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「治水・利水条例」作成物語         竹内久幸
 

 2月定例県議会で議会が提案した「県治水・利水ダム等検討委員会条例」。
 この条例を作成した私として、なぜ条例案を作成したのか、今後成立した条例により各流域ごとに検討される治水・利水対策に生かして欲しい趣旨から、過去の私の日誌から心境を抜粋するとともに、経過と審議情況を若干の裏側も含め私の日記としてまとめました。


2000.11.22 浅川ダム対話集会で知事の手法に疑問を抱く
 田中知事が浅川ダム現場視察と対話集会。賛否両論、ヤジが飛び交う中で激突。知事は最後に「浅川ダムを一時中止し、新たに検討委員会を設置し検討する。」と表明。私は、たったの一日で、しかも検討するといっとても、賛成、反対の対立を復活させて、どこに出口を求めるのか、既に中止を表明した大仏ダムや、見直しを表明した「子供未来センター」の手法も含め疑問を抱きました。 
 そして、どうすれば、対立を解消し、上流、中流、下流の利害を調整し、流域の住民が納得し、安心できる治水対策が可能となるのか、この日から真剣に考えはじめました。
2000.11.28 なぜ水害問題で、こんなに苦労するのか。
 県農政部は国の「用排水分離事業」のモデル事業として、長野市の東北部の柳原地区で千曲川へ流入する柳原排水機場から柳原導水路、そこへ流入する柳原1号・2号幹線排水路の改修を実施しています。そして、一番下流の柳原地区での機場の改修、河川の拡幅の見通しがつき、私の地元である中流域に事業が及び、北長池地区でバイパス計画について説明会があり出席しました。 
 しかし、河川の中流に位置するこの地区は、過去から上流・下流との関係で歴史的に水害に苦しんで来ている経過から、「バイパスを通すことは、水貯場にすることであり、住民の理解は得られない。」として、過去に、もうひとつバイパスを作った経過や、下流域との歴史的な水門管理への不信感などを主張し、この日の話し合いは物別れに終わりました。 
 私の地元は、長野市の中心市街地から千曲川へ流入する多くの中小河川(用水)の中流域に位置し、上流部の都市化の進展とともに集中豪雨や台風の度に水害が発生し、課題となっています。 
 しかも、この地域の河川構造は、裾花川から県庁南側、そして当地区を通過し、中流域から下流は国道18号を境に北側は浅川に、南側は柳原排水機場に流れ千曲川へ流入しているのです。 
 私は、市議3期目の選挙で朝陽地区で唯一人の議員となった時、「水害常習である朝陽地区は、その悲惨さのために、そのことが市への主要な要望事項となってしまい他の公共施設や道路整備などの課題が埋もれてしまう。しかし、こうしている間に他の地区では公共施設や道路が整備されることは不公平である。水害問題は、即、解決出来る問題ではないが『何年後には解消します。』という市の計画が位置付けられれば、住民は不安を解消できる。これからは、水害問題で埋もれてきた他の地域課題を具体化したい。」と訴え、21世紀に住民が何を望み何を実践するか「地域活性化対策委員会」の設置を提起し、当選後実行しました。 
 つまり、水害常習地域は、何年に一度来るか、年に何回も来るか分からない水害のために脅え、そのために、他の地区との格差が生じていることもあるのです。水害の痛みは、水害にあった人でなければ分かりません。しかし、私の地元、朝陽地区には歴史的に水害への痛みが行政要望のトップに位置する現実と、それ故、他の事業の遅れがあったのです。 
 国政においては公共事業の見直しが論議され、その流れの中で浅川ダム問題などの様に党利や、水害の苦しみを知らない人たちの判断が選択の基準とされ、人災である水害問題と日々向かい合っている私達地域の苦労は、どこかに置き去られて行ってしまうのでしょうか。 
2000.12.1 議会の活性化に向けて 鉄は熱いうちに、うて。
 田中知事になって県議会は、今のところオール野党となっています。知事選直後は田中氏が何かマスコミを通じて行動を起こすたびに、その内容が話題となり、どの議員もピリピリしていましたが、最近は少し落ち着いて来た感があります。 
 でも、「田中知事が提案する議案や日常の県政をしっかりチェックする議会の体制を、どの様に確立するのか。」が話題となる様になりました。例えば知事が替わった初議会で会派が行う代表質問は、これまでは再質問や関連質問は行っていませんでしたが、「それで良いのか。納得の行くまで行うべき。」とか、「必要に応じて臨時の委員会を開催し、納得の行くまで論議を行うべき。」などの積極的な意見が出され、議会運営委員会でも論議が行われています。  
 私は初めて県議会を経験したとき「予算規模が長野市と比較し約8倍なのに、会期が年間を通じて長野市議会とほぼ同じ日数で審議もおおまかな感じがする。」という印象を持ちましたが、少しずつ改革する内容として、「議案提案から一般質問の間に、議案調査のための休会日を一日増やすこと。(現在は土・日・月の3日間)」「陳情・請願は委員会の当日配布でなく事前に配布し、検討時間を保障すること。」を会派に提案し、陳情、請願は前日配布となり、会期の延長は議会運営委員会で検討が行われ、近くその方向が出されます。 
 私は、今後も今回のオール野党体制は「議会の活性化に向けた又とないチャンス」「鉄は熱いうちに、うて!」として、「議案の少なくても5日前までの配布。(現在は当日)」「請願、陳情の議員が調査できる配慮への工夫。」「委員会での請願、陳情審査の在り方の検討と、現地調査の検討。」「会派の調査活動の在り方に関する検討。」などについて、積極的に提案して行きたいと思っています。
2000.12.2 田中知事の姿勢に賛否両論。水害問題の本質は、何処へ
 私の住む石渡区の協議会があり出席しました。区長さんの挨拶に続き区顧問の私の挨拶で、私は「浅川ダム一時中止を知事が表明したが、実は石渡区の水害を撲滅するために、当区を通る鐘鋳川を北長野駅前から新幹線沿いの地下にバイパスを作り浅川へ流す計画を、来年の梅雨前に完成する予定で工事が行われてる。しかし、この事業はこれまで浅川上流にダムが出来る前提で、下流域の皆さんに何年もかけて何とかご理解を頂いて来たが、知事の一時中止の意向を受けて下流の皆さんから、このバイパスについて厳しい意見が出る様になった。浅川ダム問題は石渡の水害対策にも直接関係があることを分かっていただきたい。」と話しました。  
 会議後の懇親会となり、お酌にまわっていると、この事と田中知事についての評価が話題となり、「知事の手法はおかしい。」「知事は県政を活発にし、変えた。」と賛否両論、活発に意見交換がされている。この様子だけ見ても確かに県政について、これだけ身近な場所で論議されることは今までになかったことである。  
 そんな中で若い方が「県政に関心を持たせた田中氏の功績は大きい。地元の水害と言うが、全体のことも考えないといけない。」と語気を強め私に意見。私は、これまで区として水害撲滅のために取り組んで来た経過を踏まえ、浅川ダム問題の影響が今までの努力にも及びつつあるこに危機意識を持ち、率直に挨拶で申し上げたつもりなのに、どうも田中知事を批判している様にとられているらしい。今後、挨拶の時は気を付けないと、考えさせられました。 しかし、今の県民の雰囲気は、知事の施策を批判するれば「虐めている。」とか「この次は選挙は・・・・」とか言われている雰囲気で、水害問題の様な本質的な課題でさえ言いにくくなっていることを痛感し、危機感を覚えました。 
2000.12.4 知事のダム見直しで、臨時土木住宅委員会。
  知事の公共事業見直しの手法について、臨時の土木住宅委員会が開催されました。  
 今日の議題は知事が見直しを打ち出した大仏ダム、浅川ダムと、今後見直しが予想される下諏訪ダムと、松本糸魚川連絡道路。各委員からは知事が議会で採択したことを相談なく変更する手法への疑問や、浅川ダムで工事請負契約を結んだ業者への補償の問題。ダムを中止した場合の建設省への補助金の返還の問題。など、正副委員長を除き全員が発言しました。  
 私は「浅川ダムについて対話集会と言うが周知の方法に問題がある。どの様な周知方法をとったのか。」「正式な通知でなくマスコミのみを通じて招集する会議で、重要な方向転換を行う事は問題がある。しかも、会議の一番最後に見直しを表明し、その後意見交換が出来ないやりかたは、意見を聞いたことにならない。もう一度、意見を言う場をもうけるべき。この事は知事に伝えて欲しい。」等を質問しました。また、浅川ダムについて、「知事も含め安全性に不安を抱いている人がいる以上、もういちど検討することは良い。でも、今まで検討して来た皆さんには、しこりが残るのではないか。また、一人でも反対の意見があれば、どうなるか不安に思っている。今一度検討する内容には千曲川や支川上流への調整池整備への補助金の創設など水害がどうすれば無くなるか、総合治水対策の観点から検討して欲しい。」と求めました。  
 結局、土木部と知事の意見が違う現実と、既に知事が議会採決と違う方向転換を打ち出してしまっている現実に、議会としてどの様な対処が出来るのか。何か論議をしていて、割り切れ無さを痛感しました。 
2000.12.11 知事の手法に、「自治体基本条例」を制定しては。
 はじめて知事と議会が論議する、12月議会が8日からはじまりました。12日からは各会派の代表質問がはじまりますが、今日は議案調査の休会日を利用して社会県民連合の代表質問の内容検討や、知事に提出する会派の来年度予算要望書のまとめ作業を団会議で行いました。 
 知事就任前と就任後のこれまでの「子供未来センター」や「ダム事業の見直し」、様々、前任者の決めた事業の見直しを打ち出す知事の手法が話題となり、私は、「高知県が情報公開や行政評価システム、住民への説明責任など今求められている課題を、職員や県民の責務と参加をシステム化する「自治体基本条例」的なものを作れば、知事独断で決める手法を変えることが出来るのではないか。」と話しました。 
 すると、森県議が「それは、どんな条例だ。」というので、私は高知県のHPからコピーしてあった、条例の考え方と「条例素案」を渡しました。また、たまたま同席していた社民党県連の布目幹事長は、「公共事業見直しは社民党としては賛成だが、見直しの基準やルール、住民参加の事業チェック機能創設などを定めた『公共事業基本条例』という手もある。」と言いました。 
 そして、私も森県議も「今後、研究して行きましょうよ。」と言い、その場は終わりました。
2000.12.15 「カッパとゴム長が私達の車の中には、いつも入っている。」
 今朝の新聞には「県議全員が再質問」との見出し。でも、今日行う私の質問は全質問者の中で一番最小の10分間が持ち時間。昨日、原稿をチェックしたが、どう削って早口で読んでも13分かかってしまい時間オーバー。再質問するどころではない。 
