第二審(控訴審)
経過・判決
(1996-1998)



1996年9月19日、韓国・朝鮮人元BC級戦犯者七人は
弁護団・支える会とも協議の上、全員控訴しました。


1996

■9月9日 東京地裁判決
●条理に基づく国家補償請求→棄却
(1)戦争犠牲・戦争損害は国民が等しく受忍しなければならないものであり(戦争犠牲受忍論)、これに対する補償は憲法上全く予想されていない。
(2)原告らが被った損失も日本国民が等しく受忍すべき戦争犠牲・戦争損害と同視すべきもの。
(3)戦争犠牲・戦争損害に対する補償が現行憲法上全く予想されていないものであっても、国際人権規約及び人道的見地等からわが国の元軍人軍属及びその遺族に対する援護措置に相当するような措置を講じることが望ましいが、高度の政策的裁量によって決すべき国の立法政策に属する問題(立法裁量論)。
●雇用契約上の債務不履行に基づく損害賠償請求→棄却
 軍属の勤務関係は私法上の契約関係とは著しくその性質を異にし、民法をはじめとする私法規定は適用がない。
●名誉棄損に基づく謝罪文交付請求→棄却
 下村通達のみによって原告らが有罪判決を受けたとは認めがたく、他に原告らが起訴された事実につき無実であるのに日本国の行為によって有罪判決を受けさせられ、その執行を受けさせられたことを認めるに足る的確な証拠は存在せず、その立証はない。
●立法不作為違法確認請求→却下
 原告らが被った損失に対する補償立法の制定は、立法裁量の問題で、立法不作為を違法と評価することはできない。

■9月19日 東京高裁に控訴


1997

■2月24日 控訴審第1回
●控訴人弁論・李鶴来氏
 40年近くも政治に解決を求めてきたが政治が自分たちの問題を解決してくれなかったからこそ条理裁判を起こした。それを政治の問題だ(立法裁量論)という判決は全く納得できない。また、原判決に、戦争裁判の再審をやらなければ問題は解決しないといっているように受け取れる部分があるが、自分たちは日本政府の皇民化政策と捕虜政策が原因だといっているのであって、下村通達などによって無実が有罪になったなどということをいった覚えはない。取り消してほしい。
●準備書面(一)にもとづき、今村嗣夫弁護士ら訴訟代理人弁論
 原判決の条理に基づく国家請求に関する判示について、その戦争被害受忍義務論の違憲性および戦後補償立法政策論の違憲性を指摘。戦争犠牲に対する補償の姿勢は、憲法前文に明らかであり、また、他国を隷属させることを否定した日本国憲法は、旧植民地出身者に対する補償も当然想定したものとなっていることも、歴史的経緯から説明。ところが、実際の補償状況は旧植民地出身者は対象から排除され、日本人の軍関係者に偏重。しかも軍高官を優遇。このような状況を是認し正当化する原判決の立法裁量論は司法の違憲審査権にもとるとした。続いて、原判決の事実認定の不当な点について指摘したあと、同進会の政府・国会に対する40年間にわたる国家補償の要請活動を振り返り、控訴審裁判所がこの経緯を熟視し、公正な審理を行うよう促した。(準備書面(一)に対する口頭での補足は、準備書面(二)としてまとめられる)

■4月18日 朴允商氏死去

■5月12日 控訴審第2回

●原判決の雇用契約上の債務不履行に関する判示について、準備書面(三)をもとに主張。 原判決で「民法をはじめとする私法規定は軍属の勤務関係には適用がない」とし原告らの請求を棄却した点について、「明治憲法下の法律論さえも無視した暴論であり、被告さえも主張しなかったこと」と批判、軍隊における軍属の位置や戦前の法解釈、実際に政府が2年契約を念頭においていたという資料などをもとに反論を展開した。
●次に、条理に基づく国家補償請求に対する立法裁量論の不当性について、準備書面(四)をもとに主張。控訴人らの被った被害は日本の植民地政策と俘虜政策に起因する重大な人権侵害であり、これに対する補償は日本国憲法の承認する条理からも国際社会の承認する条理からも明らかであることを主張。一方、日本における補償立法の実態は日本人軍人を中心ととするものとなっており、圧力団体と族議員との癒着によってもたらされてきた過程を詳述。無限定な立法裁量論に委ねるべき問題でないことを立証。

