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■ミステリの歴史■


4.フランス 1840年代〜1860年

(7)エミール・ガボリオーのルコック探偵シリーズ(承前)


 『ルルージュ事件』以降のルコック・シリーズの内容を、『推理小説の源流』の紹介をもとに確認しておこう。

『オルシヴァルの犯罪』(河畔の悲劇) 1866-67連載/1967単行本

 1862年7月、小村オルシヴァルのセーヌ川沿いの屋敷で、伯爵夫人の死体が発見された。屋敷には犯行の痕跡があり、伯爵夫妻は殺害されたらしいと思われるが、伯爵の死体は見つからない。庭師が説明できない金を所持していたことが判明し、アリバイを証明できなかったため、逮捕された。ここで、パリからルコックが呼ばれ、新たに現場検証が行なわれる。ルコックは、以下のようなトリックを喝破した。

 これらの証拠からルコックは、犯人は伯爵本人であると推理。ここで、伯爵夫妻を知る治安判事の口から、動機につながる過去の長い物語が語られる。最後に現代にもどって、ルコックの推理が正しかったことが明かされる。

『書類百十三号』 1867連載/同年単行本

 1867年のパリで、銀行の金庫から大金が盗まれる。事件を担当したパリ警視庁のファンフェルロ刑事は会計士が怪しいとにらみ、逮捕した。しかし、さしたる証拠もないため行き詰まり、上司のルコック警部に相談する。すでに警視庁の重要人物となっているルコックは、ファンフェルロの拙劣さを難詰し、自ら捜査に乗り出すことにした。
 犯行現場を検証したルコックは、会計士の無実を確信。釈放された彼のもとに変装して近づき、事件の鍵をにぎる過去の因縁を調べる。こうしてルコックの調べた過去の事件が、予審判事に提出する文書という形で、全体の半分を占める量で語られる。
 最後に現代にもどる。悪人たちの計略は暴露され、会計士は無罪となり、ルコックは手柄をたてる。

『パリの奴隷たち』 1867-68連載/1868単行本

 この作品は、犯罪事件とその捜査、という形式をとっていない。
 犯罪者集団がパリの上流階級の家庭の秘密をネタに恐喝をしていく様が語られる。忌まわしい過去をもつ貴族やブルジョワたちは、彼ら犯罪者集団の「奴隷」として、思うがままに従属させられていく。彼らの一世一代の謀略は公爵の子孫をまぐる結婚詐欺で、これに気づいたルコックが、最後に彼らを潰滅させる。

『ルコック探偵』 1868連載/1869単行本

 これはルコックの最初の事件となっている。まだ駆け出し刑事のルコックが、はじめての大事件に出世を夢見て活躍する。

 事件は場末の居酒屋でおこった。真夜中に上がったただならぬ悲鳴に、パトロール中の警官たちが駆けつけると、床には数人の死体があり、現場には労務者風の男がいた。たちまち男は逮捕されるが、若きルコックはその男の言動に疑問を感じ、老刑事アブサント親爺(通称アブサン)と共に調査をはじめる。現場の見取り図が挿入され、足跡(証拠として残すために石膏で靴型をとる)をはじめとしたさまざまな痕跡から、ルコックは現場には労務者風の男とは別に、謎の男と二人の女がいたことを突き止める。ルコックの集めた証拠は予審判事に評価された。
 逮捕された男は賊におそわれたために自己防衛したと供述。しかし彼は牢獄内から外部と暗号による通信を行なっているらしい。ルコックと予審判事は、事件の影に謎があると考え、容疑者を意図的に脱走させて尾行する計画をたてた。男はパリの街をさまよったあげく、最後は公爵の屋敷に消えた。ルコックが公爵邸を捜査するが、怪しい者が逃げ込んだ形跡は発見できなかった。
 ルコックは師のタバレ老人に相談する。タバレはルコックの見落とした事実を指摘し、容疑者は公爵本人だと推理する。

 ここから全体の三分の二にあたる第二部となり、過去の事件が語られる。多くの登場人物が錯綜する歴史メロドラマで、彼らが第一部に出てきた人物の誰にあたるのか、という興味もわかせる構成になっている。
 最後は再び現代にもどり、ルコックと公爵との対決が語られる。


 以上見てきたように、ほとんどの作品が、ルコックが事件を捜査する現代篇と、犯罪にいたる因果が語られる過去篇の、二部構成になっている。この二部構成でただちに思い出されるのが、コナン・ドイルのシャーロック・ホームズものの長篇だろう。周知のように、長篇第一作の『緋色の研究』(1887)、第二作の『四つの署名』(1890)、第四作の『恐怖の谷』(1914)は、このガボリオーの作品と同じ二部構成になっている。これまでの英国の探偵小説(に至る流れ)の語り口は、例えばディケンズにしろコリンズにしろ、このような二部構成はとっていない。ドイルがこういう構成をとったのは(少なくとも最初にこの構成を思いついたのは)、ガボリオーの作品を読んでいたためと見て間違いない。ガボリオーと違うのは、ドイルの作品は全体が比較的短いのと、第二部の過去篇が第一部に劣らず面白く読めるということである。これは発表年代の違いというよりも、発表媒体の違い、そして作者の力量の違いと言えよう。

