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■ミステリの歴史■


4.フランス 1840年代〜1860年

(3)ポール・フェヴァルとポンソン・デュ・テラーユ


 ポール・フェヴァルは王立裁判所判事の父と貴族出身の母の間に、五人兄姉の末っ子として、1816年にレンヌで生まれた。もともと生活は楽ではなかったが、1827年に父が死ぬと、さらに苦しくなった。父の後を継いで法律を学び弁護士となるが成功せず、1836年に単身パリに出て、新聞の雑文書きや芝居の科白書き、校正の仕事などを経て、1839年に小説家デビュー。『あざらしクラブ』 Le Club des phoques(1841)や『白狼』 Le Loup blanc(1843)などの代表作を発表し、次第に読者を獲得するようになっていく。(注1)

 フェヴァルの転機となったのは、1843年から翌年にかけて「パリ通信」紙に連載された『ロンドンの秘密』Les Mysteres de Londres で、これはもともとシューの『パリの秘密』の人気に便乗した企画だった。当初はイギリス作家の作品を予定していたが、それがとても掲載できるレベルのものではないとわかり、急遽フェヴァルに白羽の矢がたったのである。『ロンドンの秘密』は成功をおさめ、フェヴァルは人気新聞小説家として活躍することになった。

 『ロンドンの秘密』は、どんな小説だったのだろうか。

 この小説は、祖国の「仇」を討つためにイギリス人に対してさまざまな犯罪をもくろむ一アイルランド人の奇怪な物語だが、主人公たる勲爵士(シュヴァリエ)ラガンデールは、シューのプリンス・ロドルフやデューマのモンテ・クリスト伯と同じように、自分が正しいと信ずる懲罰を自ら執行するだけでなく、ある程度の探偵術を使って罰する相手の有罪を立証したり、その秘密をあばいたりするのである。(中略)現在のわれわれの観点から見て、最も興味があるのは、フェヴァルがこの小説の中で、追従的な物腰と、仕事の料金はいつも前金で支払いを要求するビジネスライクな習慣をもった、背のひょろ高いイギリス人の私立探偵を創造したことである。(『推理小説の歴史』)

 おそらく、犯罪のからむ冒険小説的なものを想像すればいいのかもしれない。

愛と復讐の騎士

 新聞小説家としての条件に筆の早いことがあげられるだろうが、フェヴァルも例外ではなく、「109巻に及ぶ72の長編小説、18の戯曲、その内6つは小説からの翻案、68の中編小説、4巻の自伝、8巻の歴史研究、そしてカトリックの実践に立ち戻った後には、多くの教訓的パンフレット(注2)を書いたという。それらは犯罪をテーマにするものばかりではなく、風俗小説、歴史小説、風刺小説も多かったようだ。代表作は『せむし』Le Bossu(1857)で、「騎士ラガルデールが、ヌヴェール公の遺児オロールを守り、彼女の地位と財産を取り戻してやるという」(「ポール・フェヴァル試論」)冒険活劇である。何度も映画化、テレビ化され、最近では1997年に映画化されたものがあり、『愛と復讐の騎士』(1997)の邦題でDVD発売もされている。(右図)監督はなんと、フィリップ・ド・ブロカ!

 時代はすでに第二帝政期(1852-70)に入っていた。第二帝政期はジャーナリズムや出版界にきびしい監視が行われ、言論の自由が制限された時代とされている。公序良俗を壊乱するような文学作品は発表が困難になり、ユゴーやシューは亡命する。しかし政治的な問題に触れなければ出版は比較的自由に行うことができるという一面もあった。非政治的な新聞は税金を免除され、また1856年からは発行地以外でも予約購読なしに販売が可能になる。これにより1860年代になると、安価な大衆紙が生れてくる。

 1863年に創刊された「プチ・ジュルナル」は、政治色を排除し、版型を他の新聞の半分にし、一部5サンチーム(これまでの3分の1)で売り出された大衆紙である。「パリで発刊され、地方でも一部ずつ売り出された最初の新聞」(『「パリの秘密」の社会史』p42)だった。紙面は、道徳的教訓をまじえて啓蒙的に行われる時評、犯罪・事故・情痴事件などの三面記事、血湧き肉踊る連載小説の三本柱で成り立っていた。

 シューが連載をした「ジュルナル・デ・デバ」や「ル・コンスティテュショネル」は高級紙であった。これらの新聞の読者層と「プチ・ジュルナル」の読者層は、はっきり違っていた。

 新聞を予約購読するような人間は、有産階級とは言わぬまでも、すくなくとも、肉体労働とは無縁の階級に属していた。言い換えれば、読む側と書く側の双方に共通のコードが確立されていたということである。(中略)ジラルダンの《プレス》やヴィルメサンの《フィガロ》は、娯楽的な要素が拡大したとはいえ、まだこのコードの内側にとどまっていた。

 ところが、ミヨーの《プチ・ジュルナル》はあきらかに、このコードの外側に読者層を拡大しようとしていた。つまり、これまで、新聞など読んだこともなく、言説(ディスクール)といえば、教会の神父の説教か、近所の長老の教訓的な談話、さもなければ、カフェのおやじの噂話や猥談ぐらいしか知らない階層が《プチ・ジュルナル》のターゲットとして設定されていたのである。(鹿島茂『かの悪名高き―十九世紀パリ怪人伝』p96-98)