 当初私は質問する予定はありませんでしたが、浅川ダム一時中止について、どうしても経過を本会議場で言っておく必要があると思い会派で他の議員から時間を分けてもらいました。それは、ある会議の雑談の中で松本の議員が「浅川ダムの中止は賛成」とか、土木住宅委員会の現地調査の時、南信の議員が「浅川に200億使うなら、南北格差解消で南信に使えば良い」という発言を聞いており、なぜダムを作る計画となったのか災害の歴史やこれまでの取り組みを知事だけでなく、全議員に聞いて欲しかったからです。 
 いざ本番、私は早口で原稿を読むことに集中しましたが演台の前の時計は見る見る内に10分を経過し、議長から「竹内議員に申し上げます。時間となりましたので・・・・」と注意。しかたが無いので、途中一部原稿をカットし約1分の超過で、最後に「私は持ち時間が経過しましたので、再質問は行いません。」と告げると、議場からドット笑いが起き、「時間が無いから、出来ないだろう。」とヤジ。後で、県政会の議員からは「経過がわかって良かったよ。」と激励を受けました。 また、私の質問の中で地域の水害の情況を知って欲しくて、「知事は昨日の質問に答え、知事の車には災害にそなえ水とビスケットが入っていると言っていましたが、私達の車の中にはいつもカッパとゴム長が入っているのです。」と言ったとき、議場はどっと笑いにつつまれましたが、後で複数の議員から「大変さがよく分かった。」と言われ、質問して良かったと思いました。
2000.12.18 各家庭への雨水浸透桝の指導を再び要望。
 今日から2日間は委員会審議。初日の今日は住宅部。私は議案として提案されて県営住宅入居者の家賃長期滞納者への立ち退き訴訟と、9月議会で要望した建築確認時の各家庭への浸透桝設置の行政指導について質問。 
 各家庭への浸透桝設置の行政指導については、「9月議会で住宅部長が検討すると言ったが、その後、建築法や都市計画法上問題があると言う噂も聞こえてくる。しかし、長野市でも行っているし、治水ということについて県民として何が出来るのか、下流の皆さんの痛みを県民が共有する一つの手法として実施する価値はある。」と質しました。すると住宅部長は「検討しているが、傾斜地など地形によっては地下浸透により土砂崩れの危険も生まれる。」と答弁。私は「それは平地であっても地盤によっては浸透しない所もある、一律に実施すべきと言っている訳ではない。出来ることから行政指導することを実施して欲しい。」と要望しました。
2000.12.19 土木住宅委員会が知事と集中審議。
 今日は、午前10時30分から土木部関係の委員会審議。12月4日開催した臨時の委員会で知事と土木部が公共事業の見直しに関し見解が異なることから、委員会への知事の出席を求める意見が出され、午後5時頃まで浅川ダム、大仏ダムについて知事と一問一答の審議が行われました。 
 10人の委員の内、7人が発言し、私も約45分間、浅川ダムについて「もう一度対話集会を持つべき」ことや、これまでの災害の歴史や地元の取り組みについての認識、ダムの構造に対する知事の考え等について質問を致しました。でも知事はあくまで「多角的に検討するため検討委員会の中で検討する」という以上には論議は深まらなかったと思います。 
 私は知事が言う「反対、賛成だけでなく、第3、第4の選択も含め、苦い論議も尽くして行くことが民主主義」ということについて、過去の苦い経過がある課題について手続きが不十分なまま見直しを打ち出したことは、既に反対派が集会を行い賛成派も大規模の集会を予定していることを考えても、出口のない論議となり、結果として第3、第4の道も閉ざされてしまうのではないかと不安を抱きました。そして、その場合、知事が最終的にとるべき責任は「反対のための反対」でなく、下流域で水害が起きている事実を解消する方策を打ち出すことだと思うのですが、何か不安になりました。
2001.1.16 「浅川流域治水対策連絡会を、充実させることも検討しましよう。」と提案。
 知事の表明した浅川ダム見直しに対し、昨年末、これまで流域でダム促進の陳情などを行って来た団体などが集まり「浅川ダム建設促進決起集会実行委員会」が結成され、私も「市東北部水害問題懇話会」の会長であることから、この実行委員会の副会長となりました。
 そして今日は、この会の正副会長会があり出席しました。 
 今日の会議は2月6日に開催する決起集会の取り組みや運営が主な議題でしたが、私は会議の終わりに、「せっかく、こうしてこのだダム問題を機に治水を考える団体が集まったのだから、ただ単に決起集会を開けば解散ということでなく、上流、中流、下流が話し合い利害を調整しながら、浅川流域の治水を検討する会として残すことも今後検討して欲しい。行政側も昭和60年に流域の行政としての役割分担を検討するために、千曲川工事事務所、農林省、県、豊野町、長野市などで設置した「浅川流域治水連絡会」での対応の検証と、会の再開を検討しており、再開されたら、この会との住民の側としての連携を行ったらどうか。」と提案しました。 
 しかし、既に予定の会議時間も大幅に経過しており、この日は具体的な検討には至りませんでしたが、会長からは「今後検討したい。」とのご返事を頂きました。浅川ダム対話集会の結果、反対派も既に集会を開いており、「浅川流域治水連絡会」が再開し、住民との連携を模索したとても、賛成・反対双方との対応をどうするか難しさが残りますが、上流・中流・下流の治水への住民の関心を高め自治体と一緒に、対策に取り組むことが必要であり、私は、そんな組織の設置を決意しました。
2001.1.23 議会の政策提言能力をどう高めるか。
 今日は、社会県民連合の県議団会議があり出席しました。 
 議題は2月議会の質問者の決定や会派としての「政策室構想」など。この中で「政策室」の構想については、昨年4月の地方分権一括法導入により地方議会による条例制定権の拡大など、議員としても住民要望に立脚した政策形成能力が問われており、会派として「政策室」を設置し、そのもとに「平和・人権」「参加・公開」「分権・行財政改革」「社会保障・教育」「環境保全」「食料・農林」「公共事業」など7つの政策委員会を設け、支援団体や各界から有識者に参加頂き約1年間をかけて検討し、県政に提案して行くもの。私は、「社会保障・教育」の担当になりました。 
 でもこの構想は資料の収集や調査、会議の日程調整など大変な動力を要することで、心して取り組まなければならないと思います。
2001.1.25 浅川ダム問題は、治水への住民参加の問題だ。
 今日は吉田地区の支援者の会があり出席しました。出席者の中に区長を努めている方がおり、話題は浅川ダム問題。その方は「先日吉田地区の区長会があり、2月6日に行われる浅川ダム促進集会への参加が議題となり、私は区長会が過去において浅川ダムについてどういう経過があるのか質問したが、良く分からない答えだったので、区長会として経過がないものは参加者を募ることには反対した。」というのです。また、他の人も「過去に何回か浅川ダムの説明会の回覧がまわって来たが参加しなかった。回覧をまわす程度で説明責任を果たしてはいない。」と言いました。 
 私は、吉田や三輪にも過去において都市型水害はあった。でもSBC通りの地下に「北部都市下水路」を整備したり、「中越池雨水調整池」や「弁天池調整池」を整備したことにより、この地区の水害はほぼ解消した。しかし「北部都市下水路」は浅川に水が流れており、しかも下流での天井川が解消したことにより、その水は過去よりも加速して浅川へ流れる様になった。下流の皆さんは「もし浅川ダムを中止することになれば、北部都市下水路の水を浅川へ流すことをやめるよう知事に直訴する。」と言っている。説明責任というが自分で興味が無いから回覧を見ても出席しなかったのではないか。吉田の「太田の堤」がつぶれ「老人憩いの家」になったことに対し、下流の水害常習地の住民は反感を抱いている。今後、下流の皆さんは吉田区長会の皆さんが「自分さえ良ければ。」という態度を取れば、地区や個人の責任を求めることになるでしょう。と言いました。 
 すると他の方は「中越調整池」は水が一杯になったことは無い。効果があるのか。」と質問。私は「中越調整池の場所は東部中のグランドにすべきとか、PTAの皆さんから強い要望があったが、調整池にしてもらった。当時は周辺も水がついており、しかも太田の堤をつぶしたことを教訓に下流への配慮が最優先だった。調整池周辺の皆さんは、なぜそこに調整池があるのか下流に住む住民への配慮としての気持ちを理解することが大切だと思う。」と言いました。 
 結局、話しは「そういうことだったのか。でも、吉田の水害解消のために浅川に負担をかけていることや、なぜ調整池があるのか周辺の住民は知らない。行政は住民への説明責任を果たしていないのではないか。」という話しで終わりました。
2001.1.28 「知事をいじめるな!」との発言と、「千曲川へ流しせば良いのか」との提言
 今日は、地区の大工さんの新年会があり出席しました。 
 来賓の挨拶で「皆さんのご意見を率直にお聞かせ下さい。」と言って、全員にお酌にまわりましたが、関心はやはり田中知事と県議会の関係で「竹内さん大変ですね。」とか「田中知事はどうですか。」「田中知事になって何が出るか、県政の先行きが不安ですね。」とい声がもっぱらでした。 
 そんな中で、若槻から来たと言う方が、私の顔を見るなり怪訝な顔をして「官僚的な県政を改革する、田中知事を虐めるな。2月議会も県会議員を見張ってやる。」と言って来ました。私は「虐めてはいない。ダメナものはダメ、良いことは良い。そして、積極的に県民益のためになることは提案するだけだ。」と答えました。 
 会の終わりごろになって一人の方が私のところへお酌に来て「竹内さん、千曲川の改修をどう思う。」と聞いて来ました。私は「どう思うってどういうこと。具体的に考えを聞きたい。」というと、「千曲川は下流で抜本改修が出来ていないし、もっと力を入れて行うべきだと思う。しかし、下流の整備が現時点で遅れている以上、流入する私たちの地域で、例えば河川の横にコンクリートで囲む貯留場を作って、そこで水をためる方策をとるべきだと思う。」と言うのです。私は思わずその方と握手し、「今までも、この地区の治水対策や浅川ダム問題の本質はそこにあると思います。」と言いました。これまで水害対策の会議以外で、こうした場で、そのことをわざわざ提案しくれた方は、これまでいなかったを考えると、ただ単に「知事をいじめるな」という生産性の無い事を言われた直後だけに、私は嬉しくてしかたありませんでした。
2001.1.29 横浜市を視察しハットした「雨水調整池」の看板設置
 鶴見川の総合治水対策を調査するため、高野・池田両市議と横浜市を視察しました。 
 横浜市は急激な都市化に伴い昭和55年に建設省が通達した「流域総合治水対策協議会」を設置し、「流域整備計画」を策定して開発行為への指導要綱策定による雨水調整施設の行政指導や、学校や住宅などの公共施設への雨水調整機能の整備を国の支援を得ながら行い、全国的にも都市型水害対策では先進都市として知られています。
 私は、市議として当選させて頂いた昭和58年9月、その翌日に台風による地元での水害発生以降、「何とかしなければ。」という一心で、この先進都市である横浜を訪れ、開発行為への行政指導や個人家庭への雨水浸透桝の設置など、まなんだことを市政に生かして来たつもりです。そして、今回は浅川ダム問題をめぐる総合治水対策の原点と、私の地元の市議後継者である高野市議、そして、自治労の後継者である池田市議に、少し形骸化して来た長野市の総合治水対策の原点である横浜市の対策を「継承して欲しい。」という気持ちで調査を誘いました。 
