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■世界ミステリ史概説■

7.スパイ小説の時代(1960-1969)


 1950年代が警察小説と犯罪小説(心理サスペンス)の時代だったとすれば、1960年代はスパイ小説(エスピオナージュ Espionage)の時代といえる。『カジノ・ロワイヤル』(1953)に初登場したイァン・フレミングの007号ジェイムズ・ボンドは、バカンリチャード・ハネーサッパーブルドック・ドラモンドのような愛国者の快男児の現代版といえる。しかしハネーやドラモンドが主として個人的動機から事件にかかわるのに対して、ボンドはあくまでも秘密情報部員、すなわち職業スパイである。こうした職業スパイ(エージェント・ヒーロー)を主人公にした物語は、アリステア・マクイーン『恐怖の関門』(1961)など冒険小説とも密接な関係をもちつつ、この時期に大きく花ひらいた。

 伝統的にこのジャンルはイギリスが先導するかたちとなる。ウィリアム・ハガードの英国特別保安部長チャールズ・ラッセル大佐Slow Barner (1958) で登場し、体力ではなく知力で国際情勢の危機を乗り切る。ジョン・ガードナー『リキデイター』(1964)で創造したボイジー・オークスは、外見に似合わず、ボンドのパロディ的な臆病で好色な男である。トレヴァー・ダドリー=スミスはアダム・ホール名義でMWA長篇賞を受賞した『不死鳥を倒せ』(1965)を発表、あらゆる仮説から最も論理的にすぐれた方法で危機を脱出する秘密情報部員クィラーの活躍を描く。これらの諸作はフレミングのように異国情緒たっぷりのロマンティックな設定が多かったが、それとは対照的にアンブラーの流れをくむリアリスティックなスパイ小説も現れた。『死者にかかってきた電話』(1962)で登場したジョン・ル・カレは、ベルリンの壁をめぐる『寒い国から帰ってきたスパイ』(1963)でスパイを利用する冷酷な国家権力を描いた。レン・デイトンは処女作『イプクレス・ファイル』(1962)や『ベルリンの葬送』(1964)などで、ハードボイルド的な簡潔な文体でスパイ活動を描き、「スパイ小説の詩人」と呼ばれた。

 1940年代に登場したハモンド・イネス、1950年代から活躍するマクリーンに続いて、冒険小説にも多くの有力な新人が現れた。『ちがった空』(1961)で登場したギャビン・ライアル、『もっとも危険なゲーム』(1963)や『深夜プラス1』(1965)で男たちの戦いを描き、『本命』(1962)でデビューしたディック・フランシスは、『興奮』(1965)など競馬界を舞台に、自らの弱さを克服する男を描いた。デズモンド・バグリイは処女作『ゴールデン・キール』(1963)以降、大自然を背景にした冒険譚を書き続け、『モルダウの黒い流れ』(1960)で登場したライオネル・デヴィッドソンはのちに犯罪スリラーも書く多彩な才能を見せる。

 こうしたイギリス伝統の冒険小説・スパイ小説の多くは、例えばル・カレの『寒い国から帰ってきたスパイ』、マクリーンやフランシスの諸作に顕著なように、フーダニット(誰が二重スパイか)やハウダニット(どうやって危機を乗り切るか)、ホワイダニット(行動の目的はなにか)の興味が濃厚であり、どんでん返しや意外な犯人など伝統的探偵小説が培ってきた技法を充分に取り入れている。さらに70年代になると、クレイグ・トーマスマイケル・バー=ゾウハーらの複雑なプロットとスピーディな展開をもつ国際陰謀小説へと発展する。

