特 集

2002.7.11

今こそ問われる「部会」の位置付けと「住民参加」


 7月11日、治水・利水ダム等検討委員会の郷士沢部会があり出席しました。
 私は部会長であり、知事不信任が可決された直後であり、部会委員の皆様もかなり混乱しているだろうと思い、今後の検討委員会や知事の動向を見て開催するのがベターかとも思いましたが、事務局と宮地委員長との打ち合わせや、部会長代理と相談した結果、私なりに考えをまとめ、率直に委員の皆様のご意見を聞くことが必要と判断し開催したものです。

 朝、早めに会場の委員控え室に行き準備をしていると、早めに来た委員から率直な意見が寄せられ、9時30分の開会ぎりぎりまで、論議することになりました。その時の委員から寄せられた意見を要約すると「知事が不信任となり、知事が失職すれば、知事から任命された私たちは、委員を続けることができないのではないか。」「浅川・砥川部会の論議は両論併記であり、検討委員会は基本高水を下げ、知事は基本高水を下げない枠組みを示した。部会で論議しても最終的に意見は反映されるのか。」「検討委員会はどうなるのか。」「議会が解散したら、部会はどうなるのか。」等々です。

 その後、部会開催にあたり私は先ほどの意見も踏まえ「皆さんご存じの結果となっています。この間の動きは、浅川・砥川部会の報告を受けて検討委員会は浅川330トン、砥川200トンの基本高水流量の答申をし、知事は答申とちがう浅川450トン、砥川280トンのダム計画と同じ基本高水を設定し、その80%を河川改修、残る20%を流域対策で行う枠組みを発表しました。結果として他の理由もあり、先の議会は知事不信任案が採択されましたが、私は、個々の地域的課題がただ単に、ダムあり、ダムなしで選挙の争点になることを恐れています。部会の意義は、一番流域のことを理解している皆さんが、生活実感の中から治水・利水を検証することであり、全県的な選挙で個々の流域のことが判断されることは、なじまないと思います。私としては、その立場で部会をすすめてまいりたいと思いますので、皆様のご意見をいただきたいと思います。」といった趣旨の挨拶をしました。

 その後、前回各委員が要望した資料説明の後、今後の部会の運営について意見を求めました。各委員からは先ほど控え室で出された意見のほか、「検討委員会の方針を示して欲しい。」「知事が失職した場合の知事から任命された委員の立場を法規上明確にして欲しい。」などの意見が出され、会議が終わるまでに確認することになりました。
 確認の結果は「県の法規審査では知事が失職しても知事が任命した委員の任期が終わるものではない。」「宮地委員長は、当面、部会審議を継続して行って欲しい。」としていることが事務局から報告され、私からはその他に、「他の審議会や検討委員会でも子供未来センターや産業廃棄物の委員会も継続して行う予定が入っているとのことであり、整合性は保たれている。この部会審議は予定通り続けたいが、但し議会が解散された場合は、私も議会代表として知事から任命された立場であり議員失職と同時に検討委員も失職し、その場合には部会が開催出来なくなることをご了解願いたい。」と申し上げ了解されました。
 
 私は「条例」により検討委員会がスタートした時に、住民参加による部会を重視すべきことを訴えましたが、特に学識経験者委員にはその趣旨がなかなか理解がされませんでした。また、同時に知事から諮問された9つの流域に部会を立ち上げることが公平であり、結果として審議がスムーズに進むはずであることを提案しましたが、物理的な理由や検討委員が分散してしまう等の理由により採用されませんでした。結果的に賛否が対立する浅川・砥川を先行させたことにより、論議は平行線をたどり、今回の様な結果をまねくことになりました。
 しかし、部会の論議にとっては「同じことを繰り返してはならない。」という大きな教訓を残しており、郷士沢部会の多くの委員もこれまでの検討を通じて「郷士沢部会から真の治水・利水対策を作りあげ、モデルを示すんだ。」だという意気込みが感じられます。そのことはこの日の第6回部会での利水対策の検討でもダムによらない水源の可能性について、委員から出された案の一つ一つを納得が行くまで、可能なのかどうか検証して行こうというとことが確認されているからです。また、この「可能かどうかの検証に」私から幹事である県に「法律的にも一つひとつの案が実施可能なものかどうか見解を次回示して欲しい。」と言ったのに対して、地質の学識経験者から「浅川部会でもそうだったが、幹事である県の考えを求めるのはおかしい。」と言う発言がありました。私からは「浅川部会や検討委員会で河川の管理責任者に基本高水を下げることは国の認可になるのか明確な答弁をさせなかったことが、検討委員会の答申を受けて知事が違った基本高水の枠組み案を示す結果をまねいた。ダムを作らないことにばかり終始し基本高水を下げることばかりに気が取られた様な部会に二度としてはならない。条例の真意は県職員が補佐する立場であっても河川管理者として発言し流域住民代表とともに論議し、一緒に真の治水・利水対策を検証することである。私は県の発言を封じるつもりはない。」と答えました。そして他の委員は私の発言にうなずき、次回は各委員から出された一つ一つの案に対する県の見解も文書で提出することが確認されました。

 知事への議会の不信任案の可決には、議会と知事との異常な関係の中で、ダム論議のみならず様々な理由があると思います。しかし、結果として論点の中心が「ダムあり」「ダムなし」が中心となってしまっていることは、条例の本来の目的である真の治水・利水のあり方を、一番地元の状況に詳しい流域住民の参加によって検証することと逆こうすることです。その意味で議会も知事も県民の前に具体的な治水・利水対策を示すことなく、浅川・砥川のみならず検討している流域のダムの是非が全県の有権者によって判断されようとしていることは、真剣に検討している部会委員から見れば残念でなりません。
 部会の役割は、一番流域のことを理解している住民代表を中心にダムによる場合、ダムによらない場合の治水・利水・環境などあるゆるメリット、デメリットや方策を一つ一つ検証し、流域住民の理解を得ながら方向を選択することです。そして、今、郷士沢部会は、この方法により既に6回の会を重ね、その様子は地元ケーブルテレビが村内に生中継しており、流域選出の部会委員のお話では村内の各種会議や行事に出席するたびに部会の論議が話題となり、ダムの是非や治水・利水のあり方が村中の論議になっているというのです。
 これこそが、条例が目指した検討のあり方であり、流域住民の将来にとって大切な治水・利水を検討する真の民主主義の姿ではないでしょうか。

 こんどある選挙をダムあり、ダムなしの政争の具にしては絶対いけません。もし、まともな形で住民に選択を求める住民投票を行うのであれば、具体的に今後の治水・利水がどうなるのか理解出来る姿を示すべきです。そして、治水・利水をテーマに住民投票に耐えうる流域があるとすれば、ケーブルテレビで部会審議を生中継している豊丘村は、今後、部会が示す案によって、そうなりうるかも知れません。

 議会が解散にならない以上、私は郷士沢部会の部会長として条例が掲げた崇高な理念の達成に向かって粛々と部会を続けて行く決意です。
 そして、前にも度々このHPで皆様に紹介して来ましたが、私の提案した「治水・利水ダム等検討委員会条例」の目指すべき崇高な理念とは、若くして亡くなった元長野市職員が自らの災害の苦労から描いた「我がまちの水辺の未来の夢」なのです。是非、党利・党略でない「真の治水・利水対策」をなぜ目指しているのかご理解頂くために、そして、私たちと一緒にそのための行動を起こすために、お読みください。お願いします。 
http://www.ne.jp/asahi/nagano/21/tokusyu/tokusu/simada_cikumagawa.htm

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