 十数年前に訪れた時の新鮮さはありませんでしたが、担当してくれた所管の課長さんは熱心に説明してくれました。そして、現場をご案内頂き、民間の開発行為で過去に整備された調整池に、事業者が設置を義務付けられている調整池の構造や役割、貯留能力、管理上の連絡先等を明記している看板をあらためて見て、十数年前に視察して以降、この看板のイメージが私の横浜市の雨水対策のイメージとして焼き付いているが、「そういえば、長野市内の雨水調整池にこの看板は付いていたのか。」という疑問が生まれ、過去の私の活動を反省しました。
 なぜなら、雨水調整池は下流へ流れる雨水を調整するためにあるのであり、そこに住む皆さんには、その施設がなぜあるのか分かりにくいと思うからです。正に、浅川ダム問題にしても、上流の雨水が浅川に流れていることや、市がどの様な施策を講じているのか知らない住民が多く、党利党略で主張する皆さんに宣伝扇動されている傾向が強いからです。もし、そこにある雨水調整施設が「なぜあるのか」周辺の住民が理解出来たら、もっと「下流の痛みが分かる」住民参加の施策が達成出来ると思いました。 
 今後、私は高野・池田両市議と連携し、看板の設置をはじめ、そのことを追い求めたいと思います。
2001.1.31 急遽、朝陽地区水害防止対策委員会・北部小委員会を開催。
 浅川ダムの一時中止により、私の住む朝陽地区北部地域の水害を解消するため計画された鐘鋳川を北長野駅前から新幹線沿いに浅川へカットする河川バイパス(鐘鋳3号排水路)について、下流域の皆さんから「ダムを中止するのであれば、浅川へ流せさせない。」とクレームが付いている問題で、私が会長をしている朝陽地区水害防止対策委員会の北部小委員会(石渡・南堀・北堀の3区で構成)を急遽招集しました。 
 なぜなら、この事業は今年の梅雨前には工事が完了し、鐘鋳川へ流れる水量の60%を浅川へ流す約束になっていたからです。
 この計画は私が市議の時、相次ぐ水害に平成元年9月議会で質問し、塚田市長が「長野運動公園雨水調整池」(地下に4万トン貯留・5年確立で時間雨量36.5mm)整備を約束。その後平成2年から平成5年にかけて第一期工事として6000トンが建設されましたが、この建設だけで7億円(全体計画で34億円)かかり、しかも国の補助事業が下水道事業の枠(国2分の1補助)内の制度しかないため、当時はこの地域の下水道事業(流域下水道下流処理区の処理場が完成し、市による管網整備が下流から、はじまったばかり)がスタートしたばかりであり、住民要望が一番多い下水道を優先せざるを得ず、浅川の天井川の改修とあわせて勾配が流入可能となった浅川への1万6千トンを2期工事として行うことが現実的であり、残る1万8千トンは、その後、運動公園内へ整備するとする計画を、この会として了解した経過があるのです。 
 共産党は、この経過について最近、県や市議会で、この計画の変更は「オリンピックのアイスホッケーB会場と工期が重なり変更された。」と主張していますが、実際の真相は上記の通りです。(また、共産党は運動公園調整池の計画を変更し1部浅川へ流すことは問題としていますが、この計画は当時、浅川ダム建設を前提として計画されており、運動公園雨水調整池の構造は流入も排水も電動による自動制御であり、停電の場合や流入した雨水をポンプ排水し空にするのに約9時間もかかり、この間にまた豪雨が来た場合、水害が防止出来なくなる可能性があるのです。地下に調整池を整備する場合は、蓄積する堆砂など将来への財政負担や、こうした管理上の問題を考慮すれば、雨水対策は原則として自然排水(浅川へのカット)の方が理想的なことを知らない主張なのです。) 
 実は、この運動公園調整池が計画された頃から、私は「水害対策は、もぐらたたきではいけない。千曲川の構造が改善されない以上、また、中流域として自分たちが水害の苦しみを味わっている以上、下流の皆さんも水害の苦しんでいることを考えると、自分の地区だけが水害を解消すれば良いとする問題ではない。それには、上流に調整池を設け、雨水を一時的に貯留することしか解決の正しい道はない。」と思っていました。このころから、(平成2年3月頃)「上流・下流の利害を話し合い、下流の皆さんにも上流の努力を理解頂きながら、結束して、この都市型水害解消に取り組む」ための「市東北部水害問題対策委員会」結成に向けた有志の取り組みが始まっていました。この経過により、平成4年1月に、治水について話し合う会として「懇話会」が結成され、その中で先の理由から運動公園調整池計画が見直され、浅川へ1万6千トンを流す計画も、この会での長い話し合いの末、下流域の皆さんに了解頂いて来た経過があるのです。 
 この歴史的経過が知事の一言により懇話会の中に、これまでの互いの上流下流の努力を尊重しながらも、新たな対立を生み出した現実に、利害をともにする原点を尊重し、今回、急遽設定したのがこの会議でした。 
 市の河川課長は、会議の中で「これまでの約束であり、予定通り今年の梅雨前には、浅川へ流したい。その後、運動公園調整池の残る計画について検討したい。」と答えました。
2001.2.6 「浅川流域治水対策等連絡会」を復活して欲しい。
 今日から二日間は決算特別委員会の現地調査。一日目の今日は長野地方事務所、長野建設事務所、長野中央警察署等の調査で、幾つかの課題について質問しました。 
 その中で私は浅川ダムに関して、昭和58年、59年と連続した台風災害対策を行うために昭和60年1月発足した「浅川流域治水連絡会」(建設省・農林省・県・長野市・豊野町・小布施町等で構成)により、国・県・市町のそれぞれの役割を確認し総合治水対策を行って来たが、昭和60年7月26日、地附山地滑り災害が発生し、この「連絡会」は中断してしました。しかし、これまで進めて来たダム建設や天井川の改修も、この「連絡会」の確認事項であり国も市町も、この確認によりそれぞれの取り組みを行って来ている。先の12月議会の土木住宅委員会において、この「連絡会」の総合治水に対する取り組みを検証して欲しいという要望に対し、本庁河川課の主導で近くそのための会議を開くと聞いているが、建設事務所として、しっかり対応して欲しい。ダムについて知事が一時中止を打ち出し、検討委員会を設置して多角的に検討するとしているが、その検討委員会と「連絡会」との整合性を問題視して、しり込みしている様子もあるようだが、千曲川や市町の内水貯流などを含めて当時の約束事を検証確認しあい、ダムを除く新たな対応を検討することは、知事が何を言おうが日常的にやらなければならない課題である。と答弁を求めました。 
 これについて浅川ダム工事事務所長は、「今、事務レベルで検証しており、再会に向けて準備会的なものを開催する。」とし、「指摘の様に努力したい。」と答えました。
2001.2.8.9 「有害図書の自販機」は、条例で規制出来るか。
 決算特別委員会終了後、新幹線で福岡へ直行。前から調査したいことが山ほどあるのですが、まとまった時間がとれずようやく実現したものです。
 今回の調査目的は、最近、問題となっている青少年に有害な図書の「自動販売機」規制について「青少年健全育成条例」制定県での効果。浅川ダムで問題となっている地震時のダムの安全性について、阪神淡路大震災でのダムの検証。兵庫県での治水対策について等々です。 
 8日午前10時からは福岡県・生活労働部青少年課を訪問。「青少年健全育成条例」とその効果について、また、福岡県が独自に取り組もうとしている「青少年アンビシャス運動」について、お話しを聞きました。
 対応してくれた企画監の富安節子さんは、「ちょうど青少年アンビシャス運動100人委員会から6日に中間報告が出たばかりす。」と30分ほど熱心にお話しをしてくれました。地域や学校、保護者、経済界など一体となって何回も検討しまとめて来た報告書は、今の憂慮すべき子供達を取り巻く環境に対して、未来を担う子供達をどの様に育てて行くか情熱に満ちたものでした。
 また、「青少年健全育成条例」での有害図書類の「自動販売機」規制について、福岡県での効果と実績はどうか説明を受けました。それによると図書の自動販売機の設置は文書で知事の許可を得なければならず、有害図書の販売も規制している。平成11年には有害図書の規定についてページ数等の包括規制のほかに、表紙も加えたので自動販売機で外に挑発する様な図書の表紙も規制対象となった。しかし、県内の業者は比較的意識が高く協力的と思うとのことでした。また、有害なインターネットの規制も条例化しているが、これはあくまでも宣言的なものであるとのことでした。 
 2日目の9日は、午前9時から兵庫県の県民生活部生活文化局「こころ豊かな人づくり推進課」に行き、「青少年愛護条例」の効果について説明を受けました。
 説明して頂いた岸本吉晴課長と吉本尚子補佐も熱心な方で50分間の予定がオーバー。説明によると条例の歴史は古いが前の知事の意向もありテレクラ規制条項を加えるかどうかは長野県の動向を最後まで見守っていた。テレクラ条例を長野県が作るというので兵庫県も決断した。有害図書についてもそれまでは個別規定であり、毎週本を購入しては有害図書を指定し、葉書で書店等へ告示していたが、テレクラ条項とあわせ有害図書も平成11年12月に包括規定に改正した。
 自動販売機も昨年4月に442台であったが、今年1月末には368台に減っている。また昨年10月には条例違反で3件が罰則の対象となった。しかし、条例が厳しくなれば住民は「あれもこれも規制しろ。」と言うようになり、条例にたより住民運動を軽視する傾向もある。兵庫県も住民運動による青少年の健全育成環境守ることが理念であり、これからも両輪で行くべきと考えている。と確信を持って語ってくれました。 
 全国的には長野県だけが制定していない青少年保護育成条例。最近、特に長野県内で急増しているとされる有害図書等の自販機の規制について、これまでの住民運動の展開や関係業界の自主規制、行政の啓発努力など3つの施策を中心に取り組んで来た長野県方式だけでは対処しきれない現状に対して、条例制定への要望が強くなっています。
 兵庫県の岸本課長の「住民はあれもこれも規制しろと言うようになり、条例にたより住民運動を軽視する傾向もある。兵庫県も住民運動による青少年の健全育成環境守ることが理念であり、これからも両輪で行くべきと考えている。」との言葉は、法律(条例)を制定しても住民の参加と協力がなければ意味がないことを忠告してくれた様な気がしました。
2001.2.9 兵庫県の「武庫川ダム」と「河川法」の精神。
 「こころ豊かな人づくり推進課」の後は、「県土整備部土木局河川課河川計画室」へ行き、武庫川ダムと総合治水についてお話しを聞きました。 
 実は、この武庫川ダムは下流が天井川であり地形も浅川とにており興味を持っていましたが、お話しを聞くとダム建設予定地にハイキングコースがあったり貴重な「さつき」があり保存するために反対運動が起き、一時中止となっているとのことで、逆に浅川ダムについて私が話しをすると、説明してくれている3名の職員の方が一生懸命メモをとっていました。 
