Bintang Besar vol.21
96/12『ビンタン・ブサール』第21号より


責任論を形式論にすりかえた判決の非合理性
 
…岡田泰平

なお一視同仁を説く司法…高橋優子
不当判決を聞いて思うこと…小塩海平


Bintang Besar vol.21

責任論を形式論にすりかえた
判決の非合理性

岡田泰平(支える会メンバー)

 今度の裁判は原告側の全面敗訴に終わった。原告は被告日本国に戦争主体としての責任をもとめた。国は戦争における責任そのものの不在を主張し、裁判所はこの態度に同調した。我々はこの責任の不在がどのような根拠でなされたか見る必要がある。そうすることによって、国又は裁判官の思考をみることが出来るし、我々がどのような権力に対しているのかも知ることが出来るであろう。
 判決文において、責任の不在が最も明確にあらわされている部分は国家補償請求に関する箇所に見られる。この請求においての原告、被告の主張を整理してみたい。周知の通り、原告達(又は原告の父)は十五年戦争の後期において、日本軍軍属、俘虜監視員として働いた。そして戦後のBC級戦犯裁判において連合国元俘虜によって訴えられ有罪判決を受けた。原告の主張は日本国がこの有罪判決の起因にあるということである。日本の俘虜政策は、俘虜を労働力として活用することにあり、俘虜監視員の仕事は食料、薬剤の欠乏している環境で俘虜の日常生活の管理をすることにあった。さらに日本軍において最下層の軍属であった彼等には上官の命令を拒否することは実質的に無理であった。この日本国の俘虜政策のせいで、多くの連合国俘虜が死亡または肉体的、精神的に不具になった。そして戦後BC級裁判において俘虜監視員は死刑を含む有罪判決を受け、ある者は処刑され、ある者は長期の拘留に服した。日本の俘虜政策が問題の根本にあり、連合国の判決はその延長にあるのだから、日本国は原告のBC級裁判での有罪判決に責任がある。まとめると、原告達に俘虜を扱う上での実質的な自由はなく、彼等の属していた日本軍に俘虜の死又は損害について責任があったと主張している。これに対し被告日本国は元朝鮮・韓国人BC級戦犯が日本軍の一部であったことを強調し、原告の損失は「国民が等しく受忍しなければならない戦争犠牲」(P17-18)と述べ、さらにBC級裁判は「日本国の主権下」でなされたわけではないので日本国と原告の損害の間には「因果関係」(P19)が存在しないと主張した。裁判官はこれらの主張に対し、次のような判決を下した。原告はたとえ皇民化政策、植民地支配の影響であれ、日本国民であったことは事実である。そして結論では被告と同じように「国民が等しく受忍しなければならない戦争犠牲」としている。この結論では軍人、軍属、一般市民、又本土出身、植民地出身の区別なく、どのような戦争被害にしろ耐え忍ばなければならない。戦争中の犯罪についてはなおさら
である。戦勝国の法廷で最下層の者が有罪とされても受忍しなければならず、犯罪の真の責任者は、罪を問われさえしないのだ。この言説において、責任という概念自体が存在しない。問わなければ、責任なぞ存在のしようがないのだ。さらに戦争又は犯罪に責任者がいるということを考慮すれば、この言説は非論理的でさえある。
 ここで考えてみたいのは裁判官が両主張を重要かつ慎重に扱ったかという点である。どちらの主張が正当であるかに関わらず、裁判の公平性を尊重する意味で、両主張を真剣に受け止めるのが裁判官の職業倫理である。原告側は日本軍最下層にいた朝鮮・韓国人BC級戦犯が、俘虜を扱う上での実質的な自由がなかったという主張をした。もし裁判官にこの主張を真剣に受け止める意志があるならば、二つの選択肢しかない。一つは主張の正当性を否定すること、もうひとつは、原告側の主張がこの裁判に対し不整合であることを証明しなければならない。今度の敗訴判決において具体的に言うと、俘虜監視員に実際俘虜を死又は損害から救うという実質的な自由があったかと言う問いに答え、その自由の存在を明らかにするか、自由・責任などという概念自体がこの裁判の主旨と無関係であることを証明しなければならない。裁判官は「戦争犯罪の責任はだれが負うか…は困難な問題はさておき…」(P86)と述べ原告の主張をあいまいなかたちで答えている。そして、ここで責任には言及しないことを確認しておきながら、朝鮮・韓国人BC級戦犯の有罪判決の起因においては、「戦犯の個人責任を問われ処罰されたことよる」(P87)と述べている。この説明では主張の正当性も否定していないし、不整合性を証明してもいない。彼自身の言葉を借りるなら、戦争犯罪の責任問題は保留にしておきながら、個人責任を問われたことを根拠に受忍論を結論づけている。言いかえるならば被告日本国と同じ様に、本質的な提議である責任問題を連合国によるBC級裁判の形式によって否定しているのだ。裁判官は原告の提議を無視しているとしか言いようがない。
 今度の裁判では、議論の本質よりもその形式の段階において不公平である。裁判官は原告・被告の主張のどちらが正しく、どちらが今回の裁判の主旨に整合しているかを問わず、被告日本国の形式的な視点に同調し今度の敗訴判決を出しているのである。裁判官にとって重要なことは主張ではなくその主張の形式なのであり、その形式においては裁判官と被告は同じである。この点で裁判は公平性に欠き、司法の独立性に反するものである。
 われわれは司法と国家によるこのような形式的かつ無責任な視点をくつがえしていかなければならない。


