Bintang Besar vol.22
97/5『ビンタン・ブサール』第22号より


李鶴来さんと私…柴田裕治
控訴審第一回 控訴人弁論…李鶴来


Bintang Besar vol.22

李鶴来さんと私

柴田裕治(支える会会員・労学舎)

 弁護団の平湯先生が、以前(1993.7)この機関紙で紹介して下さったことがありますが、原告の李鶴来さんと私とは「旧友」の関係にあります。
 今からもう40年以上も前のことになりますが、当時東京港区の三の輪にあった「中央労働学院」で私たちは知り合いました。その頃この学院には、社会変革の理論を学ぼうとする青年たちが文字通り全国から集まり、若い男女が深夜まで議論を闘わせて熱気を漲らせていました。そんな中へ、李さんが入ってきました。後で聞くと李さんは、巣鴨出所後に備えて、まだ見知らぬ日本での社会生活に慣れておくためにこの学校に入学することにしたようです。李さんが「BC級戦犯」として巣鴨で服役中の身の上である事情は、やがて皆も知るようになりました。しかし、当時の学院関係者の間では、私を含めて「李さんの問題」に対する関心は全く起こらぬまま、卒業と共に彼の名もいつしか忘れられていきました。
 無責任な軍部の指導のもと、全国民を巻き込んで行われた侵略戦争が敗戦に終わった後、その戦争の最高責任者である天皇が訴追を免れ、占領軍の手による「東京裁判」で一部の指導者が断罪されると、それで戦争責任問題は「決着」がつけられた形でした。アジアで2000万の人命を奪うために、300万の日本人の生命を犠牲にしたあの戦争の意味やその責任に明かにする作業は、今から考えれば当然戦後日本社会が真先に取り組むべき課題でしたが、当時殆ど全ての日本人の間にそうした視点はなかったと言えるでしょう。熱っぽく「社会変革」を語る者たちの間でも、話題は専ら「在るべき社会」に置かれ、たった今終わった戦争に関わる具体的な事実とその意味を捉え直すような地道な作業は取り組まれませんでした。
 私が彼の名を思い出したのは、それから30年近く経ち、李さんが取り組んでいる「遺骨送還要求運動」を新聞で知り、ほぼ同じ頃出版された内海さんの『朝鮮人BC級戦犯者の記録』を読んででした。私は、その時はじめて「事柄」の意味に気付き、かつて見近にいながら彼の問題に無関心であった自分をたいへん恥ずかしく思いました。
 その後李さんと再会し、30年も遅れましたが、ようやく「友人」らしいお付き合いをさせてもらうようになっています。そして、日本の国家の非人間性と不条理を糾弾する今回の裁判を通して、同じ志を持つ私にとって李さんはいま最も信頼できる友人となりました。李さんも「骨を埋める」ことを決意したというこの日本人社会に、人間に相応しい道義が打ち立てられるまで、彼と共に歩みたいと考えています。
(1997.3)


Bintang Besar vol.22
控訴審第一回 控訴人弁論

李鶴来(国家補償裁判原告)

 私は日本の戦犯とされ、同進会会長の文泰福さんと同様に一度は死刑宣告を受け、チャンギー刑務所のPホールで、絞首刑を覚悟しました。幸い減刑され、こうして生き延びることができました。
 仲間の皆の声を代表して申し述べます。仲間の多くは高齢で病気がちですが、私は70歳を越えたとはいえ、控訴人になっている仲間の中では一番若く、まだこうして支障なく発言できるからです。
 私たちは、この裁判を「条理裁判」と愛称しています。条理裁判というのは正義の実現をめざす裁判のことです。
 私たちは、私たちの条理裁判が一審でどうして負けてしまったのか、わけが分かりません。私たちに対する国家補償の問題は、政治の問題で、裁判所では決められないという判決のようですが、このような判決を私たちは全く納得することができません。
 何故なら、私たちはスガモプリズンを仮釈放されてから40年近くも、政治に解決を求めてきたのに、政治は私たちの問題を解決してくれなかったのです。昭和30年代に既に、私たちは、鳩山首相にも会いました。車椅子に乗っていた首相は、善処を約束してくれましたが、今日まで政治は少しも動かないのです。そこで、今まで裁判などしたことのない私たちは、青い鳥を探し求めるように、この条理裁判を起こしたのです。
 幸い若い人たちを中心とする支援会の人びとや、マスコミの人たちも、私たちの立場を理解し支援してくれ、私たちは地獄で仏に遭ったように、ほっとしました。
 私たちは判決の日の朝までこの条理裁判は勝つものと確信していました。
 ところが、40年間も期待していた政治は駄目なので裁判を起こしたのに、裁判官はこれは政治の問題だというのです。
 これでは、文字どおり、たらい廻しではないですか。私たちはこのような一審判決を高裁の裁判官が見直して下さることを期待しお願いする次第です。
 終わりに、一審判決には、あの戦争裁判の再審裁判をやらなければ問題は解決しないといっているように受け取れる部分がありますが、私たちはあのいまわしい戦争裁判の再審裁判のようなことをいまさらしようとは思っていません。
 日本軍がビンタ教育や、栄養失調と病気の白人捕虜に強制労働をさせ虐待するようなことさえなければ、また二年契約を守っていれば、私たちコリアンガードは日本の戦犯にならずにすんだのです。私たちが日本の戦犯になり有罪になったのは、日本政府の皇民化政策と捕虜政策が原因だと私たちはいっているのです。
 原判決にあるように、下村通達などによって無実が有罪になったなどということを、いった覚えはありません。この点もよくお調べ頂き、一審判決を取り消して下さることをお願いします。発言の機会をお与え下さり有難うございました。



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