 アメリカでは、エドワード・S・アーロンズ『秘密指令―破壊』(1955)でCIAエージェント、サム・デュレルを創造。続いてリチャード・ジェサップがリチャード・テルフェア名義で『メダリオン作戦』(1959)などのモンティ・ナッシュ・シリーズをはじめ、ドナルド・ハミルトン『誘拐部隊』(1960)よりマット・ヘルム・シリーズを開始する。これらはすべてペイパーバック・オリジナルで刊行され、イギリスと違い、より軽い読物として発展していく。これはジェームズ・ボンドが映画化されるとさらに拍車がかかり、『アンクルから来た男』(1965)などのナポレオン・ソロ・シリーズや、伝統的ヒーローをスパイとして甦らせたニック・カーターキル・マスター・シリーズ(1966〜)などがはじまった。この二つのシリーズは複数の作家をつかってシリーズを出し続けるアメリカのお家芸でもあり、1970年代のペイパーバック・スーパー・ヒーローものへと受け継がれていく。また、スパイ小説のブームから私立探偵の一部は国際的な事件も扱うようになり、ミッキー・スピレーン『銃弾の日』(1964)でタイガー・マンを創造し、アクション・スパイものに挑戦した。これらのお気楽スパイだけでなく、ノエル・ベーン『クレムリンの密書』(1966)や『シャドウボクサー』(1969)、ロス・トーマス『冷戦交換ゲーム』(1966)などシリアスな作品も発表されているが、おおむねアメリカのスパイ小説はアクション要素が強く、騙し合い的な頭脳戦となることは少ない。

 フランスもアメリカと同様に、娯楽的なスパイものが多く書かれた。『蝿を殺せ』(1957)ではじまるジャン・ブリュースOSS117号シリーズやシャルル・エクスブライヤ『素晴らしき愚か娘』(1962)などがあり、極めつけは1965年にはじまったジェラール・ド・ヴィリエプリンス・マルコ・シリーズで、貴族スパイを主人公に美女とのお色気シーンを盛り込んで、世界中を股にかける活躍を続けている。

 日本でもこの時期、多くのスパイ小説が書かれたが、フレミング的ファンタスティックな冒険ものは都筑道夫『暗殺教程』(1967)ぐらいで、シリアスな内容のものが多かった。『密書』(1961)で国際政治の渦中に巻き込まれた商社員を描いた中薗英助は、『密航定期便』(1963)で南北朝鮮と日本との緊張関係を背景にした国際スパイ小説をものし、結城昌治『ゴメスの名はゴメス』(1962)でベトナムを舞台に情報戦に翻弄される人々を描いた。三好徹は動乱のキューバを舞台にした『風は故郷に向かう』(1963)やインドネシアの軍事クーデターを背景にした『風塵地帯』(1966)などで、スパイ戦に巻き込まれる一般人の恐怖をテーマとした。このほかにも、海渡英祐『極東特派員』(1961)や西村京太郎『D諜報機関』(1966)などが発表されている。

 スパイ小説隆盛の中で、アメリカのハードボイルドやフランスのロマン・ノワールは低迷した。ロス・マクドナルドは1960年代に作家的成長を見せ、『ウィチャリー家の女』(1961)や『さむけ』(1964)などの代表作をこの時期に発表したが、有力な新人は現れなかった。ハメット型のハードボイルド『やとわれた男』(1960)で登場したドナルド・E・ウェストレイクは、『弱虫チャーリー、逃亡中』(1965)からコミカルなものへと作風を替えた。ハードボイルド文体はリチャード・スターク名義の『悪党パーカー/人狩り』(1962)に受け継がれた。デニス・リンズマイクル・コリンズ名義の『恐怖の掟』(1967)で片腕の私立探偵ダン・フォーチュンを登場させ、社会問題を個人的苦悩と関連付けた1970年代の私立探偵小説の先駆けとなる。この三人とも謎解き小説の骨格を常に意識している点も見のがせない。一方、日本ではハードボイルドが戦後アメリカ文化の輸入から始まったため、1960年代に成熟を見せる。推理作家協会賞を受賞した河野典生『殺意という名の家畜』(1963)、ロス・マクドナルドに触発された結城昌治『暗い落日』(1965)などの名作が発表され、チャンドラーに私淑する生島治郎『傷痕の街』(1964)でデビュー、『追いつめる』(1967)で直木賞を受賞した。

