Chichesterの歴史 その1
英国の歴史は日本人にとってとても興味深いものがあります。英国はユーラシア大陸の西端のはずれの島国ですし、日本は東端のはずれの島国です。英国は紀元前10000年くらいまでは、南端を除き英国全体が氷河でおおわれていました。またユーラシア大陸と陸続きでした。氷河期の終わりと共に氷河が南より溶け始め、同時に始まった海面水位の上昇により紀元前6500年くらいには大陸と切り離されました。その後、大陸からいろいろな民族が移動してきては消え去り、あるいは後から移動してきた民族に征服/同化されるという歴史を繰り返してきたようです。(私は地理的な環境の類似性より、日本の歴史も基本的には同じ経過をたどってきたものと想像しています。)
歴史というのものは、暗黙の了解として10〜20万年前にアフリカで発生したと言われている現生人類のものに限られると思うので、余談になるかもしれませんが、Chichester近郊で特筆すべき発見があります。Chichesterよりローマ人が作った東西南北に続く(南にはそれらしい道はありませんが、駅のすぐ南より海まで運河が続いています。もしかするとこの運河ももともとはローマ人が作ったものかもしれません。)道を東にすこし行くとTangmareという第2次大戦中に大きな空軍基地があった集落があります。そのはずれにBoxgroveという集落があります。その集落の周辺には採石場(このような平野の真中に何で採石場があるかと言うと、氷河時代に氷河が削り取り堆積した砂利層が地中にあり、これを掘り出すのです)があるのですが、何と砂利層の下から石器と現生人類と区別できない骨の一部が出土したのです(1)。およそ50万年前のものと推定されており、現生人類の直接の祖先なのかあるいはネアンデルタール人に近いのもなのか等、詳細はわかっていません。これに近い化石はHeiderbergでも発見されておりこちらはネアンデルタール人の祖先とされています。
(1)M. Pitt and M. Roberts, "Fairweather Eden", Arrow Books Limited (1998)
日本に生まれ育った私には、文明は時代と共に右肩上がりであり、常に進歩を続けているという「思い込み」がありました。同様な思い込みを持つ日本人は多いのではないかと思います。しかし、ヨーロッパに来てみると、かつて存在した文明の痕跡がいたるところにあり、最近の200〜400年を除くと、文明のレベルもかえる跳びのように上がったり下がったりしていたのではないかということがわかります。Chichsterという町自体、ローマ人が作った都市を下敷きにしています。もちろん建物とか城壁はその後の時代のものですが、道路とか城壁の位置とか地下水道などは名残が強く残っています。市内には浴場跡が発見されていますし、近くに円形劇場の跡もあります。道路などは、直線的に長く続く道はみんなローマ人が作ったものだと現地の人が話していました。これらを眺めていると、とても奇妙な感覚に捕らえられてしまいます。
(続く)