第一審の経過・判決
Proceedings at the prefectural court
and the lower-court judgement
(1991-1996)



1991年11月12日 提訴
韓国・朝鮮人元BC級戦犯者七人が東京地裁に提訴。
原告の構成は、在日当事者五人、材韓当事者一人、在韓遺族一人。

1992年1月27日 第一回口頭弁論
在日原告五人が約三分ずつの冒頭陳述を行った。
在韓原告二人は裁判官宛に手紙を書き、法廷で代読された。
原告側代理人(弁護士)が請求の内容について陳述。
被告(国)側は「請求棄却を求める」と述べるにとどまり
原告側の主張する事実への認否は行わなかった。

1992年3月23日 第二回口頭弁論
被告国側は「韓国人である原告も、当時は日本国籍を持ち
日本国家の構成員だったのだから
日本の戦犯とされ犠牲を払ったとしても
それは日本国民の一員として耐え忍ばなければならない」という
いわゆる「戦争犠牲受認論」を展開。
原告側は、「日本の構成員」であったのは
強制された結果であること、
また、当時日本人と朝鮮人では法的地位に著しい差異があり
それらを「日本の構成員」として同一視できないことを述べ、反論。
さらに、被告国側は原告側請求に対し
「条理は法源にならない」との主張を行ったが
その根拠となる事実認否については依然先送りの構え。

1992年6月8日 第三回口頭弁論
被告国側は事実認否を避け、公知の事実や歴史的事実に関しても
「不知」を繰り返すのみで、平行線をたどる。
条理の法源性をめぐっては、依然双方の隔たりはあるものの
その主張の基礎となる事実の立証に入ることを原告側が提起。
原告側は、三人の学者証人
(内海愛子氏・粟屋憲太郎氏・ガヴァン・マコーマック氏)を申請。

1992年8月31日 第四回口頭弁論
被告国側、「債務不履行に基づく損害補償請求」に関して
「原告らは国民徴用令に基づいて徴用された可能性が高い」ため
雇用契約は存在しなかった、と主張。だが、その根拠は一切示さず
逆に原告側から、当時の新聞報道内容や徴用令書の不在などを示され
あっさりと反論される。
(被告側が「徴用」を主張したのは、この回のみ。)
原告側は、朝鮮人戦犯問題を扱った
NHKドキュメンタリー「チョウムンサンの遺書」を
法廷で上映し検証するよう申請。

1992年10月26日 第五回口頭弁論
原告側代理人が「徴用令書」の実物を法廷に持参するなどして
前回の被告国側の主張に再反論。
被告側は、この回も事実認否を渋る。
(事実以前の法律論で切り抜けたいとの考えであろう。)
前回原告側が申請した法廷でのビデオ検証について
被告側は「ビデオには反対尋問できない」と反対したが
結局、裁判所が上映を認める。

1993年1月11日 第六回口頭弁論
NHKドキュメンタリー「チョウムンサンの遺書」のビデオが
検証物として法廷で上映される。

1993年5月10日 第七回口頭弁論
原告側が改めて証人申請。原告七人・学者証人三人の計十人。
被告国側は、学者証人は不要であると反論。
結局、まず原告本人尋問から入り
その過程で学者証人の必要性が認められれば
随時採用を検討することに決定する。

1993年7月26日 第八回口頭弁論
原告本人尋問・李鶴来(イ ハンネ)さん。
(証言内容は、韓国・朝鮮人BC級戦犯を支える会編
『原告本人尋問第一集・李鶴来』に全文収録。)

1993年10月18日 第九回口頭弁論
原告本人尋問・李鶴来さん(続行)。

1994年1月17日 第十回口頭弁論
原告本人尋問・文泰福(ムン テボク)さん。
(証言内容は、韓国・朝鮮人BC級戦犯を支える会編
『原告本人尋問第二集・文泰福』に全文収録。)

1994年4月11日 第十一回口頭弁論
原告本人尋問・尹東鉉(ユン ドンヒョン)さん
文済行(ムン ジェヘン)さん。
(証言内容は、韓国・朝鮮人BC級戦犯を支える会編
『原告本人尋問第三集・尹東鉉/文済行』に全文収録。)

1994年7月11日 第十二回口頭弁論
原告本人尋問・金完根(キム ワングン)さん。
(証言内容は、韓国・朝鮮人BC級戦犯を支える会編
『原告本人尋問第四集・金完根』に全文収録。)

1994年10月17日 第十三回口頭弁論
原告本人尋問・朴允商(パク ユンサン)さん。
(証言内容は、韓国・朝鮮人BC級戦犯を支える会編
『原告本人尋問第五集・朴允商/卞光洙』に全文収録。)