Bintang Besar vol.21
なお一視同仁を説く司法

高橋優子(支える会メンバー)

 九月九日、豪雨の中、くろぐろと墨で書かれた「不当判決」の垂れ幕が、東京地裁正面に掲げられた。これが、答えである。三十五年間に及ぶ対政府交渉のはてに、条理の裁定を司法に託した韓国・朝鮮人BC級戦犯者らに対する、これが答えである。
 判決の骨子は、いわゆる「戦争犠牲受忍論」。手許にある判決文から引き写せば、〈戦犯者原告らが被った右生命・身体に関する損失は〉、〈国家存亡にかかわる非常事態において発生した〉〈日本国民が等しく受忍すべき戦争犠牲ないし戦争損害と同視すべきもの〉とする論理である。率直に言えば、決して「意外」な結果ではない。これが、一九六八年の最高裁における判例を踏襲したものであることは明らかだ。しかし、植民地支配・侵略戦争の責任の所在を、まさに根源から問うてきた原告らに、なおも「一視同仁」を説き続ける判決の、この奇怪さ、この理不尽。日本の司法における歴史認識は、この三十年余りの間いささかの成熟も深化も遂げてこなかった――そのことを、かくもあからさまに突きつけられて、私はやはり当惑し、愕然としてしまう。
 裁判所は、事実認定に関しては原告側の主張をほぼ全面的に受け入れながら、歴史認識の領域に踏みこむことを、ことごとく拒んだ。のみならず、被告=日本政府でさえ主張しなかった種々の言説を用いて、「受忍論」の破綻を覆いさえする。いわく、〈軍属の勤務関係の法的性質は…権力関係たる公的関係と解すべきである〉から、国家が契約違反を犯しても〈民法をはじめとする私法規定は…適用がない〉。あるいは、〈戦犯者原告らが起訴された事実につき無実であるのに、日本国の行為によって有罪判決を受けさせられ、その執行を受けさせられたことを認めるに足る的確な根拠は存在せず、その立証はない〉。このくだりを読むたびに、私は、体中の血がゴボッと泡だち逆流するような憤りを覚える。日本政府・日本軍が立案・実行した苛酷な俘虜政策の責任を、軍隊の最末端で問われた韓国・朝鮮人BC級戦犯者に、裁判所はこう宣告したのだ、お前ら本当は悪いことをしたんだろう、潔白なら証拠を出せ、と。
 足かけ五年におよぶ裁判の過程で、七人の原告が語った言葉を、いま一度想起したい。原告の「請求」は、彼ら自身の潔白を根拠にしているのではなかった。証言は、植民地支配の「被害者」である彼らを、否応なしに「加害者」の最底辺に組み込んでゆく宗主国日本の欺瞞を、暴露する。彼らは、だが同時に、独立を勝ち得た同胞に対する負い目を、心身に傷を負った俘虜への罪責感を、あるいは「加害者」にさせられてしまった自己への悔悟を、法廷で絞り出すように語った。まさに、彼らが心の奥に掻き抱くこれらの傷ゆえに、証言はすぐれて倫理的な問いを提起する。真に責任を担うべき者の不在へのラディカルな告発は、その重みと深い輝きとをいっそう際だたせ、私たちの胸を抉るのである。
 だが、今回の判決によって、日本の司法は、彼らの問いに応じる責任を回避したのみならず、彼らの癒えぬ傷口に、再び毒を塗り込んだ。「上官の命令に従わざるを得なかった」ために戦犯にされた朝鮮人青年たちが、獄中で絶望や死と向き合いながらつかみ取った思想とくらべ、それらは何と貧しく、弱く、そして破廉恥であることか。「最高裁判例」という「上官」の命令に従い、立法府への責任転嫁に終始したこの判決によって、司法は自らの有罪を宣告してしまったのだ。
 判決から一週間の後、原告たちは控訴を決めた。健康状態、経済的理由、司法への幻滅、…どれひとつ、心安まる要因がない中での、悲壮な決断だった。四十年も闘い続けてきた彼らに、この期に及んで「ガンバレ」なんて、言えない。もうこれ以上彼らが頑張らなくても済むように、心ある読者の方々に、いっそうのご支援をお願いして、この判決報告を終わる。


