまいし。本当に日本人かい」
 髭はわざと大げさに疑ってみせたあと隣の老人に声をかけた。老人は鋭い眼光をしているが物腰は温厚だ。このような老人は自分の息子の躾は厳しいが孫には優しいタイプだろう
。彼らは親子ではない。顔が違い過ぎる。どちらかと言えば師弟関係のように見えた。
 二人の会話はタイ語ではなかった。イントネーションが少し違う。
「タイ人じゃないんですか?」
 二人はお互いの顔を見つめ合った。
「何人に見える?」
 髭が尋ねてきた。少し間を置いてから「アジア人」と答えた。すると後ろの座席に座っていた白人の青年が「グッド・アンサー」と笑った。
 学生だろうか。長い髪を後ろで束ね左耳にはシルバーの十字架のピアス。細長い顔は日焼けで赤く、とがった鼻先の皮が剥けている。猟犬のような顔に見えた。
「それじゃオレは何人に見える?」
 青年は絞り染めしたえんじ色のヨレヨレのタンクトップとショートパンツ。随分と長く旅をしているのだろう。トレッキングシューズがボロボロにすりへっていた。犬系ヒッピーという答えを思いついたが、やめた。彼の英語はアクセントがキツいロイアル・イングリッシュである。
「イギリス人」
 自信に満ちた答えに老人がウムとうなずくと、髭もそうだとうなずいた。
「違うぜ。オレはアイルランドさ。イギリスのクソ野郎の隣の国だ」
 青年の答えに二人はいきなり政治の話を始めた。どうなっているのだろうか。さっきまでの優しい顔や温厚な表情はどこにも見当たらない。二人は険しい顔でカトリックとプロテスタントの宗教紛争の理由やイギリス軍の介入とテロ事件について矢継ぎ早にアイリッシュの青年に質問をした。