ミステリの歴史/フロント・ページへ  <1880年代/日本

ホームページへ


■ミステリの歴史■


8.1891-1900/ドイルの十年

短篇探偵小説時代のはじまり

(1)短篇シリーズの開始


  

1887年、『緋の研究』が探偵小説界に爆弾のように投ぜられ、つづいてわずかの年月のうちに、輝かしくも驚嘆すべきシャーロック・ホームズものの短編シリーズが世に現れたのである。(『犯罪オムニバス』序文/田中純蔵訳)

 こう述べたのはドロシー・L・セイヤーズである。

 シャーロック・ホームズという「爆弾」は、投下されてから数年はくすぶっていたが、1891年7月からはじまる《ストランド・マガジン》誌での連載によって、爆発した。これはまさに爆発だった。世界は一瞬にして変わってしまったのだ。

Vixere fortes ante Agamemnona(「アガメムノン以前にも勇者ありき」)にはちがいないが、われわれはもう忘れてしまったし、ホウムズ以前の探偵はいわばシェイクスピア以前の劇のようなものだと、つい考えてしまう――つまり先駆者あつかいしてしまうのである。(E・M・ロング『犯罪と探偵』序文/田中純蔵訳)

 『犯罪と探偵』の出版は1926年。ホームズ登場後40年を待たずして、それ以前の歴史を「前史」としてしまったのである。

 シャーロック・ホームズ物語は、なにが新しかったのだろうか。なにを探偵小説の歴史に付け加えたのだろうか。そして、コナン・ドイル以後の探偵小説は、それ以前とどうかわったのだろうか。

 その最大の功績は、月刊雑誌連載の短篇シリーズを創始した、ということである。

ホームズ以前にも、”名探偵”と称し得る架空ヒーローはいくたりか存在した。しかし、同一主人公を短篇連作で長期的に活躍させるというパターンは、ホームズに始まると言ってもいのではないか。(新保博久「主役はいつも名探偵」HMM2007年8月号)

ポーおよびガボリオの先例はあったけれど、ドイル以前のイギリス作家で、ドイルのように一連の異なる話に登場する探偵主人公を創造したものは一人もなかったからである。(A・E・マーチ「推理小説の歴史」

 周知のように、「世界最初の探偵小説」であるポーの諸作にも、名探偵デュパンというシリーズ・キャラクターが存在した。また、ガボリオーの長篇探偵小説が人気を博したもの、ルコックというキャラクターがいたからだろう。アンナ・カサリン・グリーンも処女作以来、(すべての作品ではないが)いくつかの作品にイベニザー・グライス警部を登場させている。「刑事の回想録」を短篇集と考えると、それぞれの本にシリーズ・キャラクターがいることになるし、アメリカのダイム・ノヴェルは毎月、同じ探偵たちが活躍している。

 しかし、月刊誌に毎月、同一主人公が短篇で登場する探偵小説、というスタイルは、じつはドイル以前には(明確には)なかったのである。そして、このスタイルは、偶然に誕生したわけではなく、また編集者の要請によって書かれたわけでもなく、コナン・ドイル自身が明確な戦略にのっとて発案したものだった。

 そのころ新しい月刊誌があいついで現れていた。なかでも目ぼしいのは、当時から引きつづきグリーノー・スミスの編集になる「ストランド」誌である。いろんな雑誌に関連もなくいろんな話の出ているのを見て私は考えた。一人の人物が各号で活躍するような話はどうであろうか。それで読者を引きつけられれば、その雑誌へ読者を引きつけることになる。これに反して普通の続きものは、どうかして読者が一号読みおとすとあとは興味がうすれるから、雑誌のためになるどころか、かえって邪魔ものになる。そこで理想的なのは明らかに一人の人物がずっと活躍し、しかも一つの話はその号だけで完結するのだ。そうすれば読者はいつでのその雑誌を完全に楽しむことができる。この考えかたを創始したのは私で、それを実行にうつしたのは「ストランド」誌だと思っている。

