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■ミステリの歴史■


7.1880年代の探偵小説

(2)ロシア――「ロシアのガボリオ」


 アントン・チェーホフ(1860-1904)は唯一の長篇小説『狩場の悲劇』(1884-1885連載)の中で、登場人物の新聞編集者にこう語らせた。

問題は、わが国の気の毒な読者たちが、もうとっくにガボリオーだのシクリャレフスキーだのに飽き飽きしてしまっているということですよ。読者は、ああいう不可解な殺人とか、探偵の奸策とか、訊問する予審判事の並はずれた機知とかにはみな、うんざりしてしまっているのです。(松下裕訳)

 これから察するに、1880年代のロシアでは、「ガボリオーだのシクリャレフスキーだの」の類の小説が、うんざりするほど出回っていたようである。大衆が本当にうんざりしていたかどうかは別にして、いつ頃から「ガボリオーだの」はロシアに翻訳紹介され、いつ頃からロシア・オリジナルの犯罪を扱う小説が書かれはじめただろうか。

 久野康彦の「革命前のロシアにおける探偵小説の歴史から」によると、1860年代末からガボリオの探偵小説はロシアで多数翻訳されはじめたという。これは、アメリカ(1870年代から)、イギリス(1880年代初めから)、日本(1880年代末から)よりも早い。というよりも、本国での発表とほぼ同時期に翻訳紹介されたことになる。

 ドフトエフスキーが『罪と罰』を発表したのは1866年だから、ガボリオが探偵小説第1作の『ルルージュ事件』を書いたのと同年。このころからロシアでも、急速な都市化による犯罪の増加、司法と警察制度の見直し、教育の普及による識字率の増大、新聞・雑誌の発展とそれに伴うセンセーショナルな犯罪報道、とフランスやイギリスと同じような状況が起こっていた。「探偵小説」を含む大衆小説が普及する背景は整っていたのだ。

それまでロシアにおいて犯罪を扱った文学は、「手記 записки」という体裁、すなわち記録性を標榜するのが常だったが、1872年、単に犯罪について記しただけの「手記」ではなく、犯罪の捜査について語る「物語 рассказ」が登場した。Н.アフシャルーモフの『手がかりはなく Концы в воду』、С.パノーフの『メドヴェージツァ村の殺人 Убийство в деревне Медведица』、そしてА.シクリャレフスキーの短編集『予審判事の物語Рассказы следователя』である。新聞・雑誌類に掲載された作品も含めると対象は膨大なため断定は難しいが、この時期にロシアの探偵小説が誕生したというロシアの研究者の見解にひとまず従うことにする。以後、この種のジャンルの作品はロシアで大量に書かれてゆく。(久野康彦「革命前のロシアにおける探偵小説の歴史から」)

 「ロシアのガボリオ」と呼ばれるアレクサンドル・シクリャレフスキー(1837-1883)は、警察や裁判所の書記、教師、ジャーナリストを経て、1867年に小説家としてデビュー。「初期は下層民の生活を描いた作品が主だった」(久野康彦/前出)が、『予審判事の物語』以後、ロシアにおける探偵小説の第一人者となる。

物語のパターンは、まず冒頭である犯罪の犠牲者が発見され、予審判事が現場に駆けつけ、捜査が始まる。予審判事は、現場検証をしたり、物的証拠を手がかりに外で聞き込みをしたりするが、西欧の探偵小説の探偵とは違って、そのような手段では真相を明らかにすることはできない。実のところ、シクリャレフスキーの「探偵小説」で重要なのは、「犯人は誰か」を解明するプロセスよりも、むしろ犯人が罪を犯すに至る過去や心理状態にある。

(中略)しばしば探偵役として登場する予審判事は、天才的探偵というよりは、通常、職務が要求する限りの観察力と判断力は有する常識的な人物として描かれる。シクリャレフスキーの作品では、この予審判事が心理分析の対象となることも多く、彼らは語り手として自らの物語の中に自己の心理を投影してゆく。予審判事はしばしば犯罪者と同じ若く未熟な存在であり、予審判事という官僚の顔の隙間から過剰に人間としての顔をのぞかせる。時にはそのような人間的感情が予審判事としての立場を完全に逸脱させてしまう場合もある。(久野康彦/前出)

 1870年代には人気があったシクリャレフスキーだが、大衆作家の例にもれず、その作品は長く残らなかったようである。江戸川乱歩がソ連邦の探偵作家ロマン・キムからもらった手紙には、シクリャレフスキーについてこう書かれている。

遺憾ながら、殆ど知られざる19世紀のこの作家は、革命後全然出版されておりませんし、その著作もレーニン図書館に所蔵されているだけです。シクリャレフスキイは通俗作家だったので、何の注意も惹かず、その作品も何ら芸術的価値を持たないために、真面目な作家達の間にあって、概して一度も問題にされなかったのです。(「探偵小説の世界的交歓」/「宝石」1957年1月号/『子不語随筆』所収)

 ともあれ、1870年代から80年代のロシアでは、内外の冒険小説、犯罪小説が広く流行していた。ちくま文庫版チェーホフ全集2巻の解説によると、『狩場の悲劇』が連載された《毎日新聞》の小説欄には、こんな作品が並んでいたそうである。

 たしかにうんざりしたくもなるだろう。題名だけで判断するのは危険だとはいえ、ここにあるのは卑俗なセンセーショナリズムである。そして、またしても「刑事の回想」である。いずれの国においても、実話的な装いは、犯罪を扱った読物の歴史をたどるとき、常についてまわる。切っても切れない関係にあると言ってもよい。「探偵小説」の生成と発展は、こうしたものと隣り合わせに成されてきた。

 『狩場の悲劇』はこういう作品と並んで発表された。


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