 警察小説はマクベイン87分署シリーズで相変わらずの活躍をするほか、クランシー警部補シリーズの『ブリット』(1963)でロバート・L・パイク(フィッシュの別名)が、黒人刑事バージル・ティッブス・シリーズの『夜の熱気の中で』(1965)でジョン・ボールが登場、またドロシイ・ユーナック『おとり』(1968)で婦人警官クリスティ・オパラを創造した。イギリスではニコラス・フリーリングがアムステルダム警察のファン・デル・ファルク警部を主人公に『アムステルダムの恋』(1962)でデビュー、同シリーズの『雨の国の王者』(1966)でMWA最優秀長篇賞を受賞する。スウェーデンのマイ・シューヴァルとペール・ヴァールー夫妻は、『ロゼアンナ』(1965)からマルティン・ベック警部シリーズを書きはじめ、『笑う警官』(1968)でMWA最優秀長篇賞を獲得した。これらの例の多くは、謎解きだけでなく社会問題を積極的に扱っている。日本の社会派推理小説がそうだったように、警察小説は社会問題をあつかうのに適したスタイルであり、これは1970年代に南アフリカを舞台にしたジェイムズ・マクルーアや、ネイティヴ・アメリカンの登場するトニー・ヒラーマンの作品へと受け継がれていく。

 イギリスの警察小説は、警察官を主人公とした古典的謎解き小説とあまり区別がなくなっていく。パトリシア・モイーズ『死人はスキーをしない』(1959)で登場したティベット警部は、夫人を同伴した休暇中に事件にかかわるため、古典的夫婦探偵の要素が強いが、『女の顔を覆え』(1962)でアダム・ダルグリッシュ警部を創造したP・D・ジェイムズや、インドを舞台にした『パーフェクト殺人』(1964)でゴーテ警部を生み出したH・R・F・キーティング『薔薇の殺意』(1964)でウェクスフォード警部を登場させたルース・レンデルなどの作品は、リアルな警察活動も描かれるため警察小説として扱われることもある。1970年代に登場するレジナルド・ヒルもこの流れにある。しかし警察官を主人公としながらも、ジョイス・ポーター『ドーヴァー1』(1964)で登場したドーヴァー警部や、ピーター・ディキンスン『ガラス箱の蟻』(1968)で姿をあらわしたピブル警視は、現実よりもファンタスティックな設定の中で活躍する。1930年代から純文学・歴史小説で名を成していたイーディス・パージェターがエリス・ピーターズ名義で発表した『死と陽気な女』(1961)はフェルス一家シリーズの2作目で、このシリーズは父親が犯罪捜査課に勤務するものの、家庭ドラマを中心に事件が起っていく。『兄の殺人者』(1961)でデビューしたD・M・ディヴァインはアマチュアを探偵役として、トリッキーな作品を発表した。

 アメリカのアマチュア探偵ものでは、女性二人のコンビ、エマ・レイサン『死の信託』(1961)で銀行家副頭取ジョン・パトナム・サッチャーを創造し、幅広い人気を得た。同じく女性作家のアマンダ・クロス『精神分析殺人事件』(1964)でケイト・ファンスラー教授を登場させた。このシリーズは1980年代には作風を変化させて、フェミニズム・ミステリの先駆けとなる。歴史に残る名短篇「九マイルは遠すぎる」(1947)でニッキイ・ウェルト教授を生み出したハリイ・ケメルマンは、『金曜日ラビは寝坊した』(1964)からユダヤ教のラビ、デイヴィッド・スモールを探偵役にして、ユダヤ社会の中で起る事件に論理的解決を与えた。ランドル・ギャレット『魔術師が多すぎる』(1967)で登場したダーシー卿は、魔法が現実のものとされる架空のヨーロッパ社会で、魔法を使ったとしか思えない事件を解決する。ダーシー卿は主任捜査官だからアマチュア探偵とはいえないが、ロバート・L・フィッシュが1960年に登場させたシュロック・ホームズは素人にもわかる事件に名探偵ならではの難解な解決をつけ、最高のホームズ・パロディと言われた。また、1955年から短篇を書いているエドワード・D・ホックは、1962年にEQMMに登場。以後、怪盗ニック・ヴェルヴェットレオポルド警部をはじめとするさまざまなシリーズ・キャラクターを用いて膨大な数の短篇を同誌に発表する。ヒッチコック・マガジンを中心に活躍したヘンリー・スレッサーの短篇も、この時期に『うまい犯罪、しゃれた殺人』(1960)や『ママに捧げる犯罪』(1962)としてまとまっている。