 考えた末中心人物はシャーロック・ホームズがよかろうと思った。これはすで二巻の小冊子を書いているが、これなら連続短編で十分活躍させられる。これらを診察室でもてあましている時間に書きはじめた。グリーノー・スミスは初めから喜んでくれ、書きすすめるようわたしを激励してくれた。(コナン・ドイル『わが思い出と冒険』延原謙訳)

 作家の自伝の文章をそのまま受取るのは危険ではあるものの、この部分に明確な反証はないようである。だから、これをそのまま信じるとして、そうするとこの「一人の人物が各号で活躍するような話」は、なにも探偵小説でなくてもよかったのである。「考えた末中心人物はシャーロック・ホームズがよかろうと思った」のであって、もし主人公をシャーロック・ホームズにしなかったら、短篇探偵小説のシリーズも生まれなかった。ドイルは探偵小説のシリーズを書こうとしたのではなく、「一人の人物が各号で活躍するような話」を書こうとしたのだから。このとき「中心人物はシャーロック・ホームズがよかろう」と思わなければ、探偵小説の歴史は大きく変わっていたはずである。(注1)

 さて、長篇連載ではだめ、短篇シリーズが理想的、というのは、まさにこの時代でこそ成功した企画であった。

イギリスでは短篇小説が明確な文学形式として現れたのはずっとおそく、ポピュラーな小説の型は十九世紀の初めからほとんど三巻ものの長篇小説ときまっていたからである。(中略)こうした短篇物語をかりに単独で発表しても、一般の読者にはまったく受けなかったのである。少なくとも、短篇読物を利用し得る大衆雑誌の数が急激に増加した1880年代の終わりごろまでは、そうであった。(A・E・マーチ『推理小説の歴史』村上啓夫訳)

 しかし、1880年代ごろから、社会情勢の変化に伴って、読書スタイルも変化しはじめていた。

(19世紀末の)二十年間に印刷技術の発達や教育水準の向上に対応すべく申し分のない媒体が出現しつつあった。大衆相手の定期刊行物で、低廉な価格でありながら、小説やノンフィクションを満載していた。それらは常に安易な読みもおのであり、内容の大半が中身のない日常茶飯事だったが、それでも「一ペニー恐怖本」や「ダイム・ノヴェル」のたぐいよりはましだと見なされていた。(『ブラッディ・マーダー』p93-94)

 そして登場したのが《ストランド・マガジン》誌である。

 《ストランド・マガジン》の創設者ジョージ・ニューンズは、1881年に情報誌《ティット・ビッツ》を創刊している。1部1ペニーのこの週刊誌は、「ほかの雑誌かや新聞から寄せ集めた断片記事、多少なりとも面白みのある情報、さらには読者からの投稿文を編集して提供した。(『ブラッディ・マーダー』)」これが好評を博したため、これよりもう少し上の読を狙った野心的な月刊誌が《ストランド・マガジン》だった。創刊号(1891年1月号)でニューンズはこう述べている。

 本誌はイギリスの最高の作家たちの手になる短編小説とエッセイを、そして未紹介の外国作家の特別訳を載せます。そして著名な画家による挿絵をつけます。

 すでに月刊誌が大変な数あるところにまた一冊というのは余計だという見方もあるでしょう。しかし、『ストランド・マガジン』は、じきになくてはならぬ存在になるでしょう。(富山太佳夫『シャーロック・ホームズの世紀末』より引用)

 じじつ、この雑誌は「じきになくてはならぬ存在」になった。《ストランド・マガジン》の歴史を書いたレジナルド・パウンドは、次のように語る。

確かに『ストランド・マガジン』ほど、イギリス中産階級がはっきりと活字の形で自画像となった例はなかった。中産階級の物質的・精神的安楽を確認しながら、この雑誌は半世紀以上もの間にわたって、彼らの趣味嗜好、偏見、知的限界を忠実に映す鏡となった。出版界の羨望となったほどの多数の、裏切りをしない忠実な読者は、すべて中産階級の人びとだった。(『天の猟犬』より孫引き)

