2−6.光学特性の改良に関する考察

 

 以上述べてきたように、開発した光学系評価手法により実測値をほぼ再現でき、評価手法としての確度を確認することができたので、同じ手法を用いて、より微細な蒸着ビーム、より電流密度の大きな蒸着ビームを得るための指針を得ることを試みる。まず、ビーム径0.1μm以下の微細ビームの可能性について議論する。もし現状のビーム径が線源径により決定されているならば、もっと線源径自体が小さくなるような、軽い金属イオン(たとえばAl)を用いることが一つの手段である。しかし、実効的な線源径で50nmが得られたとしても現光学系の倍率では予想ビーム径は0.14μmであり、光学系の倍率をさらに小さくする必要がある。設計の変更なしに倍率を小さくする方法には2通りある。図2−5においてLであらわされている減速長を短くする方法と、第1静電レンズの設定を変え基準軌道を変更する方法である。

 まず、減速長を短縮する方法について述べる。減速長の短縮は、焦点面でのビーム半角の増大に寄与するため、倍率が小さくなることに対応する。図2−20は減速長Lが2〜12mmのときのビーム電流値とビーム径の関係を示す。減速長が短いほどビーム径は小さくなる傾向が示されている。減速長が短くなると色収差、球面収差とも小さくなるが、特に倍率が小さくなるために低電流領域におけるビーム径が小さくなる。たとえば減速長が10mmの時の倍率は2.71となるのに対して減速長が4mmのとき、減速時の倍率は1.65になる。このようにすればAuに対しても1pAの電流で0.2μm程度の蒸着ビーム径を見込むことができ、線源径が60nmのビームに対して0.1μmのビーム径を見込むことができる。しかし、減速長を短くすることは放電の危険性を増すために、6mm程度が実用的な限度となっている。

 

 

 

図2−20.減速長が2〜12mmにおける50eVのAuビームの

ビーム電流とビーム径の関係を予想する計算結果

 

 次に第1静電レンズの設定を変え基準軌道を変更する方法について考察する。これまでに紹介した計算結果はすべて第1静電レンズと第2静電レンズとの中間点で基準軌道が中心軸と交差する条件、つまり第1静電レンズ位置における基準軌道の半径と第2静電レンズ位置における基準軌道の半径が同じ条件(VL1=12.92kV)における結果であった。第2静電レンズ位置における基準軌道半径が大きくなるように第1静電レンズの電位をさらに大きくとれば、焦点面におけるビーム半角は大きくなり、倍率は小さくなる。また、第1静電レンズと第2静電レンズ間で基準軌道が中心軸と平行になる条件よりも第1静電レンズの電位を小さくとるときも、第2静電レンズ位置における基準軌道半径は大きくなり、倍率は小さくなる。図2−21はエネルギー50eVにおける第1静電レンズの電位とAuビーム径の関係をビーム電流1pA〜10nAについて示す。第1静電レンズの電位が12.85kVで特異的にビーム径が大きくなりその両側で極小点を持つ。12.85kVは、第1静電レンズの焦点位置が第2静電レンズ位置にくる電位であるので、第2静電レンズが有効に働かないために、このような特異点が生じる。この点より低電位側の極小点は、第1静電レンズと第2静電レンズ間で、基準軌道が中心軸に対してほぼ並行になる場合であり、高電位側の極小点は第1静電レンズと第2静電レンズのほぼ中間位置で基準軌道が中心軸と交差する条件である。図2−22は、電流値10pAにおける第1レンズ電位とAuビーム電流の関係を線源径と倍率の項、色収差の項、および球面収差の項について示す。12.6〜13.1kVにおいて、ビーム径が線源径と倍率の項により決定される他は、色収差の項により決定されている。ビーム径の極小値は、線源径と倍率の項と色収差の項が交差するあたりに存在する。これらの計算結果を参照する限りでは、ビーム電流値10pAのAuビームにおいて0.2μm、1pAであれば0.1μmの減速ビーム径が可能である。しかし、実現するためにはいくつかの実際的な障害が存在する。まず、第1アパーチャの径が連続的に変えられるわけではないために、任意のビーム電流値において任意の第1静電レンズ電位を設定することはできないということがある。次に、ビーム電流値をしぼればしぼるほど、光学系部品の軸合わせに要求される精度は厳しくなり、環境、装置の安定性、従事者の熟練度等に依存する実際的な限度が生じる。また、ビーム電流値のしぼりこみはビーム電流密度の低下をもたらすために、蒸着ビームの観察が困難になる。集束イオンビーム直接蒸着法においてビーム電流密度の低下は、蒸着に要する時間の点においても成膜した薄膜の膜質においても不利な条件となるため、直接蒸着法に用いるビームとしても実用上の限度が生じる。

