なぜ横浜へ行ったのか     2001.1.29

 1月29日、横浜市へ高野・池田両市議と、鶴見川の総合治水対策の視察に行きました。
 その理由は、浅川ダム一時中止が打ち出され、総合治水ということをもう一度勉強したいということもありますが、地元や長野市政での都市型水害解消のため取り組んで来た原点が横浜にあり、私の後継者である両市議会議員に実際に現場を見て知っておいて欲しかったからです。

 私が市議会議員として初当選した昭和58年9月には、その投票日の翌日に台風により千曲川が氾濫し、飯山や中野での堤防の決壊や松代温泉団地の水害などあちこちで大規模な災害が発生し、私の周辺でも床下浸水など多くの被害が出ました。
 故藤倉武市議会議員が現場主義を掲げ都市型水害と闘って来た「カッパとゴム長の12年」。私がその後継者として当選させて頂いた翌々日に、記録的な水害が出迎えてくれたのです。そして、その翌年の59年にも台風災害は発生し、市政の課題の重点の一つに水害対策が掲げられることになりました。幸いなことに、当選して直ぐに私の所属する議会の委員会について藤倉さんに相談したところ「土木住宅委員会に入って勉強した方が役に立つ」と言われ、所属したその委員会では年1回行っている行政視察の重点を都市型水害対策として、先進的に取り組みを行っている市の調査を行ったのです。
 そして、この時に訪れたのが横浜市であり、民間開発への義務付けにより無数の調整池のある光景や、開発途中の平地へも水が流れないようまわりを土で囲っている光景、小中学校や企業所有のグランドまで調整機能の整備されている光景を見、そして個人の家庭への浸透桝の設置指導などの説明をお聞きして「これだ」と思ったのです。そして、それからはほぼ毎議会に質問で横浜市の例をあげ、総合的な治水対策を求めたのです。
 その後も多くの自治体の調査も行いましたが、私の知る限り横浜市が一番先進的であり、財政力が小さい長野市においても、あの調整池が市民の生活の一部に溶け込んでいる横浜の取り組みの何分の一でも、また、「そこに降った雨は、そこで一時貯留する。」という頑強な理念を長野市にも確立することが私の目標となったのです。
 あれから約15年、長野市でも15のグランド貯留、長野運動公園や中越池、弁天池などの調整池、開発行為による民間の調整池、新築時での雨水浸透桝の設置など多くの施策が行われました。しかし、「災害は忘れたころにやってくる。」と言いますが、市の動きも近年にぶくなって来たことも実感したり、浅川ダム問題は住民の意識の問題も含め総合治水ということを、もう一度原点から問い直して見る必要があるのではないかと思っていました。

 今では横浜市の治水対策と言えば横浜国際総合競技場が巨大な遊水池の一角に建設されていることは有名ですが、さらに総合的な対策が計画的に進められています。
 横浜市は昭和54年に建設省が指定した「総合治水対策特定河川」に全国6河川の一つとして鶴見川が指定され、55年には建設省、県、横浜市、町田市、川崎市などと「流域総合治水対策協議会」が設立され「流域整備計画」を策定。50年に一度確立の豪雨に対応するため、流域の貯留量を380万リッポーメートル、うち横浜市は228万リッポーメートルの分担が決められ、昨年度までに流域全体で約71%、横浜市で約65%の貯流量を達成しているとのこと。横浜市の下水道整備率は既に99%を越えており、この予算を雨水対策に活用出来ることも強みとなっている。国の厚いモデル的な補助制度があるとはいえ、市内の雨水調整池は約3000箇所もあり、民間による所有権が移転した際の対応や老朽化した施設の管理保全が課題となり、市への所有権の移転や貯留能力をさらに高めた上でスホーツ施設などに多目的に活用出来る改築を行っていた。(3000トン以上の能力を追加し改修すると国から半額の補助)
 昨年12月19日に、建設省「河川審議会計画部会」が出した「流域での対応を含む効果的な治水の在り方」と題する中間答申に、貯留施設等の設置・運用についての総合的な基準の検討とか、同昨日担保方策の具体化などという事項があるのか横浜の現在の取り組みを知り理解出来ました。しかし、この15年という歳月の間に先進的な横浜市と、そうでない都市とのギャップはさらに拡大した感があり、建設省の「河川審議会計画部会」が行っている検討も、もっと遅れている都市の対策に国の支援策を拡大する方策を検討して欲しいと実感しました。

 今回、再び横浜の治水対策を調査させて頂き、あらためてガムシャラに市政と県政の場で連携して、総合治水対策の頑強な理念の確立を求めるとともに、国の補助制度の動向も注視して対応する決意をあらたにして帰って来ました。
 
 

戻る