Bintang Besar vol.21
不当判決を聞いて思うこと

小塩海平(支える会メンバー)

 判決を聞き,その後の集会に出てから家に帰ると,激しい怒りというよりは,どうしようもないやりきれなさを感じざるを得なかった.これまで原告や弁護団,支える会のみんなが一生懸命やってきたことは一体何だったのか,茶番ではないかという思いがこみ上げてくる.李鶴来さんがおっしゃったように,敗訴ではあっても,得るところは多かったというふうにいえなくもないが,私としては,冷静に物事を判断し,自らを励ましたり,これからのことを考えたりするというよりは,むしろむなしい思いに襲われたというのが正直なところである.判決の日は,私にとって,日本という国の現実と自分の無力さをあらためて思い知らされた辛い一日であった.原告のみなさんにとってはなおさらであろう.
 判決は強弁あるいは詭弁であるといえると思う.野崎昭弘氏は著書「詭弁論理学」において,強弁と詭弁を幾つかの型に分類している.例えば,相殺法というのがあげられている.『相殺法というのは,相手のいうことに「うん,それはそうだ」と賛成してみせながら,「しかし,こういうこともある」と重箱の隅をつつくようなことを言い出して,相手の言い分を帳消しにしてしまおう,という作戦である.例えば,政策攻撃から首相の個人攻撃に移った野党の追及の仮借のなさに,母性本能を刺激された(?)某女流作家が,次のような趣旨の発言をしたことがある.「あの人を極悪人のようにいうのはどうかと思います.何かよいところもあるはずで,例えば,毎朝歯を磨くかもしれない」―(中略)―「誤った政治の姿勢」(もしあれば)と歯磨きの習慣(その他,何でもよいが個人の長所)と相殺されてはかなわない…」』.今回の判決でも,争点がすりかえられ,原告たちが日本国から受けた被害や名誉毀損が,「原告らが…俘虜に対し暴行を加えたこと自体を自認している」ようなことと相殺されているのではないだろうか.
 また,公平の原則という型があげられている.判決文中の「原告らが日本軍属たる俘虜監視員として勤務し,戦後戦争裁判を有罪とされ処罰されたことにより被った生命・身体に関する損失は,日本国民が等しく受忍すべき戦争犠牲ないし戦争損害と同視すべきものである」という文言は,この型の応用ではないかと考えられる.原告たちの受けた生命・身体に関する損失が,他の不特定多数が同じように受けたとされる犠牲や損害と相殺されてしまっている.一見公平を謳っているようにみえても,実は議論をはぐらかすだけの詭弁の術になっているのである.
 強弁や詭弁に反論するのは容易いことである.「日本国民が等しく受忍すべき戦争犠牲」という文言一つとっても,戦争犠牲は本当に受認すべきなのかということや,天皇や七三一部隊が責任を問われないのに,それでも等しい受認といえるかどうかということもいえるだろう.しかし,問題は,強弁や詭弁は反論しても仕方がない,あるいはそもそも反論を受け付けないものこそ強弁あるいは詭弁であるということである.強弁や詭弁を押しつけてくるのは,泣く子や地頭であって,論理的な弁論が通じる相手ではない.尹東鉉さんが,相手が日本政府ではどうしようもないといわれたのもそのことではないだろうか.
