ヤモリと正太


                   一

「あれれっ」 

ベッドの上にひっくり返って天井を見上げた正太はびっくりした。

 天井にはり付けられた照明器具の白いカバーの中を動き回る小さな影がある。

影が動きをとめると、三本の蛍光灯の光をあびて半透明になったカバーは黒い姿をくっきりと映し出した。とがった鼻先へつづく頭、細く長いしっぽ、四本のあしの先の小さな指まで見える。

 「ヤモリだ。すき間からもぐり込んで出られなくなったんだ」

正太は考えた。

助けてやりたいけれど天井には手がとどかないや。いすに乗ってもダメだな。大人が高いふみ台に乗ってやっとだもの。おとうさんはまだ帰ってないし。おかあさんはゴキブリでもさわぐから、ヤモリじゃ「わあ、気味がわるい」と逃げだして役にたたないだろう。

「かわいそうだけれど、どうにもならないよ」

考えているうちに正太は眠ってしまった。

                   二

「正太さん、いっしょに来てくれませんか?」

「ぼくを呼ぶのはだれだい」

「正太さんが、かわいそうだって考えたヤモリですよ」

「助けようと思ったけれど手がとどかないんだ」

「だいじょうぶ。もう抜け出せたから。いっしょに来てくれさえすればいいんですよ」

「どこへ行くの?」

「わたしが帰るところ」

「それはどこ?」

「わたしにも分からないんです。だからいっしょに来てほしいのです」

「きみが分からないのなら、ぼくが行ってもどうにもならないよ」

「正太さんはやさしくて勇気がある。きっとわたしの助けになりますよ」

                  三

正太はヤモリの願いをいれて出発した。

二人が最初に行ったのはゴム風船の国だった。色とりどりの風船がみどりの野山を美しくかざっていた。

「やあきれいだなあ。この国に住む人たちはさぞ楽しいだろう」

この国の人たちはみんなゴム風船の家に住んでいた。家の中では、楽しむどころかだれもがいそがしそうに働いていた。

「みなさん、何をしているのですか?」

「家がどんどんふくらむので空気をぬいているのですよ」

「どうして勝手にふくらむんですか?」

「家がだんだん大きく広くなるのがいいと、誰もがどんどんふくらむ風船を選んだからです。その時は風船がふくらみ過ぎると割れてしまうことに気づかなかったのです」

「ふくらむのを止められないの?」

「まだ小さい家に住んでいる人もいます。その人たちにとっては、家がふくらむことが良いことなのです。その人たちは、この国全体も大きな風船だということがまだ分かっていません。わが家の空気をぬくことはできますが、風船の国全体がふくらむのは止められないのです」

「それじゃ、このままではいつか国が破れつするのですね」

正太はヤモリにいった。「ここはきみが帰るところじゃないよ」

                    四

つぎに二人が行ったのはトマトの国だった。

国中にトマトが実っていた。家の中までトマトがなっていた。

よく見るとトマトの木はどれも土に植えられていなかった。柵に支えられたトマトの木は水の中で育っていた。正太は小さな流れが網の目のように張りめぐらされているのに気づいた。その流れはそれぞれの家の中まで引き込まれていた。地面にも床にもすき間もなくトマトの根を浸すためのプラスチックの箱が置かれ、流れの水が注がれていた。

正太とヤモリがそれを眺めていると、うしろからとつぜん声が聞こえた。

「あやしいやつだ。おまえたちをつかまえたぞ」

いかめしい顔のおまわりさんは二人を警察に連れて行った。

「いったいなぜぼくたちをつかまえたのですか?」

正太がたずねるとおまわりさんは答えた。

「おまえたちはこの国の秘密をぬすみに来たのだろう。だれに頼まれたのだ」

「いいえ。何も頼まれていません。ぼくたちは旅行しているだけです」

「ウソをいってもダメだ。明日は裁判をひらくから正直に答えることだ」

牢屋に入れた二人に夕食のトマトを与えたおまわりさんが、大きな金庫を閉めるのを見て、正太は金庫の番号の組み合わせを覚えた。

「このトマトは大きいだけであまりおいしくないなあ」

「甘いけれど土の香りがしません」

トマトを食べおえると二人は逃げ出すことにした。すき間から外に出たヤモリに、正太はセーターをほどいた毛糸をくわえさせた。ヤモリがおまわりさんの机の引き出しの取っ手に毛糸を結びつけると正太はゆっくり引っぱった。少し開いた引き出しにもぐり込んだヤモリは牢屋のカギに毛糸を結びつけた。ヤモリの助けを借りながら毛糸を引くとカギは床に落ちて正太の手元に引きよせられた。外に出た正太は覚えた組番号で金庫を開いた。

金庫の一番奥に「機密」と書かれたファイルが重ねられていた。機密が、とくに大切な秘密のことだと正太は知っていた。ファイルを開いた正太は「トマトの水作り」「養分の与え方」「養分の作り方」などの文字を読んだ。