 武庫川ダムの反対運動に対して、知事は一時計画の延期を表明し「住民の意見を聴く。」として「河川法上は、河川整備計画の策定に際して関係住民の意見を聴くことになっているが、武庫川では、その前段階の河川整備基本方針策定の段階から、地域の意見を聴いて計画に反映させる。」「河川改修とダムだけでなく、流域全体での総合治水対策についても、流域住民の意見を聞きながら検討を進める。」して実際に意見を求めていますが、その大半が反対派の意見とのこと。そして、下流域で度重なる水害被害にあって来た住民の皆さんは、「何とかして欲しい。」と過去において陳情を行って来たが、まだ、表面に出る活動は無い。とのことでした。私は、この話しを聞いて、下流域が大阪市と神戸市の中間に位置する都会であり、全国ネット化され組織化されたダム反対運動の中で、被災者の意見は少数意見となっり、出口は無くなってしまうのではないかと思いました。 
 また、「河川法」により河川整備計画前の基本方針策定の段階から流域の総合治水対策も含め住民の意見を聞く手法は(兵庫県には県の河川審議会がある)、長野県においても、何らかの方法で実施出来ないか、考えさせられました。 
 阪神・淡路地震のダムへの影響については詳細な資料を用意して頂き、明治33年に作ったダムで直ぐ近くに活断層が走っている場所でも決壊はしなかった。と自身を持って話しをしてくれました。
2001.2.10 読書したよ。
 福岡、兵庫両県に調査に行く途中、電車の中やホテルでは、ひたすら読書をしました。普段家にいると雑用に追われ、なかなか本は読めないので楽しみにしていました。
 読んだ本は「自治体は変わるか」(岩波新書)と「アメリカはなぜダム開発をやめたのか」(筑地書館)の2冊。地方自治法の改正と地方議会改革への問題提起や、アメリカでの公共事業の見直しの発想など、今後の私の議員活動にとって大変参考になる内容でした。
 特に、自治体理論を研究している法政大学教授、松下圭一著「自治体は変わるか」は、自治体議会に改革構想として、「条例づくりと自治体法務」という文章があり、私が12月議会中から考えていた「自治体基本条例」の考え方が述べられていたのです。しかも新地方自治法のもとで、地方議会を地方分権の時代に対応する政策立案能力を持った議会として、どう改革するか。まさに私が考えていたテーマでした。
2001.2.12 信濃毎日新聞の「浅川ダムー治水への住民参加」は良かったよ。でも。
 2月7日から12日まで信濃毎日新聞に「自治新世紀 わたくしたちの手で」として「浅川ダムー自治への住民参加」が7回連載されました。 
 実はこの記事のききかけは、県政担当記者の一人である中谷圭治氏が昨年来、私の一般質問や委員会での質問を聞いたり、私のホームページに特集として掲載しているわが町の水辺の未来の夢を見て感激したというメールを寄せて頂いたことからはじまります。 
 私は、昨年11月22日の浅川ダム対話集会で、知事がダムの一時中止を打ち出した後、下流域でこれまで水害に苦しんで来た皆さんの今日までの一つ一つの苦労の積み上げと気持ちを考えた時、これまでの党利党略や反対のための反対がもたらした住民への影響は何か。反対している皆さんは治水ということについての自らの責務を考えているのか。などの問題意志を持っていました。 
 そのな時、中谷記者から「わが町の水辺の未来の夢」を題材にして治水への住民参加を連載記事にしたいので、協力して欲しいと話しがありました。私は「子ども未来センターの連載記事の様に、何を言おうとしているのか分からない、くだらない記事でなければ協力する。」と言い、これまでの長野市の水害対策の歴史や自ら雨水貯留している北堀の高原さん、過去の水害の苦しみから自らの土地を調整池として市に協力した石渡の竹内さん、下流への雨水調整のため開発行為の度に監視している石渡の街づくり対策委員会、これまで一緒に水害撲滅のために活動して来た皆さんを紹介しました。 
 すると中谷記者は、これらの皆さんを一人一人取材し、「この問題がこんなに奥の深いものだとは思わなかった。どうまとめて良いか分からない。」と言って来ました。私は「水の問題は昔からカマやクワを持って血を流した歴史もある。そう簡単には解決しない。その通り書けば良いんじゃないの。」と言いました。 
 中谷記者が大変な動力と思い悩みまとめた記事が、ようやく7日から連載がはじまり、最後の12日に掲載された「治水の自治再構築を」との見出しで、長野市役所職員として50才の若さで亡くなった島田秀雄さんの懸賞論文「わが町の水辺の未来の夢」をモチーフに、住民参加の治水を訴えている記事を読み終わり、私は感激しました。 
 しかし、その横に新潟大の大熊孝教授の「上流・下流徹底的な話し合いを」と題するコメントを読み、複雑な気持ちになりました。言っている事は全体的には正しいと思いますが、「一度生まれてしまった不信感をひもといて行くのは楽ではない。・・・・仕切り直して再出発しないと信頼感は生まれません。」ということは、浅川ダム一時中止の知事の決定は仕切り直しであるだけに、今までの下流域、そして中流域の皆さんの苦労はどうなってしまうのか。さらに、あの反対のための反対の皆さんを説得するのに言うに言われない苦労と時間を強いられなければならないのか。新潟の河川(信濃川)を愛する皆さんが、上流の千曲川でダムや狭隘な立ケ花によって下流の信濃川が水害から守られ、そのために今回の浅川ダム問題をはじめ上流の長野県民が苦しんでいる事実を黙視して「住民参加」を語るのは無責任ではないかということです。
 私はサケも戻ってこない千曲川の生態系を復活させるためにも大熊孝教授のご教授に従い、新潟県境からダムを壊す活動を提唱する決意をしました。
2001.2.14 サケの帰る千曲川のためには新潟県境のダムの撤去を!
 今日は決算本庁調査の2日目。農政部、土木部の審査が行われました。 
 農政部の審査では当初は質問するつもりはなかったのですが、県会議員選挙の時、他の現職候補が「竹内候補は市政を経験しているかも知れないが、農政には弱い。」と言ったとか言わないとかの噂を思い出し、緊急雇用対策特別基金の活用と効果、農業改良資金及び漁業改善資金特別会計の収入未済額の対応、漁業改善資金特別会計の活用の推進、サケ遡上確認調査事業の推進、県単独農道整備事業等について約30分間質問しました。 
 この内、サケ遡上確認調査事業については、「今や世界的にも全国的にも釣り環境の保全や生態系の保存という理由だけでダム建設反対運動が起き、その動向を尊重する時代となって来た。アメリカなどでは魚を保全するためダムを壊した例もあるようだ。その意味で私は水害対策も含めてサケが千曲川に戻る様に新潟県境からダムを撤去する活動を真剣に考えようと思う。サケの稚魚の放流事業は中止になったが、その意味でも遡上確認調査事業は継続して欲しい。」と求めました。
 担当課は「サケの稚魚の放流事業は、学校の先生がサケが戻って来ると子供達に言って教え、放流し続けたが戻ってこないので、子供達に嘘を付いているという意見があり中止せざるを得なくなった。しかし、遡上確認は続けたい。また、建設省・新潟県・長野県で平成7年に『信濃川水系水環境管理計画』を策定し、平成11年3月には『信濃川・魚がのぼりやすい川づくり推進モデル事業・実施計画』が策定されており、この計画に期待している。」と答弁しました。 
 委員会終了後、私はさっそく河川課に連絡しこの計画のコピーを頂きました。今後この課題についてしっかりと調査してみたいと思います。
2001.2.16 市民ができる治水とは。
 今日は私が会長をつとめる「長野市東北部水害問題懇話会」の研修会を行いました。 
 午後から古牧中部土地区画整理事業の雨水対策、川中島今井雨水調整池、浅川樋門・浅川排水機場、長沼排水機場の現地調査の後、小島公民館で懇談会を行いました。 
 この懇談会では私から浅川ダムについての、これまでの経過や今後の下流・中流・上流域での連携のありかたについて私の考え方を述べた上で、参加した皆さんに「日頃思っていることを何でも良いので意見を出して頂きたい。」と提案しました。 
 すると「各家庭における浸透施設をどの様に工夫し普及させるか。」「浸透桝は地形や地質により、効果が無い場合がある。玉石の入れ方や構造などを研究し、きめ細かい指導が必要。」「信毎に載っていた北堀の高原さんの例の様に、他に何か具体的な施策を検討すべき。」「消防局が防火用水として、所どころ河川下を掘り水をためる施策を行っているが、同様に家庭にある池も雨水を貯留し水害と防火用水として保全する施策は出来ないか。」「国の施策では農業用水と排水との2階建て構造の制度はあるが、排水の2階建て構造も検討すべきではないか。」「長沼方面や浅川へ流れない大調整池の整備も必要だが、上流があるから中流があるのであり、中流域として上流への調整池の整備を求めるべき。県庁や吉田高校、長野県短期大学への調整施設の整備を求めてはどうか。」「東京湾湾岸道路の建設に参加したが、『海ぼたる』を作るとき縦軸の大きな筒状のパイプを海の中に立てて作業をした。これと同じ手法を雨水調整施設として活用する方法もある。」など次々と意見が出されました。 
 思った以上に意見が出され時間が経過してしまい、私からは横浜の例や、他に思っていることなど具体的に言う機会が無くなってしまいましたが、浅川ダム一時中止の問題以降、こんなにこの会の皆さんが自分の問題として意識を持って考えていてくれるとは思いもよらず感激しました。 
 最後は私からは「上流の三輪や若槻や吉田などの皆さんが自分たちの地域の水害を無くすために、浅川や私たち中流域へ水を流したことによって、浅川ダムは危ないと知事が判断すれば、その通りだと思っており、自分たちが下流を脅かしていることを知らないでいる。是非皆さんが上流の皆さんに話す機会があったら、このことを話して欲しい。この会の取り組みが浅川流域全体のものとなり、そして千曲川全体のものとなり、世界的にも先進的なモデルとして評価されるという確信を持って、これからも頑張りましょう。」と訴えました。
2001.2.20 突然の「脱ダム宣言」と「下諏訪ダム中止」
 昨日の午後11頃、あるマスコミ関係者から電話を頂き、知事が明日記者会見して「全てのダム中止を発表する様だ。」と教えて頂きました。私は「ダム中止」ということより、既に予算査定が終わり各交渉会派へ予算説明を行い、22日より議会がはじまるのに、関係予算の組み替えをどうするのかの方が気になりました。 
 そして、今日の朝刊を見て、下諏訪ダムを中止し、現在計画している7つのダムについても中止し、今後、この7つのダムに替わる治水のありかたについても、浅川ダムも含め「治水検討委員会」的なものを含めて検討して行く趣旨を知事が言っている記事があったのです。私は、浅川ダムと計画中のダムを一緒にして検討することについて不安を抱きました。なぜなら、12月議会で知事は浅川ダムの検討委員会の設置について1月中にスタートさせると答弁しておきながら、いまだに約束を果たしていませんし、新たに中止を打ち出した他のダムも一緒に検討する手法は、時間を稼ぐために考えている作戦ではないか。総合治水対策を検討する委員会を設置するのであれば、浅川ダム問題は早急に結論を出す必要から切り離す対応を考えなければならない。と考えました。 
