第3章 直接蒸着用液体金属イオン源

 

3−1.緒言

 

 前章において、集束イオンビーム直接蒸着法を実現するための最大の技術的課題であった、低エネルギー集束イオンビーム装置について述べた。本章では、実現のためのもうひとつの技術的課題である直接蒸着用液体金属イオン源について述べる。

 液体に高電界を印加するとき、液体がスプレー状にほとばしる現象は、かなり古くから(1700年代より)知られていたようである。当初は、この現象は水、油等絶縁物に限られた現象だと思われていたようであるが、1960年代に入って、この現象を真空中における推進機構(イオンロケット)として研究している過程で、金属を用いたときに金属イオンが発生することが確認され1)、金属イオン源として利用できることが明らかにされた2〜4)。1975年には、Krohn等がGaの液体金属イオン源を評価して、実効的な線源径が小さく、輝度が非常に大きいという特異的な性質を明らかにし、微細ビームを得るには最適なイオン源であることを示した5)。Krohn等に引き続き、Ga7、8)の他、Cs6)、Bi8)、Au9)等の単体イオン源が試みられた。このうち、Gaイオン源は、低融点であるために運転温度が低くできること、エネルギー幅や実効的な線源径が比較的小さいこと、イオン源の構成材料であるタングステンとなじみが良いこと、およびイオン源としての安定性に優れるといった理由により、実用的なイオン源としてその後広く利用されるようになった。

 1979年にSeliger等がGa液体金属イオン源を用いた集束イオンビームの報告10)をし、集束イオンビーム技術が認知されるようになると、イオン源の開発も急展開することになる。集束イオンビーム技術でまず実用化をめざした研究が始まったのは、集束イオンビーム露光、およびマスクレスイオン注入であった。イオン注入において用いるイオン種は、Siに対してはp型不純物源であるB、n型不純物源であるPおよびAsでありGaAsに対してはp型不純物源であるBe、n型不純物源であるSiの各イオンである。イオンビーム露光においては軽い元素の方が物質中での飛程が大きいため、Be、Siのイオンが多く用いられる。これらの元素は、単体では融点が高い(B、Be、Si)、高温でタングステンに対して反応性が強い(B、Be、Si)、蒸気圧が高い(P、As、Be)といった理由のためイオン源を構成することが困難である。そこで、合金化することにより融点を下げ、タングステンに対する反応性を緩和し、運転温度における蒸気圧を下げる試みがおこなわれてきた。特に共晶型合金の利用は大幅に融点を下げることが可能であるため、合金イオン源開発の主要な技術として用いられてきた。現在までに報告されている具体的な例を以下に示す。

 Siに対する不純物源として、Bイオン源に用いられる合金例としては、B−Pt−Au−Ge11)、B−Ni−Pt12、13)、Pt−B13)、Pd−Ni−B13)、Ni−B14)等が報告されている。Pイオン源としては、Cu−P15)、Pt−P−Sb16)、Asイオン源としてPd−As17)等が報告されている。また、BとPあるいはAsを同時に含む合金を原料とし、同じイオン源でp型不純物源とn型不純物源を発生させ、質量分離器により切り替えて使用できるものが開発された。そのような合金例として、Pd−Ni−B−As13)、Pd−As-B17)、Pd−As−B−P17)、Ni−As−B18)が報告されている。GaAsに対する不純物源、イオンビーム露光用のイオン源として、p型不純物源であるBeとn型不純物源であるSiを同時に含む合金であるAu−Si−Be19、20)を用いたイオン源が報告されている。

 液体金属イオン源に要求される主な性能として、次のようなものがある。

              @イオンビームの安定性(電流値、放出点の位置)が良いこと。

              Aイオンビームの再現性が良いこと。

              Bイオン源の寿命が100時間以上であること。

              Cエネルギー幅が小さいこと。

              D目的とするイオン種の角電流密度が大きいこと。

              E実効的な線源径が小さいこと。

Gaイオン源においては、これらを満足する実用に足るものが市販されているようであるが、合金イオン源に関しては不明である。特に安定性、再現性、長寿命はイオン源の実用化に不可欠な性能であると同時に、長い時間をかけて技術を蓄積しなければ実現できない性能である。

 液体金属イオン源の動作原理については、次のように考えられている。液体金属表面に強電界を印加するとき、電界から受ける静電気力と表面張力の競合により液体表面はある定常状態に達する。電界強度が大きくなるとある値でテイラーコーンと呼ばれる円錐が形成され、その頂点からイオン、中性原子等が放出される21)。そのときの円錐の頂半角は49.3°であり、先端における電界は10V/nm以上に達するものと予想されている。イオン化の機構としては、複数の過程が寄与しているものとみなされている。そのうち支配的なイオン化機構は、液体表面原子がイオン化して蒸発する電界蒸発過程であると考えられている22)。その他、蒸発した中性原子が電界中でイオン化する電界電離の過程23)、電界蒸発したイオンがさらに電界電離されて多価イオンになる過程24)、イオンと中性原子の荷電変換過程25)、電子と中性原子の衝突によるイオン化過程25)等が考えられている。しかし、単一のイオン化機構により観察される現象をすべて説明することはできないため、条件によりこれらのイオン化機構がそれぞれある割合で寄与しながらイオン化しているものと考えられている。

