2−4.低エネルギー集束イオンビーム装置の構成
前節において述べた光学系評価結果に基づき、低エネルギー集束イオンビーム装置を設計製作した5〜7)。図2−10にこの装置の概念図を、図2−11にこの装置の写真を示す。この装置には図2−5に示す光学系のほか、含浸電極型液体金属イオン源、光軸補正電極(aligner)、質量分離器、アパーチャ、ファラデーカップ(Faraday cup)、偏向電極、上部に電気的に絶縁された基板ホルダーを載せたXYZステージ、2次電子計測用の検出器、これらを中に含む真空チェンバー、搬送用のチェンバー、搬送用のロボット、およびそれらを制御するための制御系が含まれる。
図2−10.製作した低エネルギー集束イオンビーム装置概念図
図2−11.製作した低エネルギー集束イオンビーム装置の写真
イオン源には、通常、Nb−Au−CuとかAl−Au−Geといった合金を含浸電極型液体金属イオン源チップ12)に充填し液体金属合金イオン源として用いる。合金イオン源を用いる理由は2つある。単体ではイオン源を構成することが困難な高融点金属(Nb、Si等)を1000℃程度の運転温度でイオン化するためと、イオン源の構成材料であるWと反応性の強い材料(Al、Si等)の反応性を抑えるためである。さらに、合金イオン源を用いるのは、イオン源の交換なしに合金組成に含まれる複数のイオン種を利用できるという積極的な利点も生じる。厳密にいえばイオン種によってエネルギー幅、実効的な線源径が異なると思われるので全く同じビーム形状が得られるわけではなく、また引き出しビーム中の目的とするイオン種の生成比によりビーム電流密度が影響を受けるが、基本的にはすべてのイオン種に対して全く同じ光学系により最適なビームが得られる。これは、異種金属を全く光学系の調整なしに組み合わせて使用することが可能であることを意味している。イオン源は引き出し電極に対して、XYZの3軸方向に位置調整可能である。イオン源に関しては、次章において詳述する。
イオン源から5〜7kVで引き出されたビームは、はじめに20kVの加速電位で加速される。その下流に第1アパーチャがある。20〜200μmのアパーチャが数種類取り付けられており、交換可能である。ビーム電流の調整はまずこの第1アパーチャを用いておこなう。次に第1静電レンズにより集束される。通常はその下流の質量分離器の第2アパーチャに焦点を合わせる。ビーム電流の微調整は、このときの焦点を第2アパーチャ位置よりずらし、第2アパーチャを透過する電流を変化させることによりおこなう。第1静電レンズより上流は、下流に対してXY方向の位置および軸の傾きを機械的に調整することができる。また、第1静電レンズの出口には光軸補正電極があり、通常はこちらを光軸の調整に用いる。
次に質量分離器により、引き出された様々なイオン種のうち、必要な1種類のイオン種のみを分離する。質量分離器はE×B型と呼ばれるものを採用した。この質量分離器は、電界と磁界を互いに垂直方向にかけ、目的とするイオン種のみが電界から受ける力と磁界から受ける力が打ち消しあい直進するように電界か磁界の強度を調節する。他のイオン種は直進条件からはずれるために中心軸より離れていき、アパーチャによりこれらを取り除くことにより質量分離をおこなう。磁極長電極長とも40mm、第二アパーチャまでの距離は100mmである。電界の分布と磁界の分布が厳密に一致するよう、有限要素法を用いて電磁界分布を評価しながら設計をおこなっている。第2アパーチャには、第1アパーチャと同様20〜200μmのアパーチャが数種類取り付けられており、交換できる。通常は50μmのアパーチャを使用する。50μmのアパーチャを使用するときの質量分解能はおよそ質量の1/60程度である。質量分離器と第2アパーチャの間に、ブランキングのための電極がある。