 また、下諏訪ダムの予算を計上しておきながら、議会前に突如として中止を打ち出す身勝手な手法。そして、地元や県職員、議会に具体的な説明もなく独断で重要なことを決める手法に、「むなしさ」を感じるとともに、「何とかしなければ」と思いながら、知事が総合治水を検討する委員会を設置するということであれば、様子を見て逆手を取る方法もあると思いました。
2001.2.21 「脱ダム宣言」に、「長野モデル」が課題。
 今日は、長野市北尾張部の人家に保管されているモナザイト鉱を3月末までに、国の責任において移管してもらうため、地元の高野市議会議員と文部科学省へ行き、その後、国土交通省へ浅川ダム問題に関連する総合治水対策について勉強に行きました。
 対応してくれた河川室の担当係長は資料を用意して待っていてくれ、懇切丁寧に説明してくれました。 
 私の問題意識はダムを中止しても千曲川下流の構造が現状のままでは、上流部への大規模な調整池以外に対応はなく、他の流入する支川上流部での雨水流入を抑制する施策、流域住民が治水に参加するシステム作りということですが、担当係長は国土交通省の具体的補助制度を説明してくれました。 
 そして、知事の「脱ダム」を見せると、「取り寄せて拝見しましたが、問題はそこで言う『長野モデル』とは具体的に何をやるかでしょうね。」という趣旨を言ったあと、「これですよ。」と言って先ほど説明してくれた資料を指さしました。 
 しかし、この制度は昨年拡充されたばかりのものですが、今後「脱ダム」を検討する全ての河川の対象にはなりませんし、逆に言うと、それ以上の国庫補助は「脱ダム宣言」の代替案については具体的な施策はなく、県や市町村の単独事業が問われ、莫大な税金が使われるということを痛感しました。 
 今回の勉強で得たことを、県議会の一般質問や委員会で具体的に提案するつもりです。
2001.2.22 2月県議会開会
 今日から年間4回開催される定例議会の中で、一番会期の長い2月定例県議会がはじまりました。 
 午前10時からの団会議では、突然の「脱ダム宣言」や「下諏訪ダム中止」について、今議会に提案される新年度予算への対応について協議しましたが、私からは「下諏訪ダム予算を復活する修正だけでは、知事が修正に従わなければ意味がないしスッキリしない。議会の意志を表明し、附帯決議を付けるか、唐突な知事の判断でなく、住民参加により治水の方向を決める条例の方法もある。」と話しましたが、会派の対応は今後行われる代表質問への知事答弁の様子を見て判断することになりました。 
 昼休みの雑談では、附帯決議は予算に賛成した時に出せるのではないか。もし、修正案を出せば附帯決議は出せないし、附帯決議では弱いことなどが話題となりました。 
 午後1時、本会議場の自分の席に座ったとき、机の上に置いてある議案を見て、2日前に突然出された「脱ダム宣言」による予算の組み替えは、県庁内職員の混乱と緊急な組み替えへの対応、議案書の印刷など大変なものだったろうな、と考えると「ため息」が出ました。 
 と同時に、こうして提出されたこの議案をチェックし審議することが議員としての任務であることを考えると、従来にも増して「しっかり、やらなければ。」と思いました。今日から、3月23日まで約1ヶ月間、議案調査や質問内容の検討など、また不眠不休の日々が続きますが、この間、各地で開催される私の「県政報告会懇談会」での意見集約も含め、気持ちを引き締めた一日でした。
2001.2.23 一日中、「河川法」を勉強していました。
 今日から27日までは、議案調査のため休会ですが、朝から会派の団会議があり、財政課からの新年度予算案の説明や、この予算への会派としての対応を協議しました。 
 この間、私は今回の「脱ダム宣言」について、県議会との関係以外に法的にも国の関係上からも「何か手続き的に問題があるのではないか」と思い、一日中、「河川法」を読んでいました。 
 そして、決定的なものではありませんが、幾つかの問題点を見つけることができました。
 それは、環境や生態系などへの影響などダムなどの公共事業への厳しい世論を背景に、数年前に「河川法」が改正されましたが、河川管理者に可及的速やかに「河川整備計画」の策定が求められているのです。そして、この計画策定や変更にあたっては、「関係市町村の意見を聞かなければならない。」と定められているのです。さらに、その計画が出来るまでは附則の経過措置として従来の「旧河川法」でいう「工事実施計画の一部」を「『河川整備計画』とみなす。」としているのです。私は、浅川ダムも今回中止を打ち出した下諏訪ダムも、既に建設大臣の認可を受けていることを考える時、この「工事実施計画」に該当すると思います。 
 また、「河川法」の趣旨は、河川の管理者が河川の災害防止のための施策を行う義務を規定したものであり、そのことを怠った場合は、当然責任が求められると思いますし、まして、これまで対策を要望し積み上げてきた市町村や住民の意見を聞かないで突然独善的に出された結論は、さらに責任が長として問われると思います。 
 今回の具体的な対案の無い「脱ダム宣言」は理念だけではすまされない、県民を災害から守る責任の無い提案であり、徹底的な審議を行うと同時に、知事の独断的な手法に対し、河川法の趣旨に依拠した「総合治水対策検討委員会条例」的なものの検討を決意をし、議会調査課のある職員の方に告げました。
2001.2.25 このままでは県民の将来と県の財政が不安。
 今日は、地元の商工振興会の総会があり出席しました。 
 挨拶で私は「予算を審議する議会がはじまったら、本来であれば景気をどう向上させるかが中心的に審議されなければならないが、『脱ダム宣言』により、そちらに集中せざるを得ない。田中知事の支持率は高いが、私はこの問題について何を言われても質さなければならないと思っている。それは、県民の安全を守るために対案を示さないまま唐突に出されたこと。理念としては理解出来るが、対案を検討すれば既存の国の制度では補助が得れない施策も県の責任において行わなければならなくなり、そのためには多額の県費と県債を必要とし、将来に渡って今回の宣言による対応だけで、県の財政は身動き出来なくなる可能性がある。」と言いました。
 また、石田県議もこの総会に同席しており、懇親会前の空き時間に「予算修正だけでなく、条例という方法もある。」と話しました。 
 懇親会でお酌していると参加者からは、「大変だね」という声と同時に「今日の竹内さんの話ははじめて聞いた。もっと積極的に多くの人に話してもらわないと県民は事の重大さを分からない。確かに従来の県政と変わったことは良いが、その知事に対して、ダムは危ないと言えば、そうか、という様にしか私も思わなかった。今、我々は自分が生きていない100年後よりも、厳しい景気の中で明日をどう生き抜いて行くか必死で生活している。頑張って欲しい。」と激励されました。私は「議会は100年後のことを考えることも重要だし、明日の生活も重要だ。今日、私の申し上げたことは事実だし、いやがらせがあろうとも頑張りたい。」と答えました。
2001.2.27 「総合治水条例」制定をさぐり、県庁内を歩く。
 今日は、めずらしく行事が無く、22日から始まった県議会での私の質問と、私が密かに計画している「総合治水検討委員会条例」を提出するための県庁内の情況をさぐるため県庁の主な部署を歩きました。 
 私が訪問を約束していた土木部長、そして河川課。さらに、私が「青少年保護育成条例」の起草も考えている社会部の青少年家庭課などを訪問しました。
 まず河川課では塩入課長は留守で「条例案」を提出したい趣旨を他の方に伝えるとその方は「?・・・」。そこへ前から「もしかしたら条例案を出すかも。」と通告していた議会事務局調査課の緑川調査係長が偶然来たので「条例案を出す。」と言うと「いよいよ出しますか。分かりました。」と了解。 
 その後、土木部長と会談すると「条例案」の提出については名言をさけたものの、私が求めていた資料を用意していただき説明。その後「県議会の中で、唯一竹内議員に期待し信頼しています。」と言われました。なぜ一期生である私にそんなに期待するのか。私はその夜、天井を見上げながら「これまで治水について市議会を通じて政治生命をかけて来たことを、今実行しなけば何のために議員に立候補したのか。」と思い、「条例」は必ずものにすると決意しました。 
2001.3.1 「総合治水検討委員会条例」 提出を表明。
 昨日、2月28日から、各会派の代表質問がはじまり、昨日は県政会の「脱ダム宣言」とともに打ち出した下諏訪ダム中止について撤回する考えは無いかの質問に、田中知事は「撤回するつもりはない。」ことを答弁。この答弁を聞き私は、これまで密かに準備していた「総合治水検討委員会条例」の提出を決意し、朝の会派の団会議にはかりました。そして、今日も県民クラブの代表質問があり時間が拘束されるため、社民党の布目幹事長に国の河川審議会設置に関する法律と、流域の住民参会、1年の時限立法、情報公開、公聴会の開催など盛り込むべき事項をメモして夕方までの素案の作成をお願いしました。 
 そして、昼休みには、ある理事者に他の県条例の見本を戴きたいとして控え室に来て戴き、条例の提出を準備していることを相談、その理事者は「私にも出来るだけ協力させて欲しい。」と言ってくれました。
 夜、自宅で布目氏が作成した「提案理由」と、「条例素案」に流域への部会の設置など自分の考え方を補強し、これまで協力戴いている県職員やメール友達に「条例起草委員」として勝手に委嘱し、意見を求めました。
2001.3.2 条例案提出へ作業開始。
 昨晩、遅くまでかかった「条例素案」と「提案理由」について、午前10時から行われた会派の団会議で私が読み上げました。すると会派の全員が「これだ!これで行こう。」ということになり、昼休みには社会県民連合として、県政会、県民クラブに「提案理由」と「条例素案」を示し共同提案を要請することになりました。 
 私は、さっそく、前に予告していた議会調査課の緑川調査係長に「いよいよ条例案を出すことになったので、法規的な準備に入りたい。」と連絡。その連絡を受け、控え室に来て戴いたのは議会調査課審査係の総勢2名の方に、私が「皆さんは数少ない議会側の法規を担当する皆さんです。是非協力して欲しい。」との要請すると、その2名の職員の方は「是非、やらせて下さい。」と答えて戴きました。私はその言葉に感激しました。 
 また、条例案提出に当たって気になったことは、条例に定めるダムの具体名などが地方自治法上、知事の執行権に抵触するかとう課題です。このことについては、社民党県連の布目幹事長を通じて自治労の顧問弁護士など2名の弁護士の方に相談することをお願いしました。 
 そして、この日から条例案策定に向けた法規的な検討が非公式にはじまりました。
2001.3.3・4 土日も無いよ。
 3日は土曜日で議会は休会。それでもと思い議会調査課を覗いてみると、審査係のお二人が仕事をしていました。「休日なのに悪いですね。」と言いながら、今日と明日のメールでの条例内容の検討を約束し、5日の知事部局とのやりとりを打ち合わせして帰りました。 