 野崎氏は,強弁の原因について,次の5つをあげている.
1)自分の意見がまちがっているかもしれないなどと,考えたことがない.
2)他人の気持ちがわからない.
3)他人への迷惑と考えない.
4)世間の常識など眼中にない.
5)自分が前にいったことさえ忘れてしまう.
 さらに,これらの強弁に対処する方法としては,健全な常識,健全な判断力を養うことが大切だと述べ,以下の例を引いている.『いかに力強い言葉で説得されようと,「だから,官憲も婦女子も,無差別に殺せ」というのが結論であれば,断然はねつけるだけの理性は残されなければならない.「あなたの考えにはついていけません」,反論はこれだけで充分である』.
 このことを私たちの裁判に当てはめてみると,健全な常識,健全な判断力は「条理」という言葉に集約されており,はじめから相手の強弁・詭弁と真正面から対決していたわけである.被告である国,あるいは裁判所にしても,言葉ではどうにでも言えるのであろうが,しかし条理に照らして考えた場合はどうだろうかということを争っていたのだといえるだろう.今回の不当判決を受けて,強弁・詭弁をふりまわす国や裁判所と再び控訴審を闘う場合,私はこれまでの運動に加えて,以下の2つのことが重要ではないかと考えている.
 1つは,国や裁判所は勿論であるが,私たち自身も含めた多くの日本人に,条理に照らして物事を判断する常識を身につけるよう訴えることである.今回の判決をみるまでもなく,そもそも歴史(とくに侵略戦争の歴史)というもの自体が権力者の強弁・詭弁の押しつけの歴史である.原告たちは,日本という国の強弁にふりまわされて,日本人にさせられ,名前を変えさせられ,戦争に駆り出され,無理な命令に従わされ,戦争責任を押しつけられ,獄中での苦難と出所後の生活苦を強いられ,さらにまた今回,不当な判決を聞かされたわけである.条理に照らして考え,判断することは,日本人に課せられた歴史的な責任であると私は思う.条理に照らして判断させる以外に裁判に勝つ道はないということも確かにあるが,私たち自身,条理のもとに生きるのでなければ,再び強弁に屈従し,あるいは自ら強弁をふりまわすものになってしまう可能性がある.強弁や詭弁を見破り,「私はあなたの考えにはついていけません」とはっきりいいきることができるよう,私たち自身が訓練することも必要だろう.
 2つ目は,強弁や詭弁に負けることは,決して恥ずべきことではないということを確認することである.野崎氏がいうように,言い負かしの術には強くならなくても,強弁・詭弁の正体を見破り,議論を楽しむくらいのゆとりを持つことが大切であろう.『強弁にふりまわされる立場におかれたときには,忍の一字で耐えるより,相手の術のパターンを観察しながら,応対した方が,精神衛生上はるかに有益』とのことである.私たちも控訴審を闘う場合,卑屈になったり,焦ったりするのではなく,むしろある程度の余裕を持って闘うことができたらと思う.原告,弁護団,支える会の共同戦線をさらに強化しつつ,和気藹々とした人間的な交流を通して,日本の国に条理を押し進めていくような控訴審を闘いたいと願っている.



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