ドーハの悲劇と現在の悲劇

あの「ドーハの悲劇」の対戦相手であったイラクのサッカーチームはシドニーオリンピック予選でも第一次予選を通過できなかった。かつてアジアのサッカーをリードしたイラクに何が起こったのか。現地に見たものはアメリカ軍が使用した劣化ウラン弾による白血病の子どもたちの治療もままならない経済制裁の一つの現実であった。

1999/4
イラク・カップ戦の決勝大会がサダム・フセイン大統領の誕生日記念週間に開かれた
1999/4
湾岸戦争でアメリカ軍は民間人が避難したアムリエシェルターを「ピンポイント爆撃」した。住民虐殺の典型例だ
1999/4
93年、ワールドカップアメリカ大会予選での「ドーハの悲劇」を演出したアーメドラディ選手率いる「ザウラ」チームの練習
1999/4
アメリカにおいて湾岸戦争に出撃した兵士とその子どもに発症した「湾岸戦争症候群」はイラクの子どもたちにも多発していた
1999/4
白血病など「湾岸戦争症候群」に対する治療もままならない薬不足が「経済制裁」の名の下に強いられていた
1999/4
イラクナショナルチームのバクダット市選抜とヨルダンナショナルチームの試合はイラクの勝利に終わったが…