 4日は、石渡地区の用水と農産組合の総会で湯田中温泉へ。総会の席上の挨拶で、私は参加者の反応を知りたくて、公の席で初めて議会提出を考えている条例案の内容について話しました。一回りお酌をしての反応は、過去から水害に苦しんでいる地区だけに「頑張ってくれ。」とのこと。地元の皆さんに理解されれば、やるしかないと心を強くして自宅へ帰り、調査課から来ていた法規的に見直した「条例案」のメールを見て、幾つかの訂正個所の検討ををもとめ送りました。
2001.3.5 一般質問は、一問一答で。
 今日から一般質問がはじまりました。
 12月議会では、都合悪いことは明確に答弁せず逃げてしまった知事に対処するため、一問一答で再質問する質問スタイルが多くなりました。これは良いことですが、それでも明確に答弁しない知事に何度も審議がストップする様になりイライラが募ります。「8日に行う、私の質問はどうやろうか。」などと考えながら、私と言えば「条例案」の仕上げに向かって事務局と知事部局との詰めがスムーズに行っているかが心配で、休憩時間に何回か確認しますが、事務局も他の仕事をやりながらの作業であり、こちらもイライラ。
 しかし、本会議終了後行った県政会、県民クラブ、社会県民連合3会派の条例案に関する打ち合わせ会で、3会派共同で提出する基本的方向が確認され、条例作成作業が私に一任されました。 
 家に帰ると、条例への提言や、知事部局内のある課の管理職の条例案に対する無理解の様子をメールで報告して戴いた方がおり、心配なので明日、ある行動をすることを決意しました。
2001.3.6 「知事部局とは。」 みんな寝不足だよ。
 朝の新聞で、これまで非公式で進めて来た議会が「治水・利水の条例」提出を準備していることが、報道されました。しかし、幸いなことに私のところで作業を進めていることは一部のマスコミしか知らなかったたため、対外的には集中して作業をすすめることが出来ました。 
 今日、何としてもクリアしなければならない課題は、条例案の法規的な整理は何とか前進しましたが、いざ条例が制定された場合の運用面で、実際に仕事をする部局の意見を聞くことが残っています。しかし、今回の条例は議会が提出するのであり、表てだって知事部局は協力する姿勢は示してくれません。なぜなら、知事部局の長は知事であるからです。そこで、私は自分の質問の内容について相談したいということで、ある若手職員2名の方に議員面会室に来て戴き、議会審査係の2名の方(塩沢審査係長と滝沢主任)と5名で率直な打ち合わせを行いました。 
 約1時間、短時間の打ち合わせでしたが、実際の仕事の運用や河川法との整合性を検討し、当初、イメージしていた「河川整備計画」の一環としての条例から、知事がダム中止を打ち出したり、今後打ち出すであろう流域を絞り、その流域ごとに住民主体の部会を設置し検討する方法へ修正する決意をし、明日までに「条例案」を仕上げることにしました。
 この「私の質問の打ち合わせ」に集まった5人は、連日の議会対応や知事答弁書の作成など、深夜におよぶ仕事の連続で寝不足で、疲れ切っていましたが、でも、42年ぶりに議会側が提出する条例の検討とあってみんな真剣でした。
2001.3.7 私の質問原稿は、いつ作るの
 条例案を議案として提出するのを明日に控えて、「治水・利水の条例案」の内容検討と、関連決議、下諏訪ダム予算の復活修正などの3会派6人による検討を本格的に行いました。 私からは昨日修正した「条例案」を説明し、3会派とも了解。後はもう一度最終的に法規的な確認を明日までに終了することになりました。また、今後の議案の取り扱い等について話し合いました。しかし、県政会からは決議として「反脱ダム宣言決議」的なものを出したいという意向が出され、明日話し合うことになりました。 
 私は明日、午後一番で自分の一般質問を行うことになっていますが、この間、「条例問題」に集中していたため、まだ、質問原稿が出来ておらず、焦っていました。
 結局、家に帰ったのが午後8時頃。原稿が出来て寝たのが朝4時頃でした。
2001.3.8 忙しい日(会派交渉・質問・また交渉、そして記者会見)
 今日は朝から「条例」に関する決議案等の打ち合わせ。 県政会がどうしても提出したいとする「反脱ダム宣言決議」については、社会県民連合の「脱ダムの理念は一定の理解をする」という態度から県政会も一定の妥協。「治水・利水ダム等検討委員会条例施行に関する決議(案)」として出すことになり、その文案をめぐって交渉が続く。 
 私は今朝方までかかって自分の質問原稿を作りましたが、まだ読み直しておらず、昼には議会の広報委員会があり、「こんなことで質問出来るのかしら・・・。」と不安に思いながら、結局、午後の議会の再開ブザーが鳴り響いてしまいました。
 議場に入ると即、議長が私の名を指名。何回か再質問し、途中で傍聴席の退場者が出るハプニング。知事答弁をめぐり暫時休憩。質問が終わり、また3会派の実務者会議。結局、集中出来なかった私は、「条例施行に関する決議(案)」の中に妥協の産物として「脱ダム宣言の再考を促し」という表現を残してしまったことが残念で゜す。条例案が出来上がり、決議案の交渉が終了して「やれやれ」と思い控え室でホットしていると事務局の方がみえて「これから、3会派の団長・幹事長による記者会見をやるが、何か具体的な質問が出ると困るので、竹内議員も同席していて欲しい。」との要請。私は、「団長・幹事長の記者会見に私は似合わない。」と辞退するが、事務局が心配そうな顔をするので、後で何気なく角の席に座り、1つ2つ質問に答えた。
 それにしても、今日は多忙な長い一日でした。  
2001.3.8 私の質問中に「退場者」。
 12時52分より私の一般質問開始。今回は浅川ダムの一時中止や大仏ダムの中止、下諏訪ダム中止についての代替案について、国の補助制度も含め具体的な内容を提案しながら質問。その中で3ダムの代替案として河川の拡幅のみで試算した経費は1750億円かかるという知事の答弁に「代替案というのは、財政的裏付けも伴うもの。」「ダムに変わる治水だけで福祉や教育、医療に手がまわらなくなるのでは。」という質問に、総務部長は「大変厳しい財政運営が強いられる。」と答弁したが、知事は明確に答えなかったため議員からヤジが飛んだ。 
 そんな時、傍聴席から酔っぱらいなのか「黙って聞け バカヤロー」の声がし、しばらく騒然となり私は演題に立ったまま。議長が傍聴者に退場を命じると「後でメールやるからな。」と言って、警備員に抱えられ退席して行きました。 
 私は質問を再会しましたが何ともイヤナ気持ち。でも気を取り戻して何回かの再質問。その中で下諏訪ダム中止について国土交通省へ議会中である3月中旬になぜ報告するのか。河川法の言う市町村への説明責任を果たさないで報告出来るのか。「何のために議会を招集したのか。」と知事に尋ねると「議会は論議する場」と答弁。私は、「もし議会中に国土交通省へ下諏訪ダム中止を報告すれば知事が笑われますよ。」と言いたかったが、「答弁が納得出来ないので、休憩をとって検討して欲しい。」と要求。すると共産党の女性議員から「見解の相違。休憩は必要ない。」と感情的なヤジが飛んでいる。でも、知事が答弁しなかったので休憩となりました。私はすかさず知事のところへ行き「私が何を言いたいか分かりますか。いくら地方自治法で知事の権限が担保されていても、それは議会という手続きがあって、ばじめて成り立つ権限です。そのために議会をやっているんでしょう。」と言いました。知事は青ざめた顔をして、うなずきましたが、私は知事がまわりの理事者と良く相談して、対外的に恥をかかなく済むよう対応して欲しかったのです。 
 また、議員にとっても議会の議決前に国土交通省へ報告するなどということは、何のために議会に来て毎日真剣に論議しているのか。(ただ論議するオシャベリ小屋のなの)、とても許される答弁ではなかったのです。 
 約30分後、再開。知事は「国土交通省への報告は議会終了後、地元首長の意見も聞いた上で」と答弁。
 私が壇上に行き時計を見ると、私の持ち時間は16秒しかありませんでしたので「水害の問題は介護や障害者と同じ様に、当事者でないと気持ちは分からないと言われるが、出口が無くならない様に取り組んで欲しい。」と申し上げて質問を終わりました。
2001.3.9 私も急遽、条例案提出者に。本会議の裏の光景は・・・・。
 本当は、条例などの議案の締め切り期限は8日なのですが、議会運営委員会で今日の午前中に延期されました。朝、議会会派控え室に行くと「治水・利水ダム等検討委員会条例案」の議案提出を前にあわただしい雰囲気。私は関係ないと思っていると事務局が飛んできて「竹内議員も土木住宅委員会で、質疑があると困るので議案提出者になって欲しい。」というのです。私は何事も目立ちたくない性格なので、躊躇していると、事務局は「提出者の署名を頂き、議長に提出しないと間に合わない。」と言うので、何がなんだか分からず言われたままに議長室へ行き、結局、議案提出者の欄に署名しました。 
 後で、見ると議案提出者は県政会、県民クラブ、社会県民連合の各団長クラスと私。「これはえらいことだ。全て私が責任を持たなければ。」と事務局の思惑を理解しました。 
 今日は一般質問の最終日で、質問終了後の本会議で、議員提出の決議案の採決とともに、条例案の提案説明と質疑が行われます。この時、共産党が質疑を行うというので、昼には事務局と一緒に「質問想定集」を作成しました。本来は知事部局の各課が議会の委員会などの質問に備えて作成している様ですが、「議員が作るのも珍しいことだ。」などと考えながら作りました。 
 そして、いざ本番、提案者を代表して社会県民連合の浜団長が議案説明。そして、共産党の石坂団長が質疑を行いました。その中で、石坂議員は「この条例により部会を設置する場合、浅川も含まれるのか。」の趣旨を質問。これに対して浜団長が分かりにくい答弁をした時、ふと前の理事者席を見ると私のメル友の理事者が私の所を見て、手を十文字にして合図を送っているのです。また、さらに、その上の方にあるマスコミ用の開き窓を見上げると、同じ様に某新聞社の記者が私に向かって合図をしているのです。 
 すると石坂議員が再質問し同趣旨の質問をするので、私は後ろを向き答弁に向かおうとしている浜団長に「それは知事が判断すること。」と言うが聞こえなかったらしいのです。 
 今日のこの光景は、恐らく一生の思いでとして残ることでしょう。
2001.3.10 関心が高い「県政報告・対話集会」
 今日は先に開催した北尾張部と吉田地区の県政報告会に続き、南屋島地区の「県政報告・対話集会」を開催戴き出席しました。 
 まず、私から県政の状況について、特に「治水・利水の条例」の経過と考え方等について30分間ほど報告させていただき、参加者からご意見をいただきました。地元の東外環状線の進捗状況やダムを新しく作る場合の構造の問題など質問というより、熱心な意見が出されました。 
 このところ開催いただくこうした会議では、本当に県政に対する関心の高さと、熱心さが伝わって来ます。今日も参加された約40名ほどの皆さんの目つきが違いました。議会中にこうして地元の皆さんと対話出来る機会を作っていただいた皆さんに感謝しました。 
