「飢餓報道」下の北朝鮮

『週刊金曜日』1997年に掲載

二年続きの水害に加えて今年は大旱ばつに見舞われているとの断片的な情報が伝えら れていた北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)。その食糧事情の視察と援助物資の配給に 立ち合うため現地を訪れた日本のNGOに同行した。短期間の滞在であるが、国連機関 や赤十字、他のNGOの話とも総合すると、私の見た北朝鮮の状況が全土に広がってい るものと推定される。

六月からの猛暑は八月中旬も続いていた。大陸性気候で乾燥しているためか日陰に入 れば涼しい,とはいえ連日三〇度を超える直射日光は肌を焼く程だ。前々日に二ヵ月ぶ りに降った雨は、時期外れでトウモロコシの生育には間に合わなかった。だからか人海 戦術で灌漑するという「日照り戦闘」を直接見ることはなかった。見渡す限りのトウモ ロコシの青々と茂った一面の広がりからは旱ばつが嘘のようだ。しかし近寄ってよく見 ると確かに背丈も低く、結局実を結ばず葉だけ茂らせて終わってしまうしかないようだ 。このつけは来年に回される。北朝鮮ではトウモロコシは主食の一部であり、乾燥保存 し翌年の食糧となるからだ。ちなみに農家で出してくれた茹でたトウモロコシを食べて みた。日本のピーターコーンを食べ慣れた口には硬い粒は甘味もなく美味しいとは言え なかった。一方、水田の方は成長がまばらとはいえ、なんとか収穫が期待できるのでは ないかとの見通しもある。だが、もともと米だけでは不十分な自給体制だ。今年のトウ モロコシの壊滅的な打撃は来年の食糧不足をすでに予想させる。

深刻な食糧事情
 東海(日本海)に面する江原道の通川郡の食糧配給所を見学した。北朝鮮では今回の 食糧問題が発生する以前から食糧は配給制で、海外からの援助もこの配給システムを使 う。だが配給所の倉庫には砕いたトウモロコシが入った数袋を残るだけだった。「6月 7日にトウモロコシが一人当たり四五〇グラム。7月9日には小麦が一人当たり二日分 五〇〇グラム入って以来、配給はない」と女性の所長は記録を確かめながら言う。配給 を節約してトウモロコシ粉に野草を入れて粥に炊いたり、小麦粉はチジミと呼ばれる朝 鮮風お好焼きにしたりすると言う。「あとは自留地でとれたトウモロコシや野菜を食べ ている」と。自留地とは自由に自家用作物を栽培できる土地のこと。だが一世帯わずか 三〇坪である。それでも足りないだろう、農村では垣根や道端にまでトウモロコシを栽 培していた。
 農民以外の労働者には水害で流された堤防や道路などの復旧作業に参加した場合に、 その報奨として特別配給があるという。つまり「日照り闘争」などの援農の”資金”と して配給用食糧の一部は使われたという。「三九年の抗日行軍」を、今全人民が団結し て闘っているというが、一般労働者には食糧の確保の意味もあるということだ。同郡の 行政経済委員会によると郡の人口約五万三千世帯の内三万世帯は農民で、協同農場の収 穫から食糧をまかなう。郡内7つの配給所では一般労働者二万三千世帯に食糧を配って いる。五月の田植えの時期以来コメの配給は切れたままだという。今年の作柄について も半島東側での旱ばつの被害が大きく「リンピョンでは一〇〇ヘクタールが全滅した」 と言う。「二万七千トンで郡の食糧配給量をまかなえるが、今年の収穫は一万四千トン しか予想出来ない。」と言うのだ。すでに来年の食糧不足も予想されるということだ。

栄養失調の子供たち
 いくつかの幼稚園や託児所を回って、血色のいい、元気そうな子供たちに囲まれたが 、栄養失調に冒された子供たちは家族の元か、入院先の病院にいたのだ。たとえば通川 の幼稚園では五〜七歳児を四五〇名預かっているが、一八〇名もの子供が欠席し、内五 〇名は入院しているという。昨年11月よりこうした状況が発生し始めたという。やは り南部の黄海北道のウンパー郡の病院を訪ねとき「ウンパー郡では19200名の五歳 以下の子どもの内、5760名が栄養失調です。その内の約四割り2304名は(加療 の必要な)三度で、診療所に通ったり病院に入院したりしています。」とウンパー在病 院の技術副部長は数字を示した。下痢が続いたり、肺炎などの合併症を併発して死亡す るため、栄養失調を原因とする死亡統計はないが食糧難が原因であるとはっきりしてい る。小児病室では体重が半分もなく足の骨は浮き出しお腹は張ってしまって、こけた頬 や額にとまった蝿にすら反応せず瞳もうつろな子供に出会った。病院ではユニセフ等の 国際機関の援助のミルクの補助給食を与えたりして治療しているという。

エネルギー事情
 食糧不足に加えてエネルギー問題も深刻だ。「共和国の顔」の平壌でさえ街灯は消さ れていた。また交通量も驚くほど少ない。燃料がないのだという。西岸の港町南浦市に 援助米を持ち込んだNGOのカリタスジャパンは東岸の通川郡に配給する予定だったが 急遽変更せざるを得なかった。援助の受け入れ組織の水害対策委員会は運搬にトラック 三台を用意した。ところが運搬の前日になってガソリンがないことが判明したのである 。こんな状態だから路面電車やトローリーバスの走る平壌を一歩出れば、高速道路の上 を人々は大きなリュックを背負ってひたすら歩くしかない。援農だろうか子供たちが列 を組んでポリ洗面器やバケツを抱えて歩く姿も見かけた。また軍のトラックにも復旧作 業に参加する市民が兵隊と同数ほど乗っていた。しかも、積載オーバーが恒常化してい るためか見かけたトラックの半数はエンジントラブルかパンクで路肩に止まっていた。 修理を待つ間「乗客」は荷台の下に焼け付く日差しを避けて横になったりして黙々と待 っていた。

人道援助の現状
 すでに95年10月から緊急食糧援助を実施しているWFP(世界食糧計画)を始め FAO(食糧農業機関)は国際社会に対して北朝鮮に対する120万トンの食糧援助を 呼び掛けている。ユニセフや国際赤十字も本格的に動きだしている。その結果は前述の 幼稚園や託児所、病院に一定の成果を見ることが出来た。
 韓国は互いの赤十字社を通じる形にはなっているが一次支援に続いて二次支援も同規 模の5万トンを韓国政府は9月末までに援助するこれは7月16日に軍事境界線におい て機関銃や迫撃砲まで使用しての交戦があった1週間後の南北赤十字協議においてであ る。アメリカ政府も「人道援助を政治問題は切り離す」として、10万トンの食糧援助 を決定している。中国は6月1日までにすでに7万トンを、そして7月8日、8万トン の無償食糧支援を追加した。ベトナムもさる8月1万トンの無償援助に踏み切った。民 間援助のは情報が広がるにつれて一挙に拡大している。前述の配給所でカナダのNGO の食糧袋を見たし、幼稚園には朝鮮総連婦人部が贈った補助食のダンボールが積まれて いた。また筆者が同道したカリタスジャパンは今回第六次食糧支援として三百トンのコ メを送り届けた。
 初め「何を贈ってくれるかとか、量がどれくらいということよりも、気持ちが大切で す」言っていた朝日友好親善協会の李さんも、打ち解けてくると「何とかもう少し援助 を増やしてもらえないだろうか」とポツリと漏らした。「誇り高い民族です」という氏 の、その沈鬱な表情は食糧危機の深刻さを物語っていた。

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