シカとミズナラ
           
セイちゃんは おじいさまと山のぼりにきました。
あかるいひざしが森にさしこんで じめんにうつる葉っぱのかげが おどっているようです。
「みどりが きれいだね」
「そうだね。このきせつの みどりを しんりょく というんだよ」
「あたらしい葉っぱのいろだね」
おじいさまは木のなまえを おしえてくれました。
ブナ ナラ クヌギ コナラ ミズナラ…
「とても おぼえられないよ」
「いいんだよ わすれても。おぼえたり わすれたり なんども くりかえせば いいんだ」
セイちゃんは一本の木に目をとめました。
「あの木は どうしたんだろう」
その木は セイちゃんの こしの高さから あたまの上あたりまで みきの皮が はがれています。
「あれは シカがたべたんだよ」
「ええっ!シカが?クマやサルってことも あるんじゃない?」
「クマは かずが少ないし、ひっかきはするが、こんなに はがすことはない。サルは えだは かじっても、みきの皮はかたすぎるだろう」
「木の皮って おいしいのかな?」
「どうかな?ふだんの シカのたべものじゃあないね。冬に たべるものがなくなって しかたなくたべるんだろう」
「でも ふしぎだね。たべられているのは この木だけだよ」
「そうだなあ。ほかの木の ひがいは小さいね。シカの好ききらいなのかな」

 ふたりのことばを 古い大きなミズナラの木が きいていました。
 ミズナラは セイちゃんに かたりかけました。
 でも そのこえはセイちゃんの耳には とどきません。
 そよかぜが ふいたような気がしただけでした。
 ミズナラは このようなおはなしをしたのです。

 ぼうや。この森には たくさんの生きものが すんでいるんだ。
 それぞれに いっしょうけんめい生きている。
 生きるために ほかの生きものの いのちを たべなくてはならない。
 シカは 草のいのちをたべるが、そのふんが こやしとなって木をそだてる。
 木は 地めんに葉っぱをおとし、それがこやしにかわって草をそだてる。
 たべたり たべられたりしながら、生きものが森をまもってきたのだ。

 ところが、 このごろ ようすがかわってきた。
 あたたかい気候が森をかえはじめたのだ。
 にんげんは これを『温暖化』といっているようだな。
 冬に ゆきが少なくなり、それほど こごえなくても すごせるようになった。
 むかしは よわいシカは冬のあいだに しんでしまった。
 春をむかえられるのは からだのつよいシカだけだった。
 かずが むやみにふえなかったから、シカも たべものに こまることはなかった。
 それがいまは、 みんな生きのびるから シカのかずがふえた。
 おおぜいがたべるから、シカのたべものが たりなくなった。
 おなかをすかせたシカは、毒でないものは なんでもたべる。かじる。
 草地も お花ばたけも たべつくされ、地めんがむきだしになり、森はあれはじめた。

 セイちゃんとおじいさまは、森のまん中に きていました。
「ごらん。あの大きな木は、みきが ほらあなのように なってるのに、まだ あおあおとしげってる」
「古くて 大きな木は みきの うちがわから くちるんだね」