 そして、過去から千曲川と接し、災害に対する危機意識が強い地区だけに、私がお話しした治水の「条例案」の趣旨について、多くの皆さんが理解してくれました。
2001.3.12 下諏訪ダムは「調査費」でも継続するか。
 新年度予算に対する各会派の態度が、大詰めを迎えつつある。そんな中で社会県民連合へは社民党内や支持団体から、「県政会と一緒に組んで知事を虐める同一歩調をとっている様に県民には見える。」下諏訪ダムに関する予算復活修正などについて、同一歩調は取らず何か独自の違いを取れないかという要請が寄せられていました。 
 私は「条例により下諏訪、砥川の治水・利水対策を検討するとしてもダムを選択肢から排除していまうことは、不平等である。したがって下諏訪ダム予算の復活は結果として検討の結果ダムが中止となったとしても現時点ではセットであり理解頂きたい。」と説得しても、「このままでは多くの県民には理解出来ない。村山内閣によって社会党が終わった時と同じになってしまう。」と言うので「これも本質的には同じことであるが、当初予定されていた下諏訪ダムの用地買収費など2億2千9百万円の内、継続して行われる調査費に限定して予算修正を行う方法はどうか。」と提案し、その方向を模索することになりました。 
 土木住宅委員会終了後、明日からはじまる予算修正の在り方について3会派で協議した時「私から、我が会派の事情として支援団体等から下諏訪ダムの予算復活修正について異論が出ており、調査費程度の復活について検討していることをご理解頂きたい。」と発言すると、県政会の議員の間には、会派の事情を理解しつつも何か動揺が広がった。
 私からは「委員会では2名以上の賛同が無いと修正案は出せない。この委員会は私一人なので、本会議で動議を出すのか、手続きをどうするのか、明日の朝の会派の団会議で検討させてもらいた。」と言い、この日は了解を得ました。
2001.3.13 下諏訪ダム問題で、初めての参考人・意見聴取
 土木住宅委員会2日目、今日は1991年に地方自治法が改正になって認められた参考人を呼んでの意見聴取が行われました。
 内容は下諏訪ダム問題で賛成、反対それぞれの立場で活動されて来た今井満行(建設促進期成同盟会長)氏と、武井秀夫(反対連絡協議会代表)氏より30分間づつ意見を聞くというもの。 
 これまで下諏訪や岡谷を舞台に、もう何度も意見を交えているお二人のお話からは、必要性や民意の捉え方など真っ向から対立しており、隔たりの大きさを感じました。実はこの両団体に参考人として参加を要請する折りにも、どちらかから「顔も会わせたくない。」という意見があり、控え室も、委員会室への出入りも「顔を会わせない様に」配慮したぐらいで、この両団体の間には「砥川」だけでなく「深くて暗い川」が流れていることを痛感しました。 
 そして、このままでは例え中止が決まったとしても、孫の代まで対立が続き、解決にはならないことを痛切に感じました。治水の問題は「賛成のための賛成でも、反対のための反対でも無い」し、イデオロギーで判断することでも無いのです。問題は、どうすれば地域の皆さんが安心出来るのか、賛成も反対も、どうすれば両方が納得出来る治水が可能なのかを、行政と住民が公開された情報をもとに論議を尽くして導き出すしか無いのです。 
 両者の意見を聞きながら、大変なことだけど「条例」により、このことを積み重ねるしか無いと改めて思いました。
2001.3.14 また、また、知事と委員会審議
 今日は、12月議会に続き土木住宅委員会への知事の出席を求め、ダム問題や公共事業の見直しについて論議が行われました。もうここまで来ると私から知事に聞くことは限られており、議会が「治水・利水ダム等検討委員会条例」を可決した場合の対応、下諏訪ダム予算を復活した場合に再議を行うのか。この間の知事の突然の手法について等で、実は、この問に対する回答も12日夜、知事と主な理事者の間で話し合われた内容として昨日の朝には伝わって来ており、誰が聞くかだけが課題でした。 
 私は、はじめに聞いてしまえば、それで終わってしまうので、午後1番ぐらいでと思い昼休み休憩時のマスコミの取材にも、そう伝えていましたし、他の議員も私が条例について準備して来たことを知っていますので、私が聞くものと気を使って頂いていました。 
 ところが午後1番、県政会の古田議員(飯田市)が質問し、質問の最後の方で、条例のこと、予算修正のことを聞きました。知事は「条例には従う」「予算の修正には再議はしない。」と答えました。 
 そして、私の質問。私は下諏訪ダムの突然の中止は決して「脱ダム宣言」を実現する上でプラスにならない。アメリカでも、いきなりダムをやめたり壊す様になった訳ではなく、長い時間をかけて住民同志が話し合いを重ねて来た歴史があり、知事のブレーンとされる法政大学の五十嵐教授も「オランダシステム」の様に、上流下流の住民も行政も業者も徹底して話し合い結論を出す経過の重要さを強調している。また、先のテレビ番組の中で、五十嵐教授は田中知事の「脱ダム宣言」の課題として、「長野県の財政との整合性と民主的プロセスである。」と指摘している。孫の代まで憎しみが残る様なやりかたは、やめて欲しいと求めました。そして、条例により検討した結果、住民がダムを選択した場合は知事は、それで良いか。と尋ねました。 
 これに対し知事は「まずダム以外の治水論議を優先させ、困難となった場合はダムによる治水の検討に入る」と答えました。 
 また、私は社民党や支持者からの抗議にも配慮し、あえて「議会が下諏訪ダム復活予算が出された場合、再議はしないというのでなく、調査費的なものに知事から修正して再提案すべきではないか。良く理事者と相談して検討して欲しい。」と要望しました。
2001.3.15 「条例案」の委員会審議。そして採決。
 今日は土木住宅委委員会の土木部審査の最終日。
 まず県政会から下諏訪ダムに関し知事が議会直前に「脱ダム宣言」とともに削除した2億2千9百万円の予算を復活する修正案が提出され、総務委員会へ並行審議を依頼することが提案されました。私は会派での論議もあり「調査費程度でも対応出来るのでは。」と、態度を保留しました。 
 その後、条例案の審議。
 共産党の石坂委員からは、「大仏ダムは検討の対象となるのか。」「委員会に市町村長代表や、県会議員が入っているのは、いかがなものか。」「条例案の修正に応じるのか。」など幾つかの質問が出されましたが、私が提案者として「大仏ダムは国の公共事業見直しにより、既にダムは中止となっており、部会を設置し総合治水対策を検討することになる。」「委員会に市町村長や県議が入っているのは、突然の知事の判断により混乱を招いている経過から、連携してやって欲しいという趣旨である。」「修正に応じることはやぶさかではないが、県会議員が委員に入っていることは経過があり、応じられない。」等との趣旨答弁を行いました。 
 そして、採決の結果、共産党以外の賛成で条例案は可決されました。 
 委員会終了後、委員会室を出ると、テレビカメラにかこまれ「なぜ予算修正を保留したのか。」「条例案が可決されてどう思うか。」などマイクを向けられました。私は、条例案の可決について様々語った後「この条例は長野県議会が発した『長野モデル』として、運用の過程で必ずや県民の皆さんに理解されると思う。」と言った時、テレビカメラの向こうには光家土木部長が、私に向かって拍手をしていました。
2001.3.16 住宅部審議で、住宅部に関する「総合治水対策」を提案
 今日は、住宅部の委員会審議が行われ、今後、治水の条例が可決された場合の検討も予想して、各家庭での雨水浸透施設整備への補助について質問しました。この内容は過去の委員会でも「建築確認時の各家庭への雨水浸透桝の設置の行政指導の実施」を質問し、「今後検討したい。」とする答弁を住宅部長から得ていましたので、「その後、新年度予算に反映したのか。」と質問。すると所管の課長からは「金融公庫の融資制度の枠を拡大し対応する。」と答弁。私は「今議会の私の質問に答え、知事は『個人家庭での取り組みへの支援を検討し具体化したい。』と答弁したが、検討して欲しい。」と要望し、「私は先に国土交通省へ総合治水対策の制度の調査に行ったが、住宅部に関するものとしても様々な施策がある。特に『雨水貯留浸透技術協会』が奨励する施策として、そのパンフレットには県や市町村が独自に行う事業として、個人住宅に設置される雨水貯留浸透施設に助成を行っている例が紹介されており、所沢市の例では雨水浸透桝と蓋、透水シート、砕石の現物支給や雨水簡易貯留槽設置に2万円を限度とする補助が行われている。特に、雨水を庭の散水などに使う簡易雨水貯留桶は、地形の形態も関係なく、個人が出来る治水への参加として良いアイディアだと思う。また、まだ普及していないことから、北海道が介護用品の開発に力を入れ新しい産業を起こすことに力を入れているが、長野県では、この様な貯留桶を開発、普及させることも新たな産業の育成なる。発想の転換で、検討して欲しい。」と、所沢市の貯留桶の図面を見せながら要望しました。 
 理事者の皆さんは私の質問を聞きながらうなずいていましたが、この時は、まだ知事との連携が取れていないと思ったため、6月議会以降に話しを詰めたいと思い提案と要望のみにし質問を終わりました。 
 住宅部の委員会審議が終わった後、下諏訪ダム予算復活の修正案の委員会採決。前日まで私は会派の意向で態度を保留していたが、治水・利水の検討委員会が条例が採択され、ダムも選択に含まれることが公平として修正案に賛成しました。
2001.3.19 予算修正案と条例案採決。でも、毎日なんでこんなに悩ませるの。
 今日は予定では午後1時から本会議が開催され、議案採決の日程。しかし、朝の団会議に行くと様子が少し変な感じである。聞くと、今日になって県政会から知事が予算案に計上した「特別顧問の250万について減額修正をしたい。」との要請があったとのこと。 
 私は意見を求められたので「やるのなら県政会単独でやればよい。いくら特別顧問が気に入らなくても、中には県民のために役になる提案があるかも知れない。様子を見てから検討しても遅くはない。」と主張し、結局会派の態度としては県政会とは同一歩調は取らないことになりました。そして、団長や幹事長クラスでの折衝が行われましたが県政会はどうしても単独での行動を避けたがっている様です。
 つまり、社会県民連合としては様々な論議の中で下諏訪ダム予算復活修正(2億2千900万円)と条例案をセットで採択する道を選択しましたが、もし、県政会や県民クラブが特別顧問の250万円も減額する修正案を提出すると修正案の金額が変わることになり、社会県民連合としては支持団体等からクレームの付いた下諏訪ダム予算の復活にも賛成しなくても良い理由が(党利党略上は)出来ることになるのです。 
 そうこうしている内、なぜ県政会が特別顧問の予算減額を急に言い出したのか、その理由が伝わって来ました。それは、田中知事が減額修正に応じると言っていること。総務委員会の審議を通じて特別顧問に誰をお願いするのかの質問に知事が何名かの名前をあげましたが、その方から「聞いていない。」と抗議の電話があったとのこと。知事自身が特別顧問という名称について使うべきではなかったと言っているということ。特別顧問制度を設けなくとも、既存の予算の中で、講師として招き意見を聞くことは十分可能。という様なことでした。 
