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■ミステリの歴史■


7.1880年代の探偵小説

(3)ロシア――チェーホフの探偵小説


 アントン・チェーホフの探偵小説としては、短篇「安全マッチ」(1884)がよく知られている。この作品は英米では、前述のジュリアン・ホーソーンのアンソロジーや、ヴァン・ダインが1927年に編纂したアンソロジー The World's Great Detective Syories 、ダクラス・トムスンが1934年に編纂したアンソロジー The Mystery Book などに収録されている。日本でも、乱歩が探偵小説を書き出した頃から、すでに「探偵小説」として認知されていた。現在は、創元推理文庫『世界短編傑作選1』(宇野利泰訳/英語からの孫訳か?)やちくま文庫の『チェーホフ全集2』(松下裕訳)に収録されているので、気楽に読むことが出来る。(『狩場の悲劇』も収録されたちくま文庫版は絶版だが、たいていの図書館にあるだろう)

 領主が殺され死体が持ち去られた、という訴えに、予審判事(創元推理文庫の翻訳だと「検事」)とその助手兼書記(同「検事補」)が調査を開始する。現場に残されていた安全マッチから、助手の青年が犯人像を推理する。青年は誇らかに宣言する。「ガボリオの犯罪小説を熱心に研究した成果が、まさにここに実ったのです」(ちくま文庫だと「ガボリオーを読みふけった男に、ときにはどういうことができるか」)最後はユーモラスなオチがついて、この作品を犯罪小説のパロディーとしている。

 注釈なしにパロディーが通用するほど、1880年代のロシアでは、この手の犯罪小説が普及していたということだろう。「ガボリオーを読みふけった男」は巷に溢れていたのだ。

 長篇『狩場の悲劇』もまた、探偵小説のパロディーとしての一面をもっている。ちくま文庫の解説によると、1930年代には、この作品は「ガボリオーや、とりわけロシアにおけるその模倣者シクリャレフスキーの推理小説にたいする当時の人びとの熱中ぶりを風刺したのだ」という説が流布していた。『狩場の悲劇』は元予審判事が書いた小説中小説の形式をとり、それには「予審判事の手記から」という副題がついている。その小説のクライマックスで、予審判事の調査が開始されると、「なんという杜撰な調査だ」とか「どうしてもっと肝心な点を訊問しないのか」とかいう趣旨の、作者自身(つまりチェーホフ)の注がいたるところに挿入される。前半でも、もってまわった文章に対して「こういった表現を読者はどうかお許し願いたい。不幸なカムイシェーフの小説にはこういう表現がふんだんにある」云々と注記がなされている。これらの点は、おそらくシクリャレフスキーの予審判事ものをからかっているのだろう。

 探偵小説として見た場合、『狩場の悲劇』には注目すべき点がいくつかある。この作品を紹介したもののほとんどが明らかにしているため、ここでもばらしてしまうが、これはクリスティーの『アクロイド殺し』(1926)と同じ趣向を使っているのである。もうひとつは、探偵役(裁判官)が犯人という趣向である。おそらく、これらの趣向の最も早い使用例と思われる。

 犯行シーンには不自然な削除が行なわれ、また調査が杜撰だったのも、予審判事だった記述者が犯行をごまかそうとした所以だったのである。新聞社に持ち込まれた原稿を読んだ編集者が、小説中の不自然な記述から真犯人を指摘するという趣向になっている。そして、このような手記を書いた理由を、犯人はこう述べる。

たえずわたしには、人びとがわたしをごく普通の人間として見ているのが不思議でならなかったのです。だれひとりとして、ただの一度も、この八年のあいだ、わたしを好奇の眼で見る者はいなかった。わたしには、自分が逃げ隠れする必要のないことが不思議でならなかった。(中略)急に何かで胸のうちをぶちまけたくなったんです。みんなの顔に唾をはきかけて、一気に秘密を吐き出して……なにかこう……特別のことがやりたくなったんですよ……。そこで小説を書いた――これを読んで、わたしが秘密を負った人間だと見抜けないのはたいして利巧でない人間だけですがね……。どのページにも、解決の鍵はあるのですから……(松下裕訳)

 探偵小説のパロディーとして書かれたものが、新しいタイプの探偵小説となってしまう。これはこのジャンルの特質のひとつといえる。作者の最初の意図(の一部)は、シクリャレフスキーやガボリオーなどの作品の「定型」への揶揄だったのは間違いないだろう。これは想像でしかないが、チェーホフはこうした「探偵小説」に親しんだのだ。しかしそこに出てくる予審判事や探偵の調査手順に不満もあったのだろう。そうした探偵の杜撰な調査に、それなりの理由付けをしたら面白いのではないか。そう考えて書いたのが、『狩場の悲劇』だった。

 しかし、チェーホフはこの作品で読者を驚かそうとは思っていないように見える。というのは、前述の「作者による注記」があまりにくどく、すぐに真犯人がわかってしまうからだ。注記がなければ、かなり意外性のある構成になりえただろう。そのためか、東都書房版《世界推理小説大系》に収録されたときは、この注記は削除されている。つまりチェーホフにとっては、意外な結末よりも、こうした趣向そのものに意味があったということになる。

 とはいえ、まがりなりにも「探偵小説」的構成をとったため、不満も残ることになる。前半、詳細に書かれる主人公の内面は、犯行以降、描くことが出来なくなった。「この長篇の芸術的価値が、物語の後半、女主人公の殺害の瞬間から急に低下している」(ちくま書房解説)と見なされるのも、やむを得ない。こういう論調は、探偵小説ファンにとっては「わかっちゃいねえなあ」的反感をもつ最たるものだが、ことこの作品については的を射ているといわざるを得ないし、おそらく作者自身もそう感じていたフシがある。犯罪者の内面を描きたいのなら、こういう構成にしたのは失敗だった。そのためかどうか、チェーホフはこの唯一の長篇小説を生涯無視していたらしい。

 われわれ探偵小説ファンには、しかし、小説として書きたいことが書けなくなるにもかかわらず、チェーホフがあえて「探偵小説」の構成を取り入れたことが興味深い。たとえ失敗作とはいえ、『狩場の悲劇』の小説スタイルは、探偵小説に新しいページを切り拓いた。


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