 ドイルは最初からこの雑誌に注目していたようだ。創刊されてすぐに、同誌に原稿を送っている。

(《ストランド・マガジン》の)創刊号が出たのは1891年1月で、この月に編集長がドイルの最初の寄稿「科学の声」を受取った。(リチャード・ランスリン・グリーン&ジョン・マイケル・ギブソン『コナン・ドイル未紹介作品集』序)

 「科学の声」は1891年3月号に掲載される。おそらく編集部もドイルの短篇を気に入ったのだろう。ドイルの立案した企画、「同一主人公が登場する読切り短篇」は、同年の7月号から始まった。これが、『シャーロック・ホームズの冒険』としてまとまることになる連作である。

 長篇の連載と違って、1話完結の読切り短篇シリーズは大変だったはずだ。ドイルも嘆いている。

 シャーロック・ホームズ物語の仕事の困難さは、どの話にも長編にも通用しそうな明快で独創的な構想を要するところにあった。そんなにすらすら次から次へと出てくるものではない。(『わが思い出と冒険』)

 読切り短篇シリーズを発案したドイルだったが、当初はこれほど多くの短篇を書く気はなかったようだ。最初の6話を書き上げ、大変な評判だったため、編集部のたっての希望でさらに6話を追加する。ドイルはここでホームズを死なせるつもりだったが、母親の猛反対でいったんは思いとどまる。読者からも編集部からも、続編を書けとやいのやいのうるさいが、ドイルとしてはもうやめたい。で、高額の原稿料をふっかけてあきらめさそうとしたが、あっさり承認され、仕方なく書いたのが次の12篇『シャーロック・ホームズの思い出』である。この第二シリーズの最後の作品で、かねてよりの腹案どおり、ドイルはホームズを死に追いやって、シリーズを完結させてしまった。これが1893年12月号に掲載された「最後の事件」

 この足掛け3年が、ホームズの短篇での最初の活動期間であり、この3年間で、探偵小説の歴史を大きく動かすこととなった。


(注1) ドイルが発案したのはあくまで「一人の人物が各号で活躍するような話」であって、それが探偵小説のシリーズとは限らなかった。事実、シャーロック・ホームズの連載をやめた翌年の1894年から1895年にかけてストランド誌に連載したのは、「勇将ジェラール」シリーズである。ドイルが最初に、こちらを連載していたら、歴史は変わっていたのだろうか?

 しかし、ドイルが「考えた末中心人物はシャーロック・ホームズがよかろうと思った」のもまた、事実である。そしてドイル以降、たちまちにして探偵を主人公にした連作短篇が次々と登場したのも、シャーロック・ホームズの人気の故ではあったにせよ、そこになにがしかの必然はあったのかもしれない。

 すなわち、探偵小説はシリーズ・キャクターを活かす上で最適のジャンルなのかもしれない、ということだ。大衆小説の諸ジャンル、例えばロマンス小説・冒険小説(海洋もの・秘境もの)・歴史小説(西部小説)・怪奇小説・家庭小説・風俗小説・ユーモア小説などなどと比較すると、探偵小説のシリーズ・キャラクター率は圧倒的に高い。次は歴史小説/時代小説/西部小説の一群だろうか。(SFは、まだ明確なジャンルとしては認識されていない)

 ドイルが「一人の人物が各号で活躍するような話」を発案したとき、「考えた末」にシャーロック・ホームズを主役に選んだのが偶然ではなく、必然であった、とすれば、「短篇小説の時代」がきた時に、それがそのまま「探偵小説の時代」になることは、歴史の要請だったのだろうか。このあたりを考察した評論があれば、教えて欲しい。(本文に戻る)


■作品案内

■今回の主な参考資料


TOPへ  <1880年代/日本

ミステリの歴史/フロント・ページへ

ホームページへ