 そこに連載される小説も、したがってより大衆的なものにならざるを得ない。

 1860 年代は大衆紙発展の時代であった。多くの新聞小説家は、活躍の場を大衆紙に移す。新聞小説といえば、教養のない者たちが読むものだと考えられ、デュマやシューが連載していた時代よりも悪いイメージを持たれていた。(一條由紀「ポール・フェヴァル試論」)

 「プチ・ジュルナル」の連載小説は、超人的なヒーローの冒険譚や犯罪物語が中心となり、有名なものにポンソン・デュ・テラール(1829-1871)の快男児ロカンボール・シリーズがある。1859年にはじまった(注3)このシリーズは、端麗な容姿と明るい性格をもつ主人公が、ヴィドックを原型としたような常習犯罪者となって活躍する冒険活劇のようだ。

 これまでは悪漢の手下にすぎなかったロカンボールが、第二作以後、ギャング団の首領で、しかも貴公子として冒険に乗り出す。その好評にこたえて、彼を主人公とするシリーズが延々として続き、後には悪漢変じて私立探偵的仕事を請負うようになる。(東都書房版『世界推理小説大系2/ガボリオ集』解説)

 伊達男の犯罪者というキャラクターで探偵仕事にも乗り出すというは、のちのルパンへの影響もあげられるだろう。

デュマの歴史小説の技法を継承しつつ、物語の舞台を現代に設定したこのシリーズは、ロカンボールと悪の勢力の絶え間のない抗争を語る。荒唐無稽の誹りを免れないこの作品は、物語の布置や人物造型においてはロマン主義時代の新聞小説の美学を色濃く反映している。『パリの秘密』のロドルフ、『モンテ=クリスト伯』のダンテスや『三銃士』のダルタニャンらはみな多少とも、社会の悪と闘う正義の士であり、しかも警察や司法機関の助けをもとめずみずからの叡智にもとづいて行動する独立した個人であった。ロカンボールもそうしたヒーローの系譜に属するといえるだろう。その系譜は思いがけないところにまでたどることができる。。イタリアの哲学者アントニオ・グラシムは、ニーチェ的な「超人」の民衆的起源はフランスのロマン主義的な大衆小説のヒーローにあると主張しているし、ウンベルト・エーコはそのにジェームズ・ボンドやターザンといった二十世紀大衆文化が流布させた英雄像の先駆を見ているくらいだ。(『「パリの秘密」の社会史』p43-44)

チャニング・ポロック

 ロカンボール・シリーズには大正10年(1921) に紅玉堂から出た『遺産二千万』という訳書があるものの、現在、日本では手軽には読むことはできない。しかしフランスでは根強い人気があるようで、フランスで1996年に「ロマン・ポリシェのフランス人ヒーローたち」という切手のシリーズが発行された時、その一枚にはいっている。(右図)(注4)また、1962年に奇術師チャニング・ポロック主演で映画化され、「怪盗ロカンボール」として日本でも公開された。(左図)

 1860年代の新聞小説界で、ポンソン・デュ・テラーユとポール・フェヴァルはライバルだったという。フェヴァルはロカンボール・シリーズに対抗して、1863年からパリで暗躍する悪の組織を描く「黒衣団」Les Habits noirs シリーズ(注5)を書き始めた。「黒衣団」の第1作は「ル・コンスティテュショネル」に連載された。フェヴァルは、ポンソン・デュ・テラーユと違って「プチ・ジュルナル」のような低級な大衆紙には書かないことを自負していたという。「復讐の目的で乞食に姿を買えて敵を追いつめる話で、主人公の推理と変装術が描かれている」(東都書房版『世界推理小説大系2/ガボリオ集』』解説)というこのシリーズは、1875年の7作目まで断続的に書き続けられることになる。

 しかし、ロカンボール・シリーズや「黒衣団」シリーズは、犯罪を扱った冒険活劇であって、探偵が謎を解く「探偵小説」とはいえない。イギリスのセンセーション・ノヴェルズとおなじように、多彩な筋の一部で探偵行為を扱っても、それは小説全体を貫く主筋ではなかった。

 「プチ・ジュルナル」の発行部数は1867年には25万部にまで伸びる。これは、当時パリで発行されていたすべての政治的な日刊紙の合計数よりも多い。ちょうどその頃、この大衆紙はポンソン・デュ・テラールを他紙に引き抜かれたため、ひとりの新しい作家を起用する。それがフェヴァルの弟子エミール・ガボリオーであり、書いたのはパリ警視庁の刑事を主人公にしたシリーズだった。それが世界最初の長篇探偵小説とされるルコック探偵シリーズである。


(注1) フェヴァルの生涯についての情報は、すべて一條由紀「ポール・フェヴァル試論」による。 (本文に戻る)

(注2) フランシス・ラカサンによる資料を一條由紀「ポール・フェヴァル試論」より孫引き (本文に戻る)

(注3) 『推理小説の源流』による。「ポール・フェヴァル試論」では1857年にはじまったことになっている。 (本文に戻る)

(注4) ちなみに、他のキャラクターはルパン、ルレタビーユ、ファントマ、メグレ、ネストール・ビュルマ(レオ・マレ作)。これからすると、ルコック探偵よりも、一般の知名度は高いということになる。 (本文に戻る)

(注5) シリーズ名は、中島河太郎の文章にある「黒衣団」とした。一條由紀の論文にある「黒服」では気分がでない。ただし、引用文は表記どおりとしている。 (本文に戻る)


■今回の主な参考資料


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