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■世界ミステリ史概説■

3.短篇探偵小説の時代(1891-1917)


 ポーの短篇にはじまった探偵小説であるが、1840年代から1880年代までは、多くの探偵小説、またはそれに隣接する犯罪小説は長篇として発表された。読者の興味を引き続けるセンセーショナルな題材を織り込まなくてはならず、二重結婚や私生児、上流家庭の秘密が描かれ、悪辣な犯罪に翻弄される乙女や無垢な青年が登場する。複雑な人間関係、動機を構成する過去の因縁を描くためには、長篇でなくてはならなかった。また、そうした長い物語が大衆受けしたということでもある。ポーの正統な後継者はいなかった。

 19世紀末のイギリスでは、印刷技術の発達と教育の普及による中間読者層の増加などから、娯楽読物が満載された雑誌が数多く出版される。それらはインテリ層を相手にするほどは高級ではなく、安価で安易な読物ではあるが、低教育層を中心とした《ペニー・ドレッドフル》(1ペニー恐怖本)やアメリカの《ダイム・ノヴェル》ほどは下品でも猥雑でもなく、いうなれば品位を保った娯楽作品を提供した。《ストランド・マガジン》1891年7月号からはじまるコナン・ドイルシャーロック・ホームズの短篇シリーズは、まさにそういう作品であった。品のいいメロドラマに、ポーのエッセンスである謎とその解明のドラマを入れる。事件とそれにかかわる人物たちを、ドイルは絶妙のバランスで、しかも短い枚数で、生き生きと描いた。また事件の背景はセンセーション・ノヴェルのような上流社会だけではない。ヴィクトリア朝ロンドンの縮図と言えるような様々な要素と登場人物が盛り込まれた。これが、探偵小説の新しいスタンダードとなった。

 ドイルの功績のいま一つは、同一主人公が登場する読切シリーズを、雑誌連載で書いたことである。連載長篇では、一度読み逃すと、次を買う気をなくさせる。しかしシリーズ・キャラクターが連続して活躍する読切短篇は、雑誌に定期購読者を繋ぎとめるのに有効だった。ホームズの人気から、次々と名探偵の登場する短篇シリーズが生れた。ポー以降、廃れていた短篇探偵小説は、ここで一気に花ひらいた。

 1890年代から1910年代までに登場する、おもに短篇で活躍したシリーズ・キャラクターたちは、のちに「シャーロック・ホームズのライヴァルたち」と呼ばれるようになる。アーサー・モリスンの生み出したマーチン・ヒューイットは、ホームズと同じ《ストランド・マガジン》誌上で、1894年3月から活躍をはじめた。歴史冒険小説『紅はこべ』シリーズで有名なバロネス・オルツイは、隅の老人シリーズを1901年から連載。R・オースティン・フリーマンの科学者探偵ソーンダイク博士が最初に登場するのは長篇『赤い拇指紋』(1907)であるが、1909年から短篇のシリーズで活躍する。G・K・チェスタトンブラウン神父は1910年に《ストーリイテラー》誌に登場。アーネスト・ブラマが盲人探偵マックス・カラドスを創造したのは1913年のことである。アメリカではジャック・フットレルが創造した思考機械、すなわちオーガスタス・S・F・X・ヴァン・ドーゼン教授が1905年に姿を現した。M・D・ポーストアブナー伯父は1911年から雑誌に登場し、1910年から活躍するアーサー・B・リーヴの科学者探偵クレイグ・ケネディは一時期、「アメリカのホームズ」と呼ばれた。また日本では、岡本綺堂三河町の半七「お文の魂」(1917)で登場している。こうした名探偵たちは、ある者は居ながらにして謎を解き、ある者はわずかな痕跡から犯罪のたくらみを見抜く。科学的知識、深い人間洞察、奇矯な言動などなど、自らの天才性をさまざまな方法でアピールした。

 フリーマンはソーンダイク博士の登場する短篇集『歌う白骨』(1912)で倒叙探偵小説という形式を作り出した。これは最初に犯人側からの犯行を描き、それを探偵がいかにして暴くかという興味で読ませる作品で、この方式はのちの黄金時代にいくつかの試みがなされ、さらにフランシス・アイルズ『殺意』(1931)を経て犯罪者の内面を描く犯罪小説へと発展していった。

 ホームズをはじめとして、多くの名探偵たちは変装もうまかった。これはヴィドックに始まり、「刑事の回想録」に登場する刑事たちや、ガボリオーのルコック氏に共通する得意技である。こうした変装術は、探偵だけでなく悪役キャラクターにも受け継がれる。1896年に登場した最初のシリーズ泥棒といわれるグラント・アレンクレー大佐は、粘土(クレー)で出来ているかのように自由に容貌を変えられる。犯罪者を主役とするシリーズは、E・W・ホーナングの紳士強盗A・J・ラッフルズが1899年から活躍をはじめるが、この手のキャラクターで最もロマンティックな冒険を繰り広げるのは、フランスのモーリス・ルブランが1907年に創造した怪盗アルセーヌ・ルパンだろう。ルパンは本来の顔がどうなっているのか分からないほど変装の名人であるが、1910年代から活躍するトマス・W・ハンシューが創造した《四十面相の男》ハミルトン・クリークも、変幻自在の顔を持つ泥棒上がりの名探偵だ。また主役とはいえないが、1898年に登場したL・T・ミード&ユースタス作のマダム・コルチーは犯罪秘密結社の女性首領であり、サックル・ローマーが1912年に創造したフー・マンチュー博士も巨大な犯罪組織をもってイギリスに脅威をもたらす。