 直接蒸着法に用いるイオン源には成膜したい元素そのものをイオン化することが求められる。そのため、導電体の成膜用、超伝導体の成膜用および磁性体の成膜用の液体金属イオン源が必要となる。市販されている、あるいは報告されている合金イオン源において、一部の元素は直接蒸着法において求められるものと重複するものの、それらでは足りない元素がある。また半導体に対する不純物導入を目的として開発されたイオン源は、あくまで不純物源の合金化をめざしたもので、直接蒸着法に用いるという観点からみると、きわめて不適当な合金が用いられている。また、それらを利用するにしても追試に始まり実用化のための開発が必要である。したがって、直接蒸着法を目的とした導電体用、超伝導体用および磁性体用に最適な合金組成をもつ液体金属イオン源の開発が、直接蒸着法の実現のためには必要不可欠な要素技術となる。著者等は、含浸電極型液体金属イオン源という形式のイオン源を採用し、直接蒸着法に最適な合金開発により、前記@〜Eを満足するような実用に充分耐えうるイオン源をめざした直接蒸着用液体金属イオン源の開発をおこなった。

 本章においては、合金を用いた液体金属イオン源の性質と利点、含浸電極型液体金属イオン源の特長とその構造および作成方法について述べた後、開発した合金イオン源を導電体用、超伝導体用および磁性体用に分類してまとめ、エネルギー分布の測定について述べた後、現状と今後の課題について考察する。

 

 

3−2.合金を用いた液体金属イオン源

 

 前節において述べたように、単体では融点が高い、高温でタングステン(イオン源構造物を構成する材料)に対して反応性が強い、蒸気圧が高いといった性質を持ち、単体ではイオン源を構成することが困難な元素をイオン化するためには、合金を原料とする液体金属イオン源を用いる。

 単体では高融点である元素でも、合金化により液体金属イオン源において運転可能な温度まで融点を下げることが一般に可能である。融点を下げるには主に共晶型の合金が用いられる。たとえばAuは単体では融点1064℃、Siは1414℃であるが、Au−Si合金は共晶点が370℃である。また、Geは単体では融点は959℃であるが、Au−Ge合金は共晶点が356℃である。Au−Si合金の状態図を図3−1に、Au−Ge合金の状態図を図3−2に示す。なお、組成は特にことわらない限り原子数による組成を示す。

 

 

図3−1.Au−Si合金状態図26)

 

 

 

図3−2.Au−Ge合金状態図26)

 

 共晶型の合金は、構成する金属それぞれの単体における融点よりも固相線(共晶点)が低温となるために融点を下げるには最も効果的な合金である。しかし、共晶型の合金になる元素の組み合わせは限られている。合金には共晶型のほか、包晶型、全率固溶型等のいくつかの形式がある。それらを利用しても、より低融点の金属と合金化することにより融点を下げることができる。たとえばNbの場合、Auとの間では1570℃の包晶点を持つ包晶型の合金となる。図3−3にAu−Nb合金の状態図を示す。固相線がAuの融点以下になることはない。また、固相線、液相線ともNbの組成が増えるにしたがって上昇していく。しかし、Nbの含有量の少ない領域においては固相線、液相線ともにAuの融点に近い値をとる。一方、AuとCuの合金は(高温領域においては)全率固溶型である。Au−Cu合金の状態図を図3−4に示す。ほぼAuとCuが同程度の組成において液相線と固相線がAu、Cuそれぞれの単体における融点よりも低温において極小値をとると同時に重なる。このほかにも偏晶型と呼ばれるものや中間相、金属間化合物を持つものなど、多様な状態図の形式が知られている。

 

 

図3−3.Au−Nb合金状態図27)

 

 

 

図3−4.Au−Cu合金状態図26)

 イオン化したい元素の合金を設計するにあたって、含浸電極型イオン源において安定な動作が確認されているAuを主要な組成として含む合金を系統的に探索した。すなわち、まず所望する元素がAuと共晶型の合金になる場合にはそのままAuとの2元合金を候補として採用した。また、Auよりも低融点である場合には包晶型、全率固溶型の2元合金となるものを採用した。Auと共晶型の合金にならずAuよりも高融点の元素の場合には、所望の元素と共晶型の合金になる第3の元素、あるいはAuと共晶型の合金になる第3の元素を含む3元合金について検討をおこなった。このようにして、合金の液相面、固相面の低温化という観点で選択したいくつかの合金を含浸電極型イオン源に充填し、加熱して調整した後、イオン源としての特性を実験的に求め、前述したイオン源に要求される@〜Eまでの性能を満足するものを探索した。特に安定性、寿命、目的とするイオン種の角電流密度(引き出しビーム中の目的イオン種の占める割合に比例する)は、原料とする合金組成および調整時(浸みだし時)の温度条件等により大きな影響を受ける。

 合金イオン源を積極的に用いる理由の一つに複数のイオン種を質量分離器により切り替えて使用するという手法がある。静電レンズにより構成される集束イオンビーム装置の光学特性は、イオン源から引き出されたどのような電荷、質量のイオン種に対しても基本的に同じものであることは第2章において述べた。この特性を用いて複数のイオン種(元素)を組み合わせて精密な微細加工をおこなうことが可能である。そのような目的のためには、使用したいイオン種を含む4元合金以上の組成の合金イオン源を開発した。