1994年12月19日 第十四回口頭弁論
原告本人尋問・卞光洙(ピョン グァンス)さん。
(証言内容は、韓国・朝鮮人BC級戦犯を支える会編
『原告本人尋問第五集・朴允商/卞光洙』に全文収録。)

1995年3月20日 第十五回口頭弁論
原告側証人尋問・阿部宏さん。
阿部さんは、戦争当時鉄道建設を行う鉄道隊に所属し
BC級戦犯裁判で死刑判決を受けた後、減刑された経験を持つ。
日本軍将校が戦後補償裁判の原告側証人として証言台に立つのは
おそらく阿部さんが初めてであっただろう。
工期短縮を軍上層部から迫られる状況下での建設現場の実情や
日本軍のずさんな俘虜政策の内実、
権限をまったく与えられなかった朝鮮人軍属の立場などに言及。
また、戦後チャンギー刑務所の死刑囚房で親交を深めた
趙文相(チョウ ムンサン)氏や金貴好(キム キイホ)氏
洪起聖(ホン キジョン)氏など朝鮮人戦犯の様子を法廷で語った。
(証言内容は、韓国・朝鮮人BC級戦犯を支える会編
『証人・阿部宏尋問調書』に全文収録。)

1995年7月3日 第十六回口頭弁論
原告側証人尋問・内海愛子さん。
(証言内容は、韓国・朝鮮人BC級戦犯を支える会編
『証人・内海愛子尋問調書』に全文収録。)

1995年10月30日 第十七回口頭弁論
原告側、375ページにおよぶ最終準備書面を提出し
最終弁論をおこなう。
戦争遂行主体である国家が被害者に対し
個人補償をするのは国際社会の条理であることを
アメリカ・カナダ・オーストリアの例などを挙げて説明。
(韓国・朝鮮人BC級戦犯を支える会編
『原告側最終準備書面』に全文収録。)

1996年2月19日 第十八回口頭弁論
原告側の最終準備書面に対し
被告国側も最終準備書面(16ページ)を提出して反論。
まず、条理は請求権の根拠とはならないこと、
原告らのこうむった被害は「特別の犠牲」にはあたらず
受認すべきであることなど、従来の主張を繰り返した。
その上で、この回ではさらに新しい主張を展開。曰く、
1 俘虜監視員募集が民法上の雇用契約であるという根拠がない、
2 仮に雇用契約に類似したものであるとしても
  契約違反はしていない、
3 仮に契約違反であるとしても
  原告の被害との間に因果関係がない、
4 仮に因果関係があったとしても
  当時戦犯裁判が開かれることは予見できなかったのだから
  国の責任はない
というかなり「すべり止め」的な論法である。
原告側は前回提出した最終準備書面の補足を提出。
この中で、皇民化政策等により
原告たちのアイデンティティを侵略した国側が
今日に至るまで事実関係すら明らかにしないまま
「当時は日本の構成員であったのだから
特別の犠牲にはあたらない」などどいう
戦争被害受認論を展開することの誤謬を厳しく追及した。
また、「仮に…」という言葉を重ねる国側の主張に対して
個別具体的に書証や事例を挙げて反論。
結審を渋る国側に対して
原告側が、当事者が高齢であることに注意を促し
裁判の引き延ばしに抗議する一幕もあり、この回結審した。
(両者の主張は、韓国・朝鮮人BC級戦犯を支える会編
『原告側・被告側最終準備書面 合本』に全文収録。)

1996年5月20日 判決言渡予定であったが延期
理由は定かではないが
予定日の三日前に裁判所から延期の通告があった。
他の戦後補償裁判の判決言渡の日程との兼ね合いから
裁判所がこの時期に判決を出すことを
きらったのではないか、との見方もある。

1996年9月9日 判決
東京地裁(民事第33部・長野益三裁判長)は、
原告請求のうち
第一次請求(損失補償請求・損害賠償請求)を棄却、
第二次請求(謝罪文公布請求・違法確認請求)を却下。
判決文の多くは「戦争被害受認論」で占められている。
さらに、裁判所は
国との契約関係は「権力関係たる公的関係」であるから
国が契約違反を犯しても「民法をはじめとする私法規定」は
適用されない、等々、被告国側でさえ主張しなかった
「新説」を用いて、原告の請求を退けている。
判決には、原告に対して日本人兵士や遺族と同等の
補償をおこなうことが望ましいとする一文も見られるが
これに続く文章で「立法裁量論」を展開、
司法の責任の範囲外とした。


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