「なんだこの国の秘密というのは水でトマトを作る方法なんだ。流れの全体図もあるぞ。へえ、源は大統領の家だ。大統領が養分や水量をきめているんだ」

正太は考えた。なんだか変だぞ。人間が自然まで支配するなんて。ヤモリが「土の香りがしない」といったけれど、ぼくも土で作ったトマトのほうが好きだなあ。

「ねえきみ。ここもきみが帰る国じゃないよ」

                   五

二人がつぎに行ったのはお菓子の国だった。

どの家も全部お菓子でできていた。チョコレートの屋根にエクレアのかべの家もあれば、ウエハースのかべにホイップクリームを盛りあげた屋根の家もあった。どの家もお菓子でかざりたて国全体に甘い匂いが立ち込めていた。

「こりゃあすごいや。これはひょっとするときみの帰る国かもしれないよ」

「いいなあ。ここかなあ」

通りを歩いてゆくと、どの家の窓からもうちの人たちがせっせとお菓子を食べているのが見えた。うらやましそうに見ていたヤモリがいった。

「おかしいなあ。どの家でも、柱やかべをけずって食べているよ。自分の家なのに」

「ちょっと聞いてみよう」

正太は、屋根に上ってビスケットをはがしている人に声をかけた。

「それをどうするんですか?」

「食べるに決まってるじゃないか。なんだいきみたちは。いそがしいからあっちへ行ってくれ」

正太は思った。なんだか変だ。お菓子を食べるのにちっとも幸せそうじゃない。

「正太さん。むこうに教会がありますよ。神父さんなら話してくれるかもしれません」

礼拝堂の天井からシュークリームをはがしていた神父さんはハシゴを下りてきていった。

「遠い国から来たのですね。じゃあ採りたてのシュークリームをどうぞ」

「神父さん、この国の人たちはどうして自分の家をこわして食べてしまうのですか?」

「そうしないと重い税金がかけられるからですよ。景気がよくない年がつづいています。政府は国民に消費をふやすように呼びかけています。この国にはお菓子産業しかありません。消費をふやすというのは、お菓子をもっと食べろということなのです」

「でも自分の家をこわすのは…」

「この国の税務署は、どれだけお菓子を消費したか知るために家をしらべるのです。こわした部分はたちまち経済省から人がきて修理してしまいます。食べた量が少ない家には『消費しない税』がかけられます。みんなが必死で家を食べるのはそのためです。教会に税金はかけられませんが、私も消費をふやすためにこうして教会をこわしています。捨てては重い罰をうけますから、さあもっと食べてください。人を救うためです」

お腹がいっぱいになるまでお菓子を食べた正太とヤモリは、もっともっととすすめる神父さんが恐ろしくなった。お菓子を食べるのがつらいこともあるのだと思い知った。

二人は教会から逃げだした。お菓子を両手に持って「さあ、もっとどうぞ。どんどん食べてください」と追いかけてくる神父さんをふりきるために必死で走った。

                  六

「ああ恐かった。あんなの初めて」

「こんどはどんな国かな?あれ童話の家が見えてきたぞ」

そう、二人は童話の家の国にやってきたのだった。白雪姫の小人の家も、ヘンゼルとグレーテルの家も、三匹のこぶたの家も、眠り姫のお城も、赤ずきんの家もあった。

「これは楽しいな」

「この国なら恐くないなあ」

ところが、そうではないことに間もなく二人は気がついた。

通りを歩く人たちの顔にほほ笑みはなく、みんないそがしそうに前かがみの小走りだった。

「だれかに話をきかなくちゃ」

「あそこに『アリとキリギリスのアリの家』と書いてある。家は見えないけれど行ってみよう」

近くまで行くと地下に下りる石段があった。下のほうにドアが見えている。二人は下りて行ってそっとドアをたたいた。中から「だあれ」と声がきこえた。

「遠くからきた正太とヤモリです。ちょっとお話を聞きたくて…」

ドアが開いてかわいい女の子が顔をだした。

「おとなたちはみんな仕事よ。なんのお話をすればいいの?」

「この国の家のこと」

「ふん。そんなことも知らないの。この国の家はみんな童話の家なの」

「楽しそうな家なのに、みんなどうして暗い顔をしてるんだろう」

「ふん。そんなことも知らないの。童話の家はきれいな色で面白い形をしてるでしょ?だから全部プラスチックやビニールで作るしかないの」

「それで?」

「分からないの?化学材料で作った家は長持ちしない。数年でひび割れするわ。こわして建て直すしかないけれど、こわした家をどうすればいいと思う?」

「燃やすか、地面に埋めるか…」

「ふん。あなたたちがバカだってことはっきり分かったわ。化学で作ったものは燃やすと毒のガスがでるし、土に埋めても朽ちない。分かる?土に返らないの」

「じゃあ、捨てる」

「ふん。どこへ捨てるのよ。長い間捨て続けたからもう捨てるところがないの。国中がゴミに埋まってゆくのよ。だから、つぎに捨てる場所を自分で探して役所で『捨て場あり証明書』をもらわないと家が建てられないの。みんな必死だわ」

