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■ミステリの歴史■


4.フランス 1840年代〜1860年

(5)ガボリオーと探偵小説の現実性


 中島河太郎は東都書房版『世界推理小説大系2/ガボリオ集』の解説を、こう書き出している。

現代の推理小説の読者では、ガボリオの作品とは縁がないかもしれない。戦後この分野では全集、叢書の類がしばしば試みられたにも拘らず、ガボリオを加えた例は稀である。

 そして、作品については、「登場人物に関係した事件とは傍系の物語を綿々と語られるのは、はなはだ迷惑なのである。」と述べた。

 事情はアメリカでもかわらない。ハワード・ヘイクラフトは『娯楽としての殺人』のなかで、こうガボリオーを評した。

逆説的にいえば、今日の名声はもっぱらほとんど読まれないということにあるのだ。ガボリオーは、みんなが名をあげるくせに、じつのところだれも読んだことのない種の作家のひとりである。現代の読者はほんのわずかなすぐれた探偵事件の種子をさがすために、安っぽいどたばた騒ぎや誇張や、馬鹿げた煽情性や退屈な枝葉、おそるべき不自然な言葉づかいなどなどの、この新聞小説家の欠点にはたえきれまい。

 ジュリアン・シモンズは『ブラッディ・マーダー』で、もう少し弁護する。

ガボリオにはユーモアのセンスが欠けていて、人物を描写する技術にも物足らぬものがあった。だからといって一部の批評家のように、ガボリオの作品は安っぽい人形だけを躍らせていて、ストーリーには無意味な逸脱部分が多く、退屈で不自然な長ばなしにすぎないと極めつけるのも行きすぎである。ガボリオはいまだに不当に過小評価されている作家で、その犯罪小説は警察当局の捜査方法についての実質的な知識にもとづいており、するどい知性による分析を特徴としているのである。

 この三つの評は、どれも真実である。ガボリオーを(そして、このころのフランスの大衆小説を)考えるときには、大衆新聞に連載された小説だということを前提にしなければならない。全体としてみると、たしかに「ミステリとしてはおおよそ今日の鑑賞にたえうるものではない」(森英俊の『ルコック探偵』評/『世界ミステリ作家事典[本格派篇]』ガボリオーの項)が、探偵小説的な部分だけ取り出せば、意外に読めることも確かだ。これはおそらく、同じロマン・フィユトンの流れであるモーリス・ルブラン(1864-1941)のアルセーヌ・ルパン・シリーズや、ガストン・ルルー(1868-1927)のルレタビーユ・シリーズについてもいえることだろう。

 ヘイクラフトはこのあたりの事情を、「彼はじっさい筋と探偵事件とをべつべつにあつかっている。筋については、その作品はまったく物理的で、探偵事件についてはほとんど『マリー・ロジェー』に匹敵するほど精密で心理的である。この不自然なくみあわせの結果は、均衡のとれたというよりむしろ分離された探偵小説である。」(『娯楽としての殺人』)と述べ、その失敗の原因をこう指摘する。

黄表紙本のすさまじいかぎりの非現実性と、探偵事件の冷静な論理性とのふたつのあいいれない要素をまぜあわそうと奮闘しながら、この形式がぜひとももたねばならぬもののひとつをこわしたしまったのである。すなわち、すくなくとも本当らしくみえる外観というものである。

 この形式(=探偵小説)がぜひとももたねばならぬもの、それは「本当らしくみえる外観」だという。そして、ウィラード・ハンティントン・ライト、すなわちS・S・ヴァン・ダインの次の文章を引用する。

真実らしいという感じは探偵小説にとって本質的なことである。

 これは、「傑作探偵小説/序文」にある文章で、田中純蔵の訳では、たぶん「探偵小説にとっては、現実感が不可欠である。」の部分だろう。そのあと、ライトはこう続ける。

探偵小説のプロットを自然主義的環境から取り出して、空想的な雰囲気を与えようとするこころみが何度か行なわれたが、いずれも失敗だった。「スペインの古城」的雰囲気というのは、読者に日常の実生活からの逃避を可能にするもので、普通の通俗小説には魅力や親しみをもたらしてくれる。しかし、探偵小説の場合は、現実感が十分に保たれていないと、その目的が――つまり解決にともなう精神的な報いが――失われてしまいがちである。謎そのものにつまらない感じが出てきて、読者は無駄な努力をしているという感じを抱きがちなのである。