 ポーのデュパン、ガボリオーのルコック探偵以来、英米の読者にはフランス人探偵は馴染みの深いものであった。この時期にフランス本国ではガストン・ルルー『黄色い部屋の秘密』(1907)から登場する少年探偵ルレタビーユぐらいしか著名な探偵は出ていないが、ロバート・バーの短篇集『ユージェーヌ・ヴァルモンの勝利』(1906)で活躍するユージェーヌ・ヴァルモンや、A・E・W・メイスンが長篇『薔薇荘にて』(1910)で創造したパリ警視庁のアノー警部など、英国人の作家もフランス人探偵を登場させた。フランス人探偵はいくぶんか滑稽な味わいももち、この流れはアガサ・クリスティのベルギー人探偵エルキュール・ポアロにまで続いていく。

 現実の世界には女性の探偵や警察官はまだいなかったが、小説世界には早くから女性探偵は姿を現す。その最初期のものは、「刑事の回想録」に分類される The Experiences of a Lady Detective (1861/1864とも)の主役ミセス・パスカルと The Female Detective (1864)に登場するミセス・Gであり、女性の警察官という設定はバロネス・オルツイ『レディ・モリーの事件簿』(1910)で創造したロンドン警視庁のレディ・モリーに受け継がれる。素人探偵ではC・L・パーキスの The Experiences of Loveday Brooke: Lady Detective (1894)に登場した淑女探偵ラヴディ・ブルックの例が早く、長篇作品ではA・K・グリーンが That Affair Next Door (1897)以降数作に登場させた老嬢アメリア・バタワースが名高い。アメリア・バタワースは主役ではなく、グリーンの処女作以来の探偵役エベニザー・グライス警部の協力者なのだが、クリスティのミス・マープルの原型的キャラクターとして重要である。

 19世紀末から第一次世界大戦までは、短篇探偵小説の時代として捉えることが出来るが、この時期にも長篇作品が書かれなかったわけではない。すでに述べたように、フリーマンの『赤い拇指紋』(1907)や『オシリスの眼』(1911)をはじめとするソーンダイクもの、ルルーの『黄色い部屋の秘密』(1907)や『黒衣夫人の香り』(1909)のルレタビーユもの、メースンの『薔薇荘にて』(1910)のアノー警部ものなど、重要な長篇探偵小説も現れている。イズレイル・ザングウィル『ビック・ボウ殺人』(1892)は長篇と呼ぶにはいささか短いが、密室殺人を扱い、また意外な犯人トリックでも新味を出した作品である。『バスカヴィル家の犬』(1902)をホームズの最高作とする論者もいるし、ルブランのルパンがもっとも精彩を放っているのは、『奇岩城』(1909)や『813』(1910)を初めとした長篇作品であるともいえよう。またファーガス・ヒュームやA・K・グリーンなどドイルよりも前に登場した作家たちも、引き続きこの時期にも長篇作品を上梓している。しかし、それらの多くは、19世紀的とも言えるロマンティックな恋愛や冒険譚の味わいを残した作品であった。1909年に The Clue でデビューしたアメリカのキャロリン・ウェルズも長篇作品を中心に活躍した女性作家で、彼女の探偵フレミング・ストーンは70冊を越える長篇に登場し、一時期まで「最も数多い単行本に出場した探偵」の称号を持っていた。それに対し、『螺旋階段』(1908)でデビューしたメアリー・ロバーツ・ラインハートは、めだったシリーズ・キャラクターを作り出していない。しかし、ラインハートはロマンティック・サスペンス、いわゆるHIBK(もし知ってさえいたら)派の創始者として名高く、後の作家に与えた影響力も多大である。今では読まれなくなったウェルズに対し、ラインハートの人気は衰えることなく続き、ベストセラー・リストに最も多く名を連ねたアメリカの国民的な作家の一人となっている。

 19世紀末のイギリスでは、ウィリアム・ルキューE・フィリップ・オプンハイムJ・S・フレッチャーガイ・ブースビイなどの通俗的スリラーの書き手がデビューしている。『魔法医師ニコラ』(1896)で知られるブースビイは1905年に早世したが、残る三人は長篇を中心にした旺盛な執筆活動を続け、特にルキューとオプンハイムは第一次世界大戦までの世界情勢を背景にしたスパイ小説の書き手として、一世を風靡した。このころのスパイ小説は「外套と短剣」という言葉に示されるように、近代的なスパイ小説とはかけ離れた古めかしいものであったが、緊迫する世界情勢のゆえか、わが国でも明治末期から大正期にかけて盛んに翻訳された。20世紀に入ってからは、活劇スリラーの書き手としてエドガー・ウォーレス『正義の四人』(1905)で登場、また前述のサックス・ローマーも長篇スリラーで本領を発揮する。スパイ小説の分野では、20世紀になってからアースキン・チルダーズ『砂洲の謎』(1903)、ジョゼフ・コンラッド『密偵』(1907)、ジョン・バカン『三十九階段』(1915)や『緑のマント』(1916)などリチャード・ハネーものが発表され、サマセット・モーム『アシェンデン』(1928)を経て、1930年代のエリック・アンブラーへと発展していく。

 1914年に勃発した第一次世界大戦は1918年まで続く。シャーロック・ホームズが実質的に退場する「最後の挨拶」(1917)が、ホームズとドイツのスパイとの戦いを描いた作品であるのは、象徴的といえよう。世界は変わりつつあった。探偵小説の歴史も転換期を迎えていた。


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