Bintang Besar 号外
96/3『ビンタン・ブサール』号外より


私たちのAnerkennungとして…田口裕史


Bintang Besar 号外
私たちのAnerkennungとして

田口裕史(支える会メンバー)

 裁判が、結審した。
 この四年間の裁判を通じ、原告七名が全員法廷で自らの体験を証言し、それに関する証拠書類が毎回ごまんと裁判所に提出された。日本人の元戦犯者阿部宏さんも、内海愛子さんも証言をし、関連書類が出されている。国側がこちらの主張に反論してくれば、弁護団はその何倍もの反論を書き、山ほどの証拠書類を提出してきた。
 これまでに積み上げられた事実と論理の蓄積は、物理的に大変な量になるばかりではなく、たとえどこの誰であろうともこれを詳細に読めば、国に責任のあることが明白に理解されるに十分なものだ。原告と証人、弁護団の努力によって、この蓄積が、日本の裁判所の記録として残った。多くの研究者の皆さんの協力も、忘れてはならない。
 結審後の裁判報告集会で、原告李鶴来さんは、「やるべきことはすべてやった」と発言している。原告にとって、この裁判が、約四十年間の粘り強い政府交渉の果てに、いかに精魂込めて取り組まれた厳しい戦いだったかを、改めて感じさせる重い言葉だった。
 しかし、私たち支援の者にとっては、「やるべきこと」はまだ途上であり、また、判決を目前にした今これから、ふたたび“始まる”ものでもあるだろう。こうした膨大な、そして内容の濃い、事実と論理の蓄積を前にして、私たちがこれからすべきことを考えたい。次は、私たちの番だ。
 ベルリンに住む知人のKさん(日本人)が、先日私にFAXを送信してきた折、『朝日新聞 衛星版』で読んだ増子義久記者のルポ 「祖国よ−朝鮮人元BC級戦犯者の軌跡」(96年1月29日〜2月1日夕刊)について、〈胸に染みるものでした〉と書き添えてきてくれた。Kさんは、この記事を読んで、Anerkennenというドイツ語を想起したという。辞書によれば、「承認・認知する」「称賛する」という意味の言葉らしい。
 以前ベルリンでKさんが、「慰安婦」とされた女性たちに関する写真展を準備した際、それを手伝ってくれたドイツ人の展示デザイナーたちは、「“慰安婦”とされた女性たちに対する私たちのAnerkennungとして、展示場に赤い薔薇を絶やさないようにする」と語り、その時、Kさんは、この言葉の持つ本当の意味が、「相手に対する尊敬の意を込めて、その存在を正しく正当に認めること」なのだと思い至ったという。
 思えば、日本政府が韓国・朝鮮人戦犯者たちに対してなしてきたことは、まさに、これとは逆のことにほかならない。約四十年間続けられた補償請求を、政府は黙殺し続けた。自殺者までが出るに至っても、謝罪の言葉ひとつ発したことさえない。植民地支配に起因する彼らの被害と、それに関する自らの責任を認めようとはしない。要請書は提出され続け、政府は沈黙を続けた。この信じがたく恥ずべき“一方通行”は、国家の論理を優先させて、「小さな」一人ひとりの人間の存在と尊厳を踏みにじる行為だ。私は、この政府の思想と態度を、とても醜いものだと思う。
 一方で、先に死んでいった仲間の無念を晴らしたいとの気持ちから、諦めることなく、うんざりするような政府との交渉を続けた韓国・朝鮮人戦犯者たちの姿や、互いに助け合い励まし合いながら生活を続けた当事者とその家族・遺族たちの姿は、人間としての輝きを、静かに、そして強く、放っている。
 Kさんは、記事を通じて、こうした被告・原告両者の姿、そして私たちの運動を知り、Anerkennenという言葉を思い起こしたのだ。

 四年間の裁判は、原告たちに対し「尊敬の意を込めて、その存在を正しく正当に認める」に十分なはずの蓄積を、築き上げた。日本という国家に、原告たちへの責任があることは、明確すぎるほどに、立証された。
 こうした裁判での審理を経た上で、もし裁判所が原告の訴えを斥け、国の謝罪・補償義務を認めないとするならば、それは、日本の戦争と植民地支配の責任を全て否定するにさえ等しいことだと私は思う。こうした不当な判断が、もはや国際的な常識の中でまったく通用しないものであることは言うまでもない。
 ただし、この国の、これまでの幾多の先例を見れば、こうした当たり前の論理が当たり前に通用しなかったケースが多かったこともまた、残念ながら事実だろう。
 だから、私たち支援の者たちは、ただひたすら佇んで判決を待ち望んでいてはいけないのだと思う。たとえ小さな声であっても、それを形にして示してみせることが大事だ。
 昨年11月から、支える会は、裁判官と内閣総理大臣宛の手紙を個人個人の名で書き続けている。裁判官には、特に心を込めた手紙を、そして内閣総理大臣には、毎日必ず一通は手紙が届くようにというものだ。会員の方にもお願いをして手紙を出してもらい、できれば手紙のコピーを(コピーが駄目なら、何月何日に手紙を送ったという連絡を)支える会へ送付していただく呼びかけもしている。首相宛の手紙は、すでに100通を超えた。
 私たちは、裁判で築き上げられたこの蓄積が、日本政府の責任を明確に立証するものであることを、そして裁判所が勇気を持って正当な判断を下すよう国際社会が見つめていることを、一人ひとりの言葉で、裁判官に伝えたい。また、ここまで明らかにされた責任を正しく認め、謝罪と補償を実現するよう、日本政府に求め続けたい。
 運動の呼びかけとしては、小さなことだ。しかし、この小さな努力が、集まり、継続し、積み重ねられてゆくことで、必ず大きな力となることを私は信じる。

 ドイツの展示デザイナーたちは、展示会場に「赤い薔薇を絶やさないようにする」と言った。これにならって言うならば、私たちは、この裁判の原告たち、原告とはならなかった当事者たち、そして当事者の家族・遺族たちに対する、「尊敬の意を込めて、その存在を正しく正当に認める」私たちの意志の表明として、謝罪と補償が実現する日まで、首相あての手紙を一日も欠くことなく、決して絶やさないようにしたい。
 会員の皆さんにも、ぜひそれぞれの意志を、形にして届けていただきたいと思う。



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