 「スペインの古城的雰囲気」というのは、ゴシック小説を指していると思われる。。なんと、あのヴァン・ダインが、そうした現実離れした設定は、探偵小説には不適切である、というのだ! お前が言うなよ、と突っ込みたくもなるだろう。しかし、ここでライト(ヴァン・ダイン)は、たぶん大真面目にこういっているのだ。このあとの箇所で、現実感を増すため(=現実の事件の本物の記録のように見せるため)に見取り図やら実在の事件の利用をあげている。これらが、ヴァン・ダインの作品に頻繁に使われていることを思い出せばよい。

 ガボリオーの作品は、ヘイクラフトのいうように「本当らしくみえる外観」がなく、つまらない枝葉が多い。それは、中島河太郎が解説を書いた1964年の「現代」でもそうだったし、『娯楽としての殺人』が書かれた1958年の「今日」でもそうだった。それどころか、昭和4年(1929)に出た改造社版世界大衆文学全集のガボリオーの巻ですでに、原作の6割から7割ほどある『ルコック探偵』の第二部(事件の過去の歴史を語る部分)は、第一部の三分の一ほどに抄訳されている。すでにこの時点で、ガボリオーの「探偵小説以外の部分」はつまらない枝葉だったのだ。しかし、ガボリオーの作品を最初に読んだ1860年代のフランスの大衆はそうは思わなかった。彼らはそうした「探偵小説」以外の筋立てを現実感を持って読み、大いに楽しんだ。そして、探偵小説的な部分もまた、今日の読者が現代の探偵小説をそういう風に読むように(私が言っているのではない。ヴァン・ダインがそう言っているのだ)、「本当らしく」読んだはずである。これは、ガボリオーがルコック探偵シリーズを連載した大衆紙《プチ・ジュルナル》がどんな新聞だったかを知ればよくわかる。

 すでに引用したように、《プチ・ジュルナル》の読者層は、「新聞など読んだこともなく、言説(ディスクール)といえば、教会の神父の説教か、近所の長老の教訓的な談話、さもなければ、カフェのおやじの噂話や猥談ぐらいしか知らない階層」(鹿島茂『かの悪名高き』)であった。「パンと比べてもはるかに安い」(小倉孝誠『近代フランスの誘惑』)この大衆紙の紙面は、道徳的教訓をまじえて啓蒙的に行われる時評、犯罪・事故・情痴事件などの三面記事、血湧き肉踊る連載小説の三本柱で成り立っていた。

 もともと驚異的な数字だった《プチ・ジュルナル》の発行部数がさらに飛躍的に伸びるきっかけが、1869年9月におこったトロップマン事件の報道だった。パリで一家の両親と六人の子供が皆殺しにされたこの事件の詳細を、《プチ・ジュルナル》は連日、あくまで扇情的に伝え、またたくうちに60万部を売り上げる。「《プチ・ジュルナル》はたんに、興味本位のセンセーショナルな文体で読者の興味を掻き立てただけではなく、殺人現場に記者を派遣したり、犯人を独自に追跡したりして(ようするに自らが探偵小説の探偵となって)事件への興味を煽りたてたのである。」(『かの悪名高き』p103-104)「そしてまさに同時期、この新聞にはルコック探偵を主人公とするガボリオーの探偵小説が連載されていた。実際に起こった事件の報道と、犯罪をテーマとする連載小説の言説のあいだに本質的な差異はない。」(『近代フランスの誘惑』p145)

 《プチ・ジュルナル》を貪るように読んだフランスの大衆、都市の労働者や地方の農民たちには、ガボリオーの探偵小説も現実の事件も、いささかの違いもなく「真実」だった。「真実らしいという感じは探偵小説にとって本質的なことである」ならば、当時の読者にとって、ガボリオーの小説はまさしく「探偵小説」の条件を備えていたと言えるだろう。


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