餅つき

 昔はどこの家にも餅つき用の臼と杵があって、自分の家で正月の餅を搗いたんやった。毎年師走の暮になると、何処からとものうぺったんこぺったんこと餅を搗く杵の音が聞こえてきたんや。「もう今年も餅つきが始まったで、こんなに早ょうつかっせるとこは、何処の家やろ」なんて、夕飯を食べながら、おっとうやおっかさんと話したもんや。

 隣の善まんとこや、裏の村山の左十郎まんとこの餅つきは暮の二十八日頃で百姓をやっといでて、たんと搗きないたな。二十九日は、苦をつくと言って縁起をかつぎて搗かなんだんやって。

 商売屋では暮になると忙しいもんで、早めに搗きないたんな。かしわ屋の利右衛まんとこは二十五日頃やった。早めに正月餅を搗いて、本番の商売に備えないたんやで。
 利右衛まは、暮になると朝早ょう在へ出かけ、鶏を籠に一杯買っといでて、裏の広場で鶏を一羽ずつ出いて首をひねて往生させてから、首を切って素早く血をぬき、まるごと熱湯の中へ入れて、羽をむしっといでて、もう昼時分には店頭の大皿に、料理したてのかしわの身が並べられて売られておったで。

  
 利右衛まは、地鶏の専門家で裏にたんと飼っといでて、毎朝一番鶏が時を報せてくれたんやで。鳥のことについて詳しく、うまい肉を売りなるもんで、町ん中にお得意がたんとあって、正月用のかしわの注文が殺到してようはやったな。

 私の家も豆腐屋をやっておって、暮になると目が回る程忙しいもんで、餅を二十三日ころに搗いたんやった。昭和四十七年頃になると、おじいとおばあと私達夫婦に子供を合わせると八人の大家族になっとって、餅もおそろしいほどたんと搗いたんやで。

 餅つきは夕方の四時頃に始まり九時頃終ったんや。前日、あるだけの桶に、もち米や粟やたかきびを水に浸しておき、翌朝しょうけに上げて、別々のせいろに入れて、せいろを三段重ねにしてお釜にのせ、かまどで火を焚いて蒸し上げ、やがて蒸気がいっぱいたって早よう蒸し上った下のせいろから、米を臼の中へぶちあけて、おっとうが暫くこねてから、杵を振り上げペッタンコと搗くと、おっかさんが、とっさにおっとうが搗いた餅のかたまりを、手で裏返し、一呼吸置いておっとうがペッタンコと搗いたんやった。

 このペッタンコの呼吸を合わせるのがむつかしょうて、他に考え事をしとったり、夫婦の仲がうまくいっとらんと、頭や
手をかつことがあったんやって。こうした事故の無かったとこをみると、私の家はよう喧嘩をしとったけど、夫婦仲がよかったんやろか。

 五時間もすると、奥の間のむしろに餅とり粉がまかれた上に、黄色の粟餅、茶色のたかきび餅、緑色のよもぎ餅、
それに栃餅や豆餅が一杯並んだんやで。

 どこの家の餅つきも、昼間の仕事が終り一服してから取り掛かったので、夕方から夜にかけての夜なべ仕事になったんやで。一人前に仕事をしてから、餅つきのような荒仕事をやるなんて、昔の人は頑丈やったな。

 餅つきの音を聞くと、今年ももう正月がやって来るやなと感じたんやで。
今の杵の音は向かいの積ま、今の音は兵いっさの兵まがつかっせる音やなんて炬燵にあたって杵の音を聞いては
、正月が来るのを指折り数えて待ったんやった。

                                 
 今は殆どの家が、機械で餅を搗きなるようになってまって、中にはスーパーの餅で間に合せる家もあったりして、餅花をつけなるとこもお鏡様をとんなるとこも少のうなってしまったなあ。

 おっとうが鉢巻きを頭にしめて杵を振り上げ、おっかさんが姉さんかむりをして、餅をまぜている姿を今でも十二月になると思い出すんやで。

トップページに戻る