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■ミステリの歴史■


7.1880年代の探偵小説

(5)イギリス――ファーガス・ヒューム

――「探偵小説」を書き続けた男


 ファーガス・ヒュームが『二輪馬車の秘密』(1886)を書いた動機を自ら語った文章が、『ブラッディ・マーダー』に引用されている。

メルボルンで最大の書店の主人に、いちばんよく売れる書物はどんな種類のものかと質問したところ、ガボリオの探偵小説が大変な売れ行きだとの返事を得た。その頃のわたしは、ガボリオという著者の名前も聞いたことがなかったので、その全作品を買い込んだ。そして……同じ分野の小説を書いてみようと心に決めた。謎と殺人と、メルボルンの最低社会層の生活描写を含む作品だ。それが『二輪馬車の秘密』誕生のいきさつである。

 ヒュームは明確に「ガボリオーのような探偵小説」を書こうと思って、書いたのである。そして、この「ガボリオーの模倣品」は、英国で売れに売れ、作者の生前に五十万部をこえる売れ行きを示した。数万部が売れれば大変なベストセラーであった当時としては、この数字は空前であった。もっとも、ヒューム自身は、この作品の版権を50ポンドで売ってしまったため、金銭的な恩恵は受けなかったようだが。

 興味深いのは、ヒュームが小説のなかで、インスパイアされた作品を律儀に並べていることだ。

全く、事件そのものがガボローの小説からそっくり持って来たもので、かの著名なるルコック探偵以外に、事件を解決できるものはいないかのように思われる。(p9)

著名な作家ジェームズ・ペインによれば、事実は時にフィクションの領域をも侵犯するといわれるが、この事件は非常に奇妙で、彼の言葉の真実を証明するものである。『乗合馬車の怪』というデュ・ボアズゴベイの小説には、今度の悲劇に酷似した殺人が乗合馬車の中で行なわれるが、かの作者ですら、二輪馬車のような似つかわしからざる場所で犯される犯罪を大胆に描きえたかどうかは疑問である。(p14)

「レヴンワース事件か何かを思い出してごらんなさい」とフェリックスはいった。彼はもっぱら軽い読み物を読んでいたのだ。「恐ろしく面白い。まるで知恵の輪みたいだ。僕は自分が探偵だったらと思いますよ」(p60)

「馬車の殺人か」と彼は煙草に火をつけ、煙を吐き出しながらいった。「現実のロマンスさ。メアリ・ブラドンのメロドラマも形なしだ。」(p70)

「お化け屋敷みたいだね」とブライアンはポーの無気味な詩を思い出していった。(p234)

(引用はすべて新潮文庫版/江藤淳・足立康訳)

 ヴァン・ダインはこの作品を「ガボリオーの技法を土台にし、アンナ・キャサリン・グリーンの作品の影響を受けた」ものであり、「探偵小説の技法と題材に何も新しいものをつけ加えることなく、すでに敷かれたレールの上をひたすら忠実に走ったにすぎなかった」(「傑作探偵小説/序文」田中純蔵訳)と述べている。へイクラフトは、「この劣悪な三文小説は」「今日ではほとんど読むにたえず」と断じた。(『娯楽としての殺人』)エラリイ・クイーンも、アンソロジー『犯罪の中のレディたち』にヒュームを取り上げるとき、「実際にこの本(『二輪馬車の秘密』)――またはファーガス・ヒュームの書いたほかの136編の作品のどれか――を読んだ人を探すには、超探偵的な能力を必要とするだろう。」と揶揄した。この作品が探偵小説史で取り上げられるのは、ひとえにその売れ行きゆえである。そして、「なぜあのような売れ行きを示したのか、説明がつかない」(『ブラッディ・マーダー』)と続くのが常である。

 比較的この作品を好意的に論じているのはシモンズぐらいだろうか。

『二輪馬車の秘密』には何の取り得もないとの評価が定着しているようだが、私のみたかぎり、ガボリオの模倣作品としてはかなりの出来栄えであり、社会の最低層の生活がある程度の客観性をもって描写されている。(『ブラッディ・マーダー』p90)

 ヒュームはニュージーランドで弁護士(の秘書?)をしていたが、『二輪馬車の秘密』のヒットに力を得てロンドンに移住。以後、驚くほどのペースで作品を発表する。19世紀の最後の十年の間に著作は50冊を越え、100冊を越えるのにさらに十年しかかからなかった。探偵小説黄金時代になり、死去した1932年まで新作を発表し続け、生涯に150冊近くの著書を出している。にもかかわらず、最初の「一冊のほか殆ど世間から顧みられなかった」(江戸川乱歩『探偵小説作家と作品』)というのが定説となっている。読めたものではない、というわけだ。

 しかし、「これは、真実から程遠い」と、Twentieth Century Crime and Mystery Writers のヒュームの項の解説を執筆したバリー・ヘイン Barrie Hayne はいう。彼はこう続ける。

確かに、彼の他の小説はいずれも、最初の本の売れ行きには及ばなかった――この本は歴史的大ベストセラーのうちの一つである。しかし、ヒュームの少なくとも20作の小説は、そのほとんどは1910年以前に書かれたものだが、大いに読むことができ、たいていのビクトリア朝のメロドラマ、例えばメアリー・エリザベス・ブラッドンの作品よりは読める。

 ヘインの論調は、下には下がある、という詭弁にも感じられる。ヒュームは処女作だけがずば抜けて出来がよかったわけではない。150冊近くの作品も、処女作におとらず、というか、処女作と同じような、前近代的な作風だったのだろう。それは、例えば次のような作品の題名を見ても感じ取れる。

 題名だけで判断するのが危険というのなら、かつて『二輪馬車の秘密』を邦訳する前に、ヒュームの作品をいくつか読んだ横溝正史の言葉を引いておこう。

「どれを読んでもじつにくらだない作品ばかりで、いってみれば後に現れたディクソン・カーの神秘主義やオカルト趣味から、論理性と合理性を省略したような、無責任な三文小説ばかり」(横溝正史『探偵小説昔話』/扶桑社文庫『横溝正史翻訳コレクション』解説より孫引き)

 ようするにロマンティシズムとエキゾティシズムの作家なのだ。ヘインは、ヒュームが影響を受けた作家として、ガボリオーよりもウィルキー・コリンズを挙げ、The Blue Talisman (1912/米1925) には、「アフリカの偶像から宝石を盗み、宝石の守護者に追いかけられる男」が出てくると呆れている。コリンズやガボリオーの時代は過去となり、ホームズの時代が過ぎ、黄金時代に入ろうとした頃にも、ヒュームはまだこのような作品を書いていた。

 そして、ここが肝心なのだが、そんな時代になっても、このような作品に、まだ一定の需要はあったのである。だからこそ、これだけ書きまくることが出来たのだろうし、作品を出してもらえたのだろう。「その印税ですこぶる裕福な生涯を送った」と『ブラッディ・マーダー』にある。ヒュームは1作だけで忘れられたわけではない。惨めな生涯を送ったわけではない。読者というのは、とくに大衆小説の読者というのは、あんがい保守的なものなのかもしれない。

 このほかのヒュームの作品では、質屋のミス・ヘイガー・スタンレーが活躍する連作が、『犯罪の中のレディたち』(創元推理文庫)と『シャーロック・ホームズのライヴァルたち1』(ハヤカワ文庫HM)に収録されている。(どちらも同じ短篇)短篇集が1898年に出ているから、この黒髪の美しいジプシー娘は、最初期の女性探偵のひとりといえるだろう。


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■今回の主な参考資料


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