次にビームは、2連8極偏向電極により偏向される。8極(オクタポールとも呼ばれる)よりなる偏向電極は、平行平板型偏向電極と比較して、一般的に光学特性が優れている(幾何収差が小さい)。著者等は、これを2重に配置した。第一偏向電極によりビームはまずある方向に偏向される。次に第2偏向電極により、第2静電レンズの中心を常に通過するよう反対方向に偏向される。このような偏向をおこなうことにより、第2静電レンズが偏向に及ぼす影響を最小になるようにすると同時に、偏向電極の幾何収差の影響をも最小にしている。第1偏向電極の電極長さは50mm、第2偏向電極の電極長さは100mmである。第1偏向電極と第2偏向電極には、位相を180度回転させて、同じ8個の偏向電位を供給する。走査範囲は、第2静電レンズとターゲット間の減速場により影響を受ける。減速時における走査範囲は、およそ600μm四方である。イオンビームは偏向電極を通り抜けた後、第2静電レンズにより集束され、最後に第2静電レンズとターゲット間の減速場により、加速電位とターゲットに印加された減速電位の差分に対応する最終エネルギー0〜20keV(1価イオン)まで減速される。
XYZステージはXY方向に100mm、Z方向に10mm(減速長L=4〜14mm)動く。XYの動きはレーザー測長器によって0.01μmの精度で読みとることができる。XYは0.1μmの単位で送ることが可能で、広範囲の描画に用いることができる。XYZステージの上部には電気的に絶縁された基板ホルダーがおかれ、ここに減速電位が供給される。基板ホルダーには4インチまでの基板を装着することができる。ステージは10−7Paの桁の超高真空中での使用をめざしたので、部品の選択、表面の処理には特に注意を払ってある。
ステージ上の試料の観察のために、光学顕微鏡と走査イオン顕微鏡の検出器が組み込まれている。走査イオン顕微鏡観察のために2次電子検出をおこなう電子増倍管がステージの横に取り付けられており、偏向電極の位置信号をオシロスコープのXY信号に、電子倍増管の出力を強度信号に入力することにより、走査イオン顕微鏡像が得られる。また、第2静電レンズにはイオン光学系と同軸に反射対物レンズ型の光学顕微鏡(倍率300倍)が組み込まれている。これらの顕微鏡により、試料の観察と位置合わせをおこなう。走査イオン顕微鏡は高倍率であるが、試料に対してイオンビームを照射するためにスパッタリングによる損傷あるいはイオン注入といった効果が生じてしまう。また、2次電子に対して減速電場は強い閉じこめ効果を持つので、減速電位を印加中は試料の観測が不可能である。こういったことをさけ、損傷なしに減速中の試料を観察するために、光学顕微鏡が低倍率ではあるが有用である。蒸着中に試料を観察することが可能である。光学顕微鏡にはCCDカメラが取り付けられており、通常はモニターテレビに映った画像により試料の観察をおこなう。
真空系は3台のイオンポンプ、2台のターボ分子ポンプおよび2台のロータリーポンプで構成されている。鏡筒は140l/sの2台のイオンポンプにより、プロセスチェンバーは500l/sのイオンポンプと550l/sのターボ分子ポンプ(もともと中真空領域で用いるために取り付けたものであり、高真空領域では停止させる予定であったが、振動の影響がないことがわかったため、常時イオンポンプと並列で使用することが多い)により引く。真空度もビーム電流密度と同様、成膜した薄膜の膜質を決定する重要な要因である。10−7Paの桁に入ることを目標として設計製作したが、運転当初よりその目標は達成された。この論文で報告する測定結果の多くは、2〜7×10−7Pa程度の運転中の真空度の中で得られたものである。運転開始より3年程度経過した後、10−8Paの桁に到達するようになっている。輸送チェンバーは330l/sのターボ分子ポンプで引く。輸送チェンバー内にはウエハ搬送用ロボットがあり、1時間程度の所要時間で試料の交換をおこなうことができる。