■9月10日 控訴審第3回
●朴允商氏死去に伴い、申し立てをしてあった妻李學順氏、長男朴一濬氏を承継人として確認。李鶴来氏・金完根氏の本人尋問の申請が認められる。証人申請をした田中宏氏(一橋大学教授)については意見書を提出する形で認められる。証拠として掲出されたビデオ「朝鮮人BC級戦犯の記録」(本橋雄介氏作成)を裁判官・控訴人・被控訴人で検証することが認められる。
●国側の反論(7月25日付準備書面)に対し、準備書面(五)をもとに再反論を展開。国側は、控訴人側が今回の国家補償請求は国家賠償・損失補償・社会保障という伝統的な国家補償の範疇に属さないとした点をもって、既存の法理論では成立し得ないことを自認したに等しいと反論をしてきており、また「受忍論」の立場から条理に基づく国家補償請求は失当だと繰り返した。それに対し、控訴人側は国側の反論がいかに的外れなものであるか指摘、従来のものとは異なる特殊な国家補償制度があることを原爆医療法等に見てきたことを改めて確認・詳述した。雇用契約上の債務不履行についても、国は「2年間で帰還ないし現地除隊させる義務」や「俘虜監視業務以外の業務に従事させず、俘虜政策を国際法にのっとって人道的に行い、俘虜監視業務関係者に国際法の趣旨を周知徹底させるべき義務」はなかったとし、安全配慮義務についても「本件で控訴人らが主張する損害をもたらした戦争裁判は、日本国によってなされたものではない。……国において、その支配が及ばない事柄といえる」とした。しかし、そういった責任回避はなし得ないことを、控訴人側は日本の俘虜政策の検討を通じ論証。国側の文献引用のでたらめさについても指摘。

■10月14日
●東京高裁準備室において裁判官・控訴人・被控訴人の三者で、ビデオ「朝鮮人BC級戦犯の記録」(本橋雄介氏作成)を検証。

■12月3日 控訴審第4回
●本人尋問に先立ち、泰緬鉄道の現場を検分してきた今村弁護士より現場の状況説明。
●李鶴来氏本人尋問
 泰緬鉄道の建設について、人手はもちろん食糧・医薬品が不足しているにもかかわらず大本営は俘虜5万名を使役する人海戦術による無茶な命令を現場に強いた事実を指摘、結果、捕虜を含め多数の人命が失われ、朝鮮人俘虜監視員が責任を負わされたことを陳述。謝罪と国家補償との関係については、全く一体のものであるという考えを改めて示し、人権侵害に対してきちんと謝罪し、それが口先だけのものではないということを示すそうした補償であればよい、と象徴的補償を示唆した。判決文の中に日本政府が謝罪のしるしとして補償すべきだということを明記してほしい、と加えた。
●金完根氏本人尋問
 人海戦術・突貫工事を強行した日本軍のやり方が俘虜の恨み・憎しみの原因をつくったことを改めて述べ、2年契約について原審で民法上の契約にあたらないとしている点については、2年だという契約があればこそやむなく応じたのだということを陳述。裁判の準備をはじめた1991年以降、10名もの仲間が亡くなったことに触れ、日本政府から放置され続けてきたことへの憤りを語り司法の判断を求めた。
●田中宏氏意見書提出。「意見書――日本における戦後補償体系の問題点」


1998

■2月2日 文泰福氏死去

■2月25日 控訴審第5回・結審
●文泰福氏の死去に伴い、長男芦澤承謙氏を承継人として確認。
●準備書面(六)に基づき訴え変更の申し立ておよび最終弁論。これまでの拘禁日数による算定でなく“象徴的補償”を前面にすえ、一人当たり200万円および謝罪文の交付を請求内容とする。前回の法廷での李鶴来氏の発言も、人権侵害に対する謝罪とそのしるしとしての補償を求める、象徴的補償といえるものであることを指摘。また、朝鮮人俘虜監視員の被った人権侵害が国家起因性の犠牲であることを改めて確認したあと、そうした性質の犠牲に対しどのような補償をしてきたのか、アメリカ・カナダの日系人強制収容に対する補償などから検討。いずれも“象徴的補償”の性質を有し、補償額は日本円にして約200万円。また国内法でみると、台湾の戦没者遺族および戦争傷病者に対する給付金は200万円とされており、これはアメリカ等の例が影響したと見られていることなどを指摘。象徴的補償の額は条理上、少なくとも200万円を下ることはないと結論づけた。裁判所に、正義を説く、説得力ある判決を求めて結審。


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