「じゃあ、きみの家のおとなたちも捨て場さがしに?」

「ふん。いよいよバカね。よく見てよ。この家のどこがプラスチックでできてる?わたしの家は地下にあるからひび割れたりしないわ」

「きみは、人のことをバカバカといっていばっている。自分の家がだいじょうぶだから人の悩みに平気なんだね?」

「何をいうかと思えば…。このバカが。私がどんなに悲しい思いをしてこの国の話をしたか、ちっとも分かってないのね」

とつぜん女の子は大声で泣き出した。

「ごめん、ごめん。きみにつらい話をさせたぼくたちが悪かった」

「ごめんなさい。ゆるしてください」

二人は女の子が泣き止むまで頭を下げつづけた。

                 七

「もうつかれたね」

「わたしが帰るところはないかもしれない」

とうとう二人はとほうもなくいなかの国にやってきた。

「この国の家の屋根は草で葺いてある」

「雨もりしないかな?」

「あんなにぶあつく葺いてあるからだいじょうぶだろう」

「みんな古そうな家ばかり。あの家の屋根には草が生えてる!」

二人はすっかり元気をなくして歩いていった。

「おや、遠い国からきたお二人。少しうちで休んでゆきなさいよ」

ある家の中から声がかかった。見ると、白いひげのおじいさんが手招きしている。

「ちょっとよって話をきいてみよう」

「こんにちは。この家はどのくらい古いのですか?」

「この家を建てたのは祖父の祖父の祖父だから、もう三百年あまりもたってるね」

「あの屋根がそんなに長持ちするのですか?」

「屋根は何度も葺きかえたさ。でもね一度葺くと六、七〇年もつんだよ。とちゅうで傷んだ部分を修理さえしておけば…。それと煙をたやさないこと。虫が食ったりしないようにね」

屋根に草が生えてる家もありましたよ」

「ははは、びっくりしたかい?このあたりの家の屋根は、いずれは朽ちて土に返るのだから、葺きかえる前だって古びれば草も生えるさ」

「土に返るのですか?」

「そうさ。古い屋根は地面に下ろして土に返し、その土からまた新しい草が生える。その草で葺いた屋根が古くなればまた地面に下ろし、また生えた草で新しい屋根ができる。順ぐりにめぐるのさ」

「順に土に返るの?」

「そうだよ。草だけじゃない。花も木も植物はすべて。人や虫や動物だってそうさ、生きているものはいつかは命がつきる。だれもかも全部順番に土に返るのだよ。先に生きたものが土に返ることでつぎの命が生まれるのさ。生きっぱなし、死にっぱなしというのはこの国にはないな。交互にめぐって行くのさ。絶えることなく」

「すごいことですね」

「そうでもないよ。ここでは昔からずっとそうだったのだから」

「昔から、今も?」

「この国では今もそうだよ。他の国は変わってしまったようだね。本当は変えられないことを変えようと無理をして困っている国も多いようだけれど」

「昔と変わらないおじいさんの暮らしは幸せですか?」

「これまで生きてきて不幸だと思ったことはないね。それぞれの喜びや悲しみはあっても、この家には三百年間ゆったりとアンダンテのリズムで時間が流れているからね。この国ではみんな同じようなものだと思うよ。もっとも、若いものにはおもしろくないかもしれない。楽しそうな国へ夢を見に行ったものも多いから。しかし、そのうちにきっと目がさめてもどってくるよ」

「あのう、ひとつ聞いてもいいですか?命がつきると、土に返らずに天国に行くのではありませんか?」

「そうだね。土に返るのは体だけ。魂は天国に行く。その天国はどこにある?」

「天の国だから、空の上でしょ?」

「そう思うかい?でもね、宇宙飛行士がいくらさがしても、どんなに遠くへロケットをとばしても、天国は見つからないよ。天国は空にはないのさ」

「じゃあ、どこにあるの?」

「生きている人の思い出の中にある。魂は、その思い出の国でいつまでも生き続けることができる。一方で、土に返った体は新しい命を生みだす。そうして生まれた命をいただいて人や動物は生きることができる。この国の命の不思議なつながりだ」

おじいさんの話をだまって聞いていたヤモリがいった。

「正太さん。わたしが帰る国はどうもここのようです。ここでお別れしますよ。
  正太さんありがとう。ごきげんよう」

                  八

「あれれっ。あいつまだいるよ」

 つぎの夜、天井を見上げて正太はさけんだ。

 照明器具のカバーに少しうすれたヤモリの影が見える。

「おとうさん、ちょっときて。お願い」

三段のふみ台の上に立ったおとうさんはカバーをはずした。

「あれまあ、すっかり干からびて砂のようになってる。蛍光灯の熱で乾燥したんだね。正太、掃除機を持ってきてよ」

「おとうさん、だめだめ。掃除機なんて。土に返さなきゃかわいそうでしょ?」

正太は絵筆を使って砂のようになったヤモリを白い紙の上に掃き移した。

よく朝、庭に下りた正太は花壇のすみにヤモリの砂を埋めた。


秋のはじめ、花壇のすみに露草があい色の小さな花をつけているのを正太は見つけた。

「やあ、きみはもう新しい命を生んだのだね。こんなにきれいな姿になってよかった。
  ほんとにいいやつだったものなあ」

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