中越沖地震と原子力発電所

2007年8月

地震による敷地の陥没は最大1.6メートルにも達し、絶縁油の火災を引き起こしただけでなく、その火災を止める消火設備も破壊され、また、原子炉からの排煙設備も破損させた。(7月21日午後)

原発震災

「地震と火災が同時に起こると思っていませんでした。」地震から5日目、7月21日に初めて柏崎刈羽原発が報道陣に公開されて際に、東京電力の広報官がもらした言葉である。 今回、中越沖地震の発生と同時に原子炉建屋の外に設置されたラジエター脇からの出火した火災と、それがいつまでも燃え続けた現実を、私たちはテレビのライブ映像で見せ付けられ、「原発震災」の恐怖を実感させられた。その私たちは、地震国日本に住むものとして、小学生のときから「地震がきたら、まず火の始末」と耳にタコがだできるほどに聞かされ、また防災訓練でも繰り返し「地震と火災」をセットで実施されてきた。ところが、この市民の常識が原発にはなかった。 東京電力は、その後も「想定外」の事態だったと繰り返す一方、被害箇所は当初発表された60ヶ所から日に日に拡大されて、3週間後には1400ヶ所にまで訂正が繰り返された。壊れた原発に3回入って思う。大きく地面が波打ち、アスファルトの路面に至るとところで亀裂が走り、電信柱が傾き、いくつもの建物の周囲が陥没している現実。これは東京電力と、それを認可した国の「想定外」の現実ではなく、その「想定そのものが間違っていたのではないのか」と。

液状化で敷地が沈んだところを示す東京電力社員(7月21日)

東京電力はホームページで「設置予定地のボーリング調査・周辺の地質調査・過去の文献調査などと行い、直下に地震の原因となる活断層がないことを確認しています」と広報してきた。しかし、7月19日、20日と柏崎市、刈羽村を歩き回って実地調査した東洋大学教授の活断層の専門家である渡辺満久氏は、同行取材した私に「東京電力は30キロもある断層を7~8キロと、バラバラにして短くすることで、地震の規模を小さく見せかけていたのです」と言う。さらに、それを見抜けなかった国の責任は重いと渡辺博士は指摘する。確かに、同ホームページで「現在、わが国の原子力発電所は考えられるどのような地震が起きたときでも、設備が壊れて放射性物質が周辺環境に放出される事態に至ることのないよう、土木、建築、機械、地質、地震学など、幅広い分野の技術をもとに、厳重な耐震設計が行われています。」と言ってきた原発が、電子炉建屋内でも壊れたのだから、東京電力は反論のしようもないだろう。 そして、その結果は深刻だ。活断層の存在を指摘し、原発震災の危険性を30年前から指摘した原発反対刈羽村を守る会の武本和幸さんは「私たちがずっと言ってきたとおりのことが起こった」と、地震で壊れた自宅の車庫の前で、複雑な表情を見せた。「予想したことが現実のものとなったからといって、喜べない」と。現実とは、武本さんたちが心配した放射能漏れだったからだ。 その「漏れるはずのない」放射線管理区域の使用済み核燃料貯蔵プールの水が漏れ出た6号機の非管理区域の地下室に入った。「科学の最先端の技術」に不釣合いな、薄いピンクのビニールシートが養生テープで貼り付けられただけの応急措置。「もう漏れることはないはずですが、もし仮にまた、もしものことあった場合に備えて」(東京電力)いた。原因すら、まだわかっていなかったからだ。放射能汚染された水がたまった床は、確かに、もう乾いてはいた。しかし、それは東京電力社員によってではなく、下請け、孫請けの労働者たちが、手にもった雑巾でふき取ったのだろう。被曝しながら・・・。そして、海に流れ出てしまった放射能は、もう回収の使用もない。 しかも、この時点は、東京電力は、「漏れた水は使用済み燃料貯蔵プールの水」と言っていたが、数日後には、視察した国会議員に指摘され、定期点検中だった1号機では、蓋の開いていた原子炉の水そのものも漏れていたことを認めざるをえなくなった。

1メートル50センチほど沈んでしまった原子炉建屋の脇(7月21日)

8月に入って、原発推進を前提とした政府の調査対策委員会(委員長=班目(まだらめ)春樹・東京大教授)は「自衛消防隊は機能しなかった」と問題点を指摘した。しかし、この表現は誤解も招かないだろうか。私が見たのは、「消防隊」が機能しなかったのではなく、消防隊が消火しようとして繋いだホースから水が出なかった。つまり消防設備が地震で破壊されてしまっていたのである。さらに、消防署に電話しとしたら、直通電話のある原発本館が破壊され、防災本部すらも使用できなかったのである。それでも、8月10日に政府の原子力安全委員会(鈴木篤之委員長)は、2006年版の原子力安全白書で「重要な安全機能は維持された」と閣議に報告した。この時点では、まだ緊急停止した原子炉の蓋さえ開けられていないにもかかわらずだ。  まだまだ、本当は何もわからないのではないか。「目視」と表現される目で見た範囲の壊れ具合すらも、日に日に新たな発見が続いているのだ。まして、原子炉のように目で見ることすら出来ないところでは何が起こっているのか解ろうはずもない。もしかしたら、日本の原発の終わりの始まりかもしれないし、また巨大な「原発震災」事故の始まりの予兆かもしれない。

壊れた消火設備(7月21日)