 そうなんだよ。ぼうや。
 木のいのちをささえるのは、皮のぶぶんなのだ。
 シカに皮をかじられた木は 生きてゆけない。よわり やがて枯れてしまう。
 森の木々は しんぱいしていた。シカのせいで みんな枯れてしまうってね。
 ほうっておくわけにはいかない。これは たいへんなもんだいだ。
 わたしは シカにあつまってもらうことにした。
 木のよびかけに 森にすむシカがあつまってきた。
 わたしは、まずおねがいした。
「木の皮を かじらないでほしい」
 いちばん大きなシカが こたえた。
「冬のあいだは ほかにたべものがない。木の皮を かじるしかないじゃないか」
「そうだ」
「そのとおり」
と、シカたちがくちぐちにいった。
 わたしは せつめいした。
「かじられた木は やがて枯れる。みなさんが かじりつづければ やがて木がなくなってしまうぞ。そうなったら みなさんも こまるだろう?」
「それは うんと先のはなしだろう?いまは 生きるためにたべるよ。木があるうちは」
 はなしあいは まとまらなかった。
 わたしはかんがえた。かんがえつづけた。
 たしかに シカも生きるために たべているのだ。
 木もシカも 生きつづけなくては ならない。
 みんなにとって よい方法はないものだろうか。
 やがて わたしは ひとつの案をおもいついた。
 それでうまくゆくかどうか あれこれかんがえた。
 うまくゆきそうに おもえた。 
 これでまとめるしかない。
 わたしは また シカによびかけた。
「またかよ」
「なんどたのまれても、たべることは やめられないよ」
 シカたちは ぶつぶついいながら、それでも あつまってきた。
 わたしはいった。
「みなさんが生きるために たべるのは、しかたがない。しかし みんなが好きかってに かじれば、やがて木は ぜんぶ枯れる。木は すぐにはそだたないから、シカのみなさんも生きられなくなる」
 シカたちは くちぐちにいった。
「それは このまえにきいたぞ」
「おなじことを くりかえすな」
「おどかしたってだめだ。木があるうちは たべるぞ」
 わたしはいった。
「まあ きいてください。みなさんも たべなくてはならない。でもね かってに たべないでほしいのです」
 シカたちは どっとわらった。
「じゃあ、いただきますって いおうか?」
「たべさせてくださいって おねがいしようか?」
「なにがいいたいのか さっぱりわからないぞ」
「どうしろって いうんだ」
 わたしは しずかにいった。
「みなさんが たべてもよい木をきめます。どうぞ好きなように かじってください。でも、その一本いがいは かじらないって やくそくしてほしいのです。そうすれば、森の木々は生きつづけられます」
 わたしのことばをきいた 森の木々は どよめいた。
「そんなこと かってにきめるなよ」
「森の木ぜんぶの もんだいだぞ。おまえに まかせた おぼえはない」
「かじられやくの その一本はしぬよ」
「おれはいやだ。かじられやくに なりたくない」
「その一本を だれがきめるんだ?」
 木々の いかりのこえは いつまでもしずまらなかった。
 いちばん大きなシカは わらっていった。
「おまえのていあんは わかった。しかし みんな いやがっているよ。かじってよい木を だれがえらぶんだ?」
「わたしだ」
「ほう。おまえに そのしかくが あるのか?おまえがえらんだ木は いやがらずに かじられやくになるのかな?」
「それは だいじょうぶだ。かならずしたがう」
「それじゃあ えらんでもらおう。どの木かな?」
「わたしだ」
 森の木々は どよめいた。
「なんということだ」
「じぶんをえらぶなんて」
「しらなかった」
「だから ひとりできめたんだな」
 シカたちも どよめいた。
「うへっ。まずそうな としより」
「これしか たべられないのか」
 わたしは いった。
「そういうな。わたしは大きいから 大ぜいに たべてもらえる」

 おじいさまが いいました。
「もうすぐ森をぬける。すると頂上がみえるよ」
 そのことばのとおりに ぱっと目のまえが ひらけました。 
「あっ!みえたよ。おじいさま」
「そうだ。あれが頂上だ!」
 頂上をめざして少しのぼると、とおってきた森が 目のしたにひろがりました。
 しんりょくにおおわれた うつくしい ながめです。
 でもあちこちに 白いほねになった木が みえます。
「枯れた木が おおいね」
「空気がよごれ、雨も『酸性雨』になったのが げんいんだって いうんだが…」
「それも にんげんのせいだね。この すてきなしぜんを たいせつにしなきゃ」
「そうだなあ。セイちゃん いいことをいうね」
「ひとも 木も シカも 花も げんきで生きられるといいね」

 ぼうや、たのむよ。
 あのミズナラが つぶやきました。
 わたしは そのうち枯れてしまう。そのあとは 森の生きものが ちからをあわせるだろう。でも、にんげんがくわわらなくては 森はすくえない。
 たのむよ セイちゃん。      

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