毛付市

 昔の八幡の子達にとって、年中行事の中で一番の楽しみは、毛付けやった。
毛付けは、馬の毛並みのよさに等級をつける馬の品評会みたいなもんで、昔
八幡城の殿様が、領内から多数の馬を集めて、ご城下で馬の品定めをされ、お気に入りの名馬を召し上げられ、残った馬がせりにかけられて売られていくという、馬市が開かれたそうだ。

 
この馬市は終戦直後まで、毎年七月二十七、八日の真夏の暑い盛りに開かれ、郡内から多くの馬が城下に集まってきて、多くの人とお金が動いて、それは盛大なもんやたげな。
 この馬市には、おっとうの在所の明方の奥や、和良からも八幡へ掘越峠を馬を引いて越しておいでたりして、町ん中もひどう賑わったんやで。

 この馬市の人出を見込んで、殿町の大通り一帯に、全国各地から香具師が集まって来て見せ物や露店を開いたもんで、在からも八幡の親戚に泊込みで出掛けておいでたので、殿町の通りは都会の盛場みたいな賑やかさやったって。                    

 私達赤谷の子どもんたも、す桃のなる時分から毛付けが来るのが楽しみで長いこと待っておった。
 六月の初め頃になって、殿町の今のバローの跡地か上殿町の空地に、毛付けのサーカス小屋や見せ物小屋が建ちはじめると、学校の終わるのを待っとって、隣の政さんや向かいの一ちゃんや宏さんと、建築現場へ駆け付けて、鳶職の若衆が見上げるような高所へ軽々と上って、はさのこを組んで建物を作り上げていくのを付ききりで眺めとったんやで。

 毛付けの最大の呼び物は何といってもサーカスやったな。
 毛付けの始まる前日に、サーカスの一団がクラリネットを吹き、アコーデオンを鳴らし太鼓を叩いて、サーカスに付き物の「天然の美」の曲を奏でて町をねり歩くと、その後を子どもんたが、ぞろぞろついて回ったんや。サーカスの一団の中には、タイツをはいて美しく着飾った女の子が数人おった。その女の子が近付いて来ると、何とも言えん甘酸っぱい匂いがしたもんや。                                                                         
 学校の方も夏休みに入っとったもんで、赤谷の子も町場の子も、小金を握り締めて朝から晩まで殿町のサーカス と露店に張りついとったやで。

 中でも、がまの油売りの口上が面白うて、それをちゅうで覚えて、独特の言いまわしで言い合ったりしたんや。
口上の中のがまの油の効能を試すとこで、自分の腕を切って見せるとこがあるんやが、真剣をスーと鞘から抜いて、腕を今切るか今切るかと一ちゃんも政さんも、目を見開いて待っておっても、腕が切れて血がしたたり落ちるなんてことは、ついに無かったな。切る一歩手前でうまいことはぐらかされてしまったんやな。

 仁丹パイプも人気があったで。セルロイド製のパイプの先っぽに、色々な動物の細工がうまいことしてあって、吸い口から煙草を飲むように吸うと、甘い仁丹の味がスーと口ん中へ広がってきて、終戦直後は物がのうて甘いものに飢えとったもんで、みんなが買って首に掛けて、よう吸っとたな。


 
サーカス小屋の前も、いつも黒山の人だかりやった。入場するのにまとまったお金がいるので、小屋の前に立ってけなるそうに、幕一面に描かれた曲芸の名場面の絵に見とれとったんやで。やがて場内から「ワーワー」という大歓声と拍手の音が聞こえてくると、スーと目の前の幕が上がって、空中ブランコのとっておきの場面が、チラッと見えて、すんぐに幕がおりるんやんな。
 また30分程するとスーと幕が上がって、今度は美女が、のこ切りで真っ二つに切られる場面が、一瞬出てまた幕が下りるんやな。そのスリル満点の場面が見とうて半日程、小屋の前に張りついとったな。

 毛付けにはサーカスの他に、一寸法師やろくろく首や蛇女等の見せ物が、ようやって来たで。

 地獄極楽の場面を見せる小屋もあって、入場すると中が薄暗ろうしてあって、生前に嘘をついた人間が、死後に地獄へ落ちて、閻魔大王の前で赤鬼に舌を抜かれている場面や、生前行いの悪かった人間が、死後、火の海や血の池へ放りこまれて、もがき苦しんどる場面が出てきて、怖いもの見たさに入場する人もあって、ようはやっておったな。

 おっとうやおっかさんも、本当にそう思っといでたかわからんけど、よう私に嘘をつくと地獄で舌を抜かれる話や、ご飯を食べて寝そべっとると、牛になるで起きとらないかんと言われたもんや。                  

 昔、毛付市で賑った殿町もすっかり変わってまった。  
正月二日の買い初めで賑った東京堂もとっくの昔にのうなり、道の両側にあった桜並木も姿を消し、少年の頃に柔道をした警察も移転し、毛付市もすっかりさびれてしまった。

 おっとうやおっかさんに手を引かれ、向かいの宏さんや一ちゃんと一緒に、浴衣がけで出掛けた、毛付けの夜店の勢いのよい呼び込みや、アセチレンガスの青白い炎が今でも懐かしく思い出されるんやで。


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