 しかし、私は「これは県の幹部が、知事が職員の意見を尊重するのでなく県外から顧問として学者等を招き入れることへの感情的な反発か、知事が条例案の提出や下諏訪ダム予算の復活でメンツが無くなったことに対する、自分が議会に虐められたとする演出(議会への踏み絵)ではないか。」と思い、知事とこの件について実際に話している総務部長を呼んで真相を確認すべきと提案しました。
 その結果は、県政会が言い出した理由とほぼ同じ内容でしたが、私は「であるとすれば、知事自らが250万円の減額を提案すべきであり。議会が行うべきことではない。総務委員会で、そのことを主張し知事に確認して欲しい。それでも知事が自ら修正しないので、あれば、これは議会への踏み絵なので、県政会と歩調をあわせる必要はない。」趣旨の主張をしました。 
 そして、総務委員会。知事への予算を自ら修正することへの総務部長の確認は「そのつもりは無いが、再議は申したてない。」で不調。結果は、なぜか県政会の修正案に賛成という分かりにくいものでした。 
 結局、採決を行う前に本会議場で会派としてなぜ、この修正案に賛成するのか「特別顧問制度の必要性と根拠が曖昧であり、必要があれば既存の予算の中で講師として招き意見を聞くことも出来る。もっと特別顧問の位置付けを明確にし補正予算で提案されれば賛成することもやぶさかでない。しかし、もっと知事は職員の皆さんとの連携を重視することが今問われている。」とする討論を行うことになりました。 
 当初の予定では本会議の開会は午後1時でしたが、こんなやりとりをしている内に午後7時40分に開会、午後9時40分閉会となりました。(最も長野市議の時は、午後12時前に開会したことも、副議長人事をめぐり2ヶ月間のストライキを打ち抜いたこともありますが。) 
 本会議では平成13年度一般会計予算修正案への反対・賛成討論と可決の後、私が準備した「県治水・利水ダム等検討委員会条例案」と同時に提出された「施行に関する決議案」に対する全ての会派の討論が行われ、採決は6年ぶりと言われる記名投票。これは偶然か議席番号1番の私は、真っ先に呼ばれ賛成票である「白票」を投じました。こうして45年ぶりと言われている議会提出の条例案は可決されました。 
 本会議、終了後、知事が控え室に御礼挨拶。その時、マスコミが浜団長に感想のインタビューで取り囲み、誰も知事の訪問に気づかない。すると大きな声で「知事の田中康夫です。」と叫び、それでも半数以上のマスコミが振り向かないのを確認してから、「様々な活発な論議を頂きありがとうございました。」と一言。その後私の顔を見て「議決も頂きありがとうございました。」と付け加えた。 
 それにしても、この2月定例議会は毎日毎日、何と新たな問題が生まれ、その度に悩まされたことか。「本当に、県民益になる充実した議会は、いつになったら出来ることか。」と考えさせられました。
2001.3.21 「やはり何かが割り切れない。」
 2月県議会は各所属委員会の編成替えが行われ、一年の内で最後の委員会となるため、部課長と委員との懇親会が持たれます。土木住宅委員会は「料亭政治」などと言われないよう全ての審議が終わってから懇親会を持ちました。市議会では毎議会ごとに委員会の最終日に部長との懇親会を持っていた時期がありましたが、県議会ではめったに無いことです。特に田中知事以降の土木住宅委員会は、12月議会での大仏ダムの中止、浅川ダムの一時中止、そして、今回の「脱ダム宣言」と下諏訪ダム中止と予算修正など、大荒れの委員会審議が続き、一年前の人気ある委員会から「行きたくない委員会」へ転落。構成委員も部課長も「何か話したくて」全員が出席しました。 
 懇親会がはじまり、私の前の席の今年で退職し「しなの鉄道」へ行く住宅部長としばらく懇談。「しなの鉄道も超過債務補填17億円。この次は総務委員会へ参考人で呼ばれるかも。」と私が言うと「それ本当かも知れない。」とマジナ顔。「住宅部長さんはマジメな方なので、どうせ現況では無理な、しなの鉄道を一人で背負わないで下さい。国に要望したりみんなで考えましょう。」と激励しました。 
 そうこうしている内に、私とメル友の時の光家土木部長と懇談。光家氏は「政治家は立場もあり大変でしたね。でも条例には感謝しています。今議会の最大の功労者は某新聞社のHさんと竹内さんです。」と言う。私からは「条例に知事が従うことになったし、下諏訪ダム予算復活に知事は再議しないことを表明したし、割り切れないことは、なぜ光家氏が国土交通省へ戻されるのかということです。」と言うと、光家氏は「私もそう思う。」と何か哀しげな素振り。私は「光家氏は長野県のために国とのシンクタンク役として、一生懸命取り組んで頂いた。こんどの知事選にでましょう。」と言うと、光家氏は「竹内さんこそ長野市長選に出ましょう。」と言う。
 こんな冗談じみた会話から、私は抱いていた不安を言い最後まで光家氏に長野県の将来のために働いて欲しいことをぶつけた。それは「私の所へも光家氏が県からいなくなることについて、土木部職員から自信を無くしているメールが来る。私はこれまで見ていて土木部の職員の皆さんが、真に条例の意義を理解している方が何人いるか疑問だし、まして条例の舞台は流域ごとに設置される部会であり、実質的な仕事は各建設事務所であり従来の体質を考えると、もっと不安になる。県を去る前に、例えば光家氏の講演会を開いて意志を伝えて行って欲しい。」ということです。すると光家氏は「そんなに土木部の職員が不安になっていますか。分かりました。そのことは、やりましょう。」と答えました。 
 飲んだ席のこととは言え、いれまでのメル友としてのやりとりや行動によって、私には光家氏は言ったことは必ず実行するという確信がありました。
 「でも何故、こんなに長野県のことを考え行動した人が去らなければならないのか。」
 私は、自分の無力さに家に帰っても「やるせない気持ち」になりました。
2001.3.23 ようやく終わったよ。長かった2月県議会。
 2月22日にはじまった2月定例県議会が、今日終わりました。 
 田中知事とはじめて向かいあった12月議会も、何か疲れたけれど、2月議会は「条例」の作成や下諏訪ダム問題など土木住宅委員会のメンバーとして矢面に立たされ連日テレビのインタビューや、夜遅くまでの勉強で本当に疲れました。でも、私の追い求めて来た水害対策が知事の打ち出した「脱ダム宣言」によって、多くの県民が感心を持ったことは、今まで目立たない「ジミ」な世界であっただけに、今後の県や市の治水対策が少しでも前進する様に取り組む方向性が明確となり、私にとっては恐い位い実り多い議会でした。 
 私は自分の一般質問や「治水・利水ダム等検討委員会条例」を作成し、自分に言い聞かせていることは、とかく議会が会派制により、その集団の中にいると「私がやらなくても誰かがやっているだろう。」という様に「もたれあい」、何もやらずに流されているのではないか。また、先輩議員がいて、その皆さんが何かやっているだろうという「だろう的気持ち。」は、「自分は何のために立候補して議員になったのか。」ということを忘れてはいないか。今まで与党を意識した議員は、とかく「理事者をあてにする。」傾向があるが、知事も、理事者も政変の真っ只中で、「何をどうするか」暗中模索の途上であり、一人一人の議員が県民益をどうするのか判断し、行動することが今ほど問われている時は無いということです。 
 つまりこの政変を自分で県民益のために公約を掲げて当選して来た議員が、そのために利用しない手は無いということです。 
 今、議会はその意味でも私にとって大変勉強になりました。 
 本会議が終わって各理事者とともに青木総務部長が控え室に挨拶に来て、私に「今議会は竹内先生に助けて頂きました。本当にありがとうございました。」と深々と頭を下げました。まわりの議員も「そうだ。そうだ。」と同調していました。しかし、私は嬉しさの一方で「思っていたいたことを、県民益と自分のためにやっただけで、理事者のためにやった訳ではない。これからが、ばじまりで本当にためされる。」と思っていました。 
 今日は、議会の役職の改選や所属委員会が決まりましたが、私はどこかの常任委員会の副委員長をやる順番なのですが、条例の今後の運用を見守る必要性と責任を痛感し、土木住宅委員会へ残りました。
2001.4.1 光家前長野県土木部長の偉大さと功績。
 今日、行事に出席し家に帰ると留守中、県の職員の方がビデオを届けてくれていました。このビデオは、3月27日に土木部職員の皆さんを対象に行った光家土木部長の「アカウンタビリテイー」(説明責任)の講演について、ある職員の方に「もし出席したら後で内容を教えて欲しい」とメールでお願いをしておいたものですが、まさかビデオが届くとは思いませんでした。 
 また、この光家氏の講演も土木住宅委員会終了後の部課長と委員との懇親会の席で「部長が国土交通省に帰ることを不安に思っている職員が多くいる。県を去る前にそうした皆さんに例えば講演会などの方法で、思いを伝えて行って欲しい。」と私が申しあげたところ、「それは、やりましょう。」と約束していたもので、前日に光家氏から「明日4時から講話する」とメールを頂き知ったのです。 
 さっそくビデオを見ると興味深いものでした。特に、情報公開について「変に情報を隠せば疑われる。全て情報は公開すべき。」「その上で信念を持ってやって欲しい。」という内容は、まさに光家氏がこの一年間部長として行って来た実績だと私は思いました。実は先の全国オンブズマンの情報公開度の全国都道府県の順位で、長野県は3位浮上しています。それは田中知事となり知事の交際費を公開したこともありますが、それよりも土木部の情報公開度が全国一位の水準に達していたのです。「全て情報は公開すべき。」という光家氏のキッパリとした言葉は、「今後も長野県土木部はもっとその水準をあげて欲しい。」「今後設置される各流域ごとの治水・利水の検討委員会へも、徹底的に情報を開示して住民に論議させることが不可欠。」と言っている様に取れました。 
 また、光家氏は国土交通省で「アカウンタビリテイー」を検討し、定義付けた人でもありました。講演の内容は知事以上に情報公開や説明責任を熟知したものであり、しかも現に実績として残した重みが感じられました。今回のこの講演がそうであるように光家氏は、約束したことは必ず速やかに実行する人でした。光家氏は講演の最後に、なぜか泣いていました。 
 知事以上に長野県において情報公開を推進し説明責任をシステム化しようとした光家土木部長は、後一年は長野県に残ることを熱心に希望していたにもかかわらず、なせ帰されてしまったのか。杉原特別秘書同様、知事と折り合わないというだけでは、割り切れない思いと、むなしさだけが残ります。長野県の将来にとって何十年という、何かが失われたと思うのは私だけでは無いのではないでしょうか。 
 私は、今後「治水・利水」の条例により検討される各流域での検討で、徹底的な情報開示が行われることを監視して行きたいと思います。 

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