 著者の装置においては、偏向電位のリップルの低減がさらに細いビーム径を得る場合には必要である。また、運転中における微細な蒸着パターンの観測には、非減速ビームによる走査イオン顕微鏡像を用いているが、イオン種を変えない限り非減速ビーム径と減速ビーム径の差が2倍程度しかないために精度の良い観察が困難である。これには、観察用の走査電子顕微鏡を同じチェンバーに組み込む等の対策が必要であろう。しかし、原理的にはAu+においても0.1μmよりも小さなビーム径を得ることは可能であり、さらにエネルギー幅、線源径の小さなイオン種を用いることにより、より容易に0.1μm以下の微小ビーム径を得ることが可能であろうと推測される。

 

 

図2−21.ビーム電流が1pA〜10nAにおける50eVのAuビームにおける

第1レンズ電位とビーム径の関係を予想する計算結果

(点線はこれまでの計算に用いたVL1=12.92kVを示す)

 

 

 

図2−22.ビーム電流が10pAにおける50eVのAuビームにおける

第1レンズ電位とビーム径3成分の関係を予想する計算結果

(点線はこれまでの計算に用いたVL1=12.92kVを示す)

 

 色収差によりビーム径が決定される中電流領域において電流密度を上げることは直接蒸着にとって蒸着速度の改善、膜質の向上に大きな意味を持つ。色収差の項を最小に押さえるための手段には、イオン源においてエネルギー幅の小さなビームを引き出す(エネルギー幅の小さなイオン種を用いる)ことと、光学系の改善をおこなう、つまり色収差係数の小さな光学系を設計することがある。イオン源に関しては、より軽いイオンビームを利用することによりエネルギー幅は改善されるであろう。その効果は、図2−9および式(2−15)において示されているように、エネルギー幅の逆2乗でビーム電流密度は増大する。したがって、エネルギー幅の小さなイオン種の利用が最も効果的である。また、合金イオン源においては、目的とするイオン種の成分比を大きくする、つまり角電流密度を大きくすることも重要な項目である。式(2−15)に示されているように、ビーム電流密度は角電流密度に比例する。

 光学系の改善は、上述したイオン源に関する改善と比較すると、その効果はあまり大きいとは言えないが、色収差係数を小さくするには、いくつか手段が考えられる。減速長を短くすることが、その一つである。たとえば、図2−20で示した結果のうち、減速長が4mmと10mmを比較するとき、4mmにおける色収差係数は10mmのおよそ0.4倍である。式(2−15)によれば、色収差係数はビーム電流密度に逆2乗で寄与するため、6.3倍になることが期待される。しかし、倍率の項も2乗でビーム電流密度に寄与し、こちらは減速長4mmは10mmの場合と比べて0.6倍となるため、それを計算に入れると結局ビーム電流密度としては約2倍程度になる。

 そのほか加速電位を上げることによっても、色収差の項は改善される。たとえば減速長10mmにおいて、加速電位を20kVから30kVに変更し、ほぼ同様な基準軌道を描かせると、色収差係数は0.45倍になる。ただし倍率も0.75倍となり、ビーム電流密度としては2.8倍になるという結果が得られる。その他、レンズ系の形状、配置等をさらに最適化することなどが考えられる。

 電流領域によらず、イオン源の改善が最後の問題として残されている。いかに線源径が小さく、エネルギー幅が小さく、安定で長寿命のイオン源を開発するかに、低エネルギー集束イオンビームおよび集束イオンビーム直接蒸着法の今後の性能向上のかなりの部分は依存しているものと考えられる。

 

 

 

2−7.結言

 

 集束イオンビーム直接蒸着法を実現するために、低エネルギー集束イオンビーム装置の設計、製作をおこなった。設計に先立ち、光学系評価のためのシミュレーション手法を確立した。静電レンズの倍率、球面収差、および色収差を評価し、ビーム径を予測する手法である。この手法を用いて、低エネルギー集束イオンビームにとって最適なレンズ系を探索した。その結果得られたレンズ系は、計算上は50eVビームに対して0.1μmにせまるビーム径が得られるものであった。この計算結果に基づき、2個の静電レンズ、減速電界、質量分離器、偏向電極、XYZステージ等から構成される、低エネルギー集束イオンビーム装置を設計、製作しその評価をおこなった。

 この装置により得られたビームは、30〜200eVのAuビームに対して、低電流領域において最小ビーム径〜0.35μm、ビーム電流値40pA〜10nAに対してビーム径0.4〜7μm、この領域においてビーム電流密度〜300A/m(〜30mA/cm)であった。この結果は定性的には、低電流領域においてはビーム径は線源径と倍率によって決まり、中電流量域においてはビーム径は色収差により決定されるという計算結果と良く一致するが、定量的にはいくらかの差が存在する。しかし、この差は計算上でおこなった設定、仮定に現実に即していない部分があり、そのために生じたものと思われる。それらの補正をおこなうと、実測値をほぼ再現することができた。そこで、さらにビームの性能を向上させる可能性について、計算に基づき考察をおこなった。

 このように、集束イオンビーム直接蒸着法を実証することのできる1μm以下のビーム径を持つ低エネルギー集束イオンビームをつくりだすことに成功した。

 

 

 

第2章の参考文献

 

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