 かつて探偵小説はさかさまに描かれた小説であると言われた。これは、通常の小説が最後の事件にむかって登場人物たちの行動を記述していくのに対し、探偵小説は最初に事件を記述し、それからその事件がおこった過去の因縁をさぐっていくというわけだ。因果を語るのに、果から因を探るのが、探偵小説のプロットなのである。これからすると、創成期の探偵小説が二部構成を採用し、どうしてこういう事件が起こってしまったかを第二部で長々と語るのは、不思議ではない。十九世紀の作家と読者にとって、探偵小説とはそういうものだったのだろう。

 さて、前回確認したように、タバレ老人は天才型名探偵として描かれている。例えば『ルコック探偵』で、捜査に行き詰ったルコックが相談に尋ねると、すぐさまルコックの失敗の原因を指摘し、正しい解決への道筋を示す。タバレの指摘にたじろくルコックに、こう諭すのだ。

「それは君が前提となる理論を押しとおさないからさ。わしはそれをやる。わしは首尾一貫しとるよ。だからこう考えた。『シュパン後家の居酒屋の殺人犯がセルムーズ公爵だなんて、あり得ないことのように見えるぞ! だから殺人者メ((メという名前の容疑者。「殺人者め!」と罵っているわけではない。))は、自称大道芸人は、セルムーズ公爵だ』とね」

 どうしてタバレ老人はこんな風に考えるのだろう? ルコックが理解できないのはこれだった。(『ルコック探偵』p85)

 論理に徹し、固定観念で推論を曇らせない。金や出世のためではなく、自らの喜びと名誉のために探偵を行うのがタバレ老人である。つぎのような仕草も、例えば後年のホームズを連想させる。

 タバレはアブサンの方をふり向いて言った。

「すまないが、わしの書庫から……、こっち側の……二折版で『現代人名辞典』という書名の本を持ってきておくれ。右の方の本箱の中にあるから」

 本を手にするとタバレ老人は熱心にページをくり始めた。

「ここだ! いいかい、よくお聞き」

 では、彼の弟子で警察官であるルコックはどんな人物に描かれているのか。

彼(ルコック)は、自分の進むべき道を自覚している男の常で、仕事にかかると熱にうかされたようにうちこんだ。控え目に見せかけてはいるがその実、立身出世の野望をひそめて、いつかは思う存分の腕をふるってやろうと根気よく機会をねらっていた。(『ルコック探偵』p11)

 ルコックは出世の糸口は逃さない。自らが探り出した証拠を報告するさいも、「目に見えて自分を推挙するようなことはつつしんだ。説明の記述のなかでもただの一度も自分の名前を記入しないて『一警官』と書いただけだった」(『ルコック探偵』p24)のも謙遜からではなく、最初は陰に隠れて、効果的と思える場所で名乗りを上げることで署長の印象をよくしようとしてのことである。また、上司ジュヴロルの無能さをそれとなく指摘もする。容疑者から、「出世目当ての警官のいいがかりだ」と罵られると、「急所をつかれた」と動揺し、場所柄を忘れ激怒する。また誉められると、、「ルコックもさすがに恐縮して、処女のようにぽっと顔を赧らめ(『河畔の悲劇』p522)」るのだ。

 無能で嫉妬深い上司のジュヴロル警部については、ルコックはこう語る。

「彼はテーブルの上に十万フランの現ナマを積まれても、犯人をにがすものではありません。しかし、彼に疑惑を抱くこの私をへこますためなら、被告人を十人だって助けるでしょう」(『ルコック探偵』p63)

「あの連中がおれを片づける短刀を目の前につきつけたって、たじろぎはしないよ。警視庁警官が危険に身をさらせないようじゃ、ただのいぬでしかないさ。ジェヴロルは絶対たじろがない……」(『ルコック探偵』p70)

 立身出世の野望をもち、姑息な手段をつかってもチャンスは逃さず、お世辞に弱い。しかし、野望をもつだけあって有能であり、仲間の警察官の勇気と誠実さについては、疑いをいだいていない。このような人間味あふれる警察官がでてくる作品を、われわれはすぐに思い浮かべることができる。それは、クロフツのフレンチ警部であり、シムノンのメグレ警部、さらに、1950年代から英米で書かれ始める警察小説の一群である。

 警察小説 Police Procedural は警察の捜査活動をリアルに描き出す作風であるが、都筑道夫の『この街のどこかに』の解説によると、この派は当初F・L・F・D派(fact-like fictional detection(注1)と呼ばれたらしい。その解説の中で、都筑道夫は次のように述べている。

このプロクターの作品などを読んでいると、もっとさかのぼった源泉が思い当たるような気がするのだ。フランスのガボリオウである。超人的でない警察官の活動に、登場人物の人情噺がからんでくるあたり、現代イギリスの警察小説はガボリオウの見事な近代化といっていいのではないかと思う。

 ガボリオーからクロフツ、シムノンを経て1950年代の警察小説へと至る道すじはたしかにありうるだろう。そして、かれらの始祖ルコック探偵は、天才型名探偵の愛弟子であったことを忘れてはならない。


(注1) ポケミスの解説文では、最後の単語は dectieion となっている。誤植だと思われるため、修正した。 (本文に戻る)


■作品案内

■今回の主な参考資料


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