 この時期の犯罪小説に簡単に触れておこう。パルプ・ライターから長い下積みを経てベストセラー作家になったジョン・D・マクドナルドは、サイコ・サスペンスの名作『ケープ・フィヤー』(1958)や犯罪小説として名高い『夜の終り』(1960)があり、さらに『濃紺のさよなら』(1964)からはじまるトラブル解決屋トラヴィス・マッギーのシリーズで人気を得た。マイクル・クライトンジェフリイ・ハドスン名義で『緊急の場合は』(1968)を発表し、はなばなしく登場したのもこの時期である。ハーパー・リー『アラバマ物語』(1960)は、南部の黒人差別をテーマにしてピューリツァー賞を受賞したが、法廷小説としても読める。ハーパー・リーとは幼馴染のトルーマン・カポーティ『冷血』(1966)で現実の死刑囚への取材をもとに作品を上梓。異常者心理を描いたジョン・ファウルズ『コレクター』(1963)と、犯罪組織マフィアの実態を暴くマリオ・プーヅォ『ゴッドファーザー』(1969)は、ともに映画化もされ話題を呼んだ。フランスのユベール・モンテイエ『かまきり』(1960)など書簡形式を用いたサスペンス小説を発表し、セバスチャン・ジャプリゾ『シンデレラの罠』(1962)で「私」が探偵と犯人と証人と被害者になるテクニックを披露した。

 日本のミステリ界は、1950年代末から社会派推理小説の時代を迎えていた。黒岩重吾『背徳のメス』(1960)、水上勉『海の牙』(1960)や『飢餓海峡』(1963)などが話題を呼び、梶山季之邦光史郎のサスペンス・タッチの企業小説も社会派の枠組で語られた。1960年代前半には推理小説ブームの波にのって、多くの有力な新人が現れた。すでにスパイ小説、ハードボイルドで触れた中薗英助三好徹生島治郎らも広い意味での社会問題を扱っているように、彼らは社会派により達成された現代社会をリアルに語る作風を自明のものとし、その上にさまざまなミステリ的工夫をもちこんだ。『招かれざる客』(1960)で登場した笹沢左保は謎解きとロマンを融合させた「新本格」を提唱し、トリックをこれでもかと盛り込んだ長篇を立て続けに発表した。陳舜臣『枯草の根』(1961)で名探偵陶展文を生み出し、以後アリバイ破りや密室などの謎解き小説に意欲を見せる。中井英夫『虚無への供物』(1964)は、幻想的で遊戯的な連続殺人事件の中に洞爺丸事故という現実を封じ込めた。『猫の舌に釘をうて』(1961)などに技巧の妙を見せる都筑道夫『大いなる幻影』(1962)でサスペンス小説に新たな魅力を示した戸川昌子『陽気な容疑者たち』(1963)などユーモラスな筆致の中に社会問題を見つめる天藤真らも登場、1940年代デビューの高木彬光は犯罪者を主人公にした『白昼の死角』(1960)や法廷が中心となる『破戒裁判』(1961)などで新境地を開拓、1950年代後半にデビューした鮎川哲也土屋隆夫佐野洋結城昌治らも旺盛な活動を示した。

 しかし、「社会派」を支えた作家の多くは1960年代後半にはミステリを離れ、それぞれ独自の分野の作品を発表するようになり、謎解きに強い関心を示した松本清張も犯罪小説に傾いていく。こうした社会派の退潮とともに、日本ミステリも沈滞期にはいる。戦後推理小説界をリードしていた雑誌「宝石」は1964年に廃刊、1965年には森下雨村江戸川乱歩が、翌年には大下宇陀児が鬼籍に入り、時代は変わろうとしていた。あまりにリアリズムに走りすぎた現代ミステリへの反動からか、1968年末から戦前の探偵小説リバイバル・ブームがはじまり、またこの時期に登場した新人は密室などの古典的なトリックにこだわる者が多くなる。『殺人の棋譜』(1966)の斎藤栄『高層の死角』(1969)の森村誠一『殺意の演奏』(1970)の大谷